「底辺CY」 2せくしょん

 見学を終え、校舎を出た私は真っ直ぐ駅に向かう。

 

 なんだか肩の荷が下りた気分だ。

 彩月たちは大学と道を決め順調に進んでいる。進んでいなかったのは私だけだった。でもこれで皆と同じラインに立てたかな?


 初めて自分で決めた道なのかもしれない。部活だって元々バスケがやりたかったわけではない。たまたま仲の良い友達に誘われたから入っただけ。

 高校だって謙が行くって言った学校になんとなく決めた。最終的に決めているのは自分だが、根本的な部分が流されていることがほとんどだ。


 でも美容の道は自分で決めた。なんだか成長した気分。


 そんな事を考えながら息を吐く。タバコの煙のように息は流れていく。


 ふと街頭に提げられているポスターに目が行く。ピンクとハートのポスター。

 街並みはすっかりバレンタイン色に染まっている。ピンク色のポスターが至る所に張られ、路面店も飾り付けられている。


 でも私には関係ない。学校も行かないので義理チョコを持っていく必要もない。

 そんなことより、私は早く家に帰って美容の練習をしたい。さっきの見学で熱を移された。ワインディングやりたいけど道具ないしなあ。いくら位するんだろ? もしそんな高くないなら、全部揃えないでも練習は出来るよね。


 私は踵を返しアーケード街に向かった。目指すはビービーラボ。


 しかし店に着き十分もしないうちに、ため息と共に私は店を出た。


 ロッドってばら売りじゃないんだな。1サイズ10本セットで700円……。ペーパーにゴムも入れたらお小遣いが足りない。新しいウィッグの三号機を買うんじゃなかった。

 せっかくアーケードまで来たんだし本屋でも行こうかな。美容の専門書立ち読みしてやる!


 本屋に着いた私は地下に向かう。

 ここは謙御用達のいつもの本屋。一生来ることがないと思っていた専門書の階。


 ここで美容の専門書を探すのは初めてだ。どこにあるんだろう。


 私はぶら下がっている案内版を頼りに進む。そして、医学の棚に差し掛かる。が、私は身を棚に隠した。


 見覚えのあるカーキのモッズコート。見間違えるはずがない立ち姿。黒の短髪で長身。


 なんで謙がこんな所に……。あれ? なんか前にも同じようなことがあった気がするな。


 私は顔だけを出して様子を覗う。


 謙は分厚い本を立ち読みしている。表紙は確認できない。

 ここって医学の棚だよね? 謙はなんでこの棚の本を読んでるの? しかも専門書だから内容は難しいんじゃ……。


 謙の顔は強張っている。

 ほら。やっぱり内容が難しいんだよ。あんな顔しちゃって。


 私は顔を引っ込め腕を組み考える。


 どうしよう。今日は諦めて帰るか。思い切って謙に話しかけるか。それとも知らんぷりして本を探すか。もし向こうがこちらを見つけた場合偶然を装う。うーむ。

 私、なんで謙ごときにこんなにびびってるんだろ。あほくさ。知らんぷりして本探そう。


 一応確認の為もう一度覗き込む。


「あれ?」

 思わず声が出た。

 

 謙がいないのだ。……まあいいか。


 私は美容の本を探そうと振り返ると人にぶつかった。


「あ、すいません」

 すぐさま頭を下げる。


「なにがすいませんだ。コソコソしやがって」


 頭を上げると、ぶつかった人は謙だった。


「げ。いつの間に後ろに……」

「俺位になると匂いで分かるんだよ」


 こいつ軽く変態発言してるんだけど……。匂いって。私ってもしかして臭い? とりあえず軽蔑の目を向けておこう。


「お前勘違いすんなよ? 匂いって頭のな」

「いや。余計それきもいよ……」


「だから、頭に付けてるワックスだよ。……なんだっけ、フリージア? その匂い」


 ワックスの匂いか。確かにこのワックスは他のと比べると匂いは強めかも?


「ふーん。そう」


 謙は頭を掻いている。


「で。お前はなんで隠れてたんだ? しかも制服だし。学校でも行ってたのか?」

「専門学校の面接行ってきた帰り。隠れてたのは……。その。謙は最近皆のこと避けてるみたいだし。だからなんとなく。ってかさ。あんた前にあんな態度とっておいて、よく私に平然と話しかけれるわね?」


 謙は下を向いた。


「その。ほんとは謝りに行こうと思ってたんだ。悪かった。色々あって混乱してたんだ……。ごめん」

 謙は下を向いたままの体勢でさらに頭を下げた。


 私は鼻から強く息を出し腕を組む。

 色々あった? 混乱してた?


