「春はまだ青いか」

あね

君のこと。

目覚まし時計を止めて、ゆっくりと体を起こす。

時計の針は9時を指している。今日は休日だ。

僕はベッドに座ったまま、すでに開かれたカーテンから外に目をやる。この位置からは、ベランダの柵越しに桜が見える。


僕は思い出していた。まだ子供だった頃の自分の事を。


僕は春が好きだった。暖かく優しい風が、希望や出会いを運んでくるような。その温もりのある季節が。街に新しい風が吹いて、みなが元気に見えるあの季節が。

当時中学生だった僕にはまだその全てを感じる心は無かったかも知れないが、それでも春の優しさは感じていた。

中学の入学式が終わって、まだ間もない頃だった。

掃除の時間、僕は1人で教室のゴミ出しをしていた。ゴミ袋を片手に下げ、下駄箱へと向かう僕。


そこに、君はいた。

昇降口のドアの前で校舎の脇に咲く大きな桜の木を眺める、1人の背の高い女子生徒。

僕は彼女の横顔をじっと見てしまった。長い髪の隙間から見える目が、どこか寂しいような、切ない目をしていたからだ。

「なに?」

彼女は僕に気づき、こちらを向く。急に目が合ったので、僕は恥ずかしくなってしまった。

「あ…なんでもないです…。」

「あ、ごめんね、邪魔だったかな。」

「いえ、すいません。」

僕は何故か謝って、その場を立ち去ろうとした。

「あの桜ね。」

話しかけられてしまった。僕は彼女の横で立ち止まり、顔を上げる。

「悪い病気なんだって。」

彼女は桜を寂しげな目で見て僕に話した。

「もうすぐ病気の部分、切り落とされちゃうんだってさ。」

「そうなんですね。でも、全体が病気になるよりかはマシじゃないですか?」

僕はなんとなくのイメージで彼女に返した。

「うん…。だけど今年あの桜が、ところどころ切り落とされた状態なのは悲しい。」

彼女はそう言って、また悲しい顔をした。

「私ね、3年生になったから、もう最後なんだ。あの桜が見れるの。」

僕は彼女の顔に目をやる。僕から見たら大人びた彼女の横顔は美しく見えた。儚げに遠くを見るその目が、不意に僕に向けられる。僕は少しだけ鼓動が早くなるのを感じた。

「君はまだ1年生かな。」

「は、はい。」

「そっか。いっぱい遊んで、いっぱい勉強して、いっぱい友達作りなよ?3年間って、思ってるより短いからさ。じゃあまたね。」

そう言って彼女は僕の肩をポン、と叩き下駄箱へと戻って行った。

得体の知れない胸の高鳴りと、彼女の残した香水の様な柑橘系の香り。ふわっと優しい風が吹いた。

彼女は切なさと共に桜を見ていたのか。春は別れの季節でもあることを僕はその日、知った。


ガチャ、と寝室のドアが開く。僕は現実に引き戻された。

「あら、起きてたの?おはよう。」

「うん、おはよう。」

「ボーッしてた?」

「うん…昔のこと、思い出してた…。」

「何それ。コーヒーいる?目覚ましたら?」

「ありがとう。」

妻と軽くキスを交わした。


ふわっと、あの日の優しい風が吹いたような気がした。ほのかに香る柑橘系の香りも。


僕の春はまだ、青いか。

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「春はまだ青いか」 あね @Anezaki_

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