「駅地下のパフェで許してあげる! あと何があったかきちんと説明すること! それが許してあげる条件」


 謙は顔を上げた。しかし表情は固い。


「わかった」



 外は寒いので地下歩道を通って行くことにした。


 この街は、駅ビルの地下街から観光スポットの大通り、そしてアーケード街まで地下歩道で繋がっている。

 本屋も地下から繋がっているので便利。十分かからない位で駅地下に着く。


 そしてパフェ喫茶に着いたわけだが、謙は静か。

 地下歩道を来る間も黙ったままだった。なんか調子が狂う。


「謙は何にするの? マンゴー? 私はダブルベリーにするけど」

「……ホットミルクティー」


「パフェは?」

「お前こんなくっそ寒いのにパフェ食うのか? ここのはクリーム全部アイスじゃん」


「夏に鍋とかラーメンとか熱いもの食べるでしょ。それと一緒。それに店の中はあったかいし」

「俺はいらない。ミルクティーで」

 

 頼んだ物もテーブルに運ばれ。私はパフェを食べながら話してくれるのを待つ。


 三分の一パフェを食べた頃、私は我慢の限界を迎える。


「ねえ。早く話してよ」

「……うん。その、どっから話せば良いか考えてた」


「最初から」

 私はパフェの底にあるスポンジケーキを掘り出しながら答えた。


 謙はカップに口を付け静かに置く。


「最初からだと夏休み位からになる」


 夏休み? そんな前からなんかあったってこと?


「私は時間あるからたっぷり話して。どうぞ」

「……まず。夏休みにお袋が倒れた」


 スポンジを探るスプーンが止まる。


「え……お母さん? 倒れた? でも離婚してからどこにいるか分からないんじゃなかったの?」

「まあそうなんだけど。夏休み中姉貴の髪染めに行ったときに姉貴から聞いた。姉貴はお袋の連絡先知ってて、ちょくちょく連絡取ってたみたいなんだ」


「お母さんは大丈夫だったの?」

「まあ一応な。それで、心配だから夏休みに会いに行ったんだ……。そしたらお袋……がりがりにやせ細ってた。病気なんだってさ」


 謙はテーブルに肘を付き、顔を隠すように額に手を当てた。

 私は言葉が出なかった。夏休み後も謙はそんな素振りを私たちに一切見せていなかった。


「それで……その事で親父と大ゲンカした。お袋のことほっとくのかよって……。親父は知らんって一点張り。だからさ、俺が行かなきゃって……」

 謙の声は震えている。


「……お母さんどこに住んでるの?」

「こっから二時間もあれば着く。だから、俺卒業したらお袋の所に行くことにしたんだ。これを決めたのが学祭前」


 ……私は大馬鹿野郎だ。タイムマシーンがあるなら学祭前に戻って私を殴ってやりたい。謙が大変な時に私は自分のことばっかり気にして……。謙のこと避けて。なにが告白だ……。


「ごめん。私、謙がそんな考えてたって知らなくて。本当にごめん。私馬鹿だ……」

「いいんだ。言わなかった俺も悪い。お前には相談位しても良かったな」

 謙は少し笑った。


「だから本当にごめん」

 謙の優しい笑顔を見て私はうつむく。


 しばらくの沈黙の後、謙から口を開く。


「俺さ、向こうの専門学校行こうと思うんだ。ってかもう面接とかは済ませてあるんだけどな……。お袋は来なくていいって言ってるんだけど、やっぱ心配だし。ほんとはお前と同じ学校行きたかったけどしょうがねーな」


 謙が言っている内容から、お母さんの病気はかなり重いものなんじゃないかという心配。そして馬鹿な自分の本心で私は葛藤している。


 きっと謙は、夏にお母さんの病名を聞かされて本で調べていたんだ。花火をやったあの日だ。今日医学の棚にいたのも。


 離婚しているとはいえ謙にとってはただ一人の母親。そりゃ心配だろう。だからお母さんの近くに行って欲しい。でも……。


 葛藤。


 私の本心では謙が遠くに行ってしまうのが嫌だ。引き留めたい。こんな気持ちになる自分は本当に馬鹿だ。


 謙への気持ちは諦めたのに。諦めたはずなのに。

 このどうしようもない気持ちは涙となって私の頬を流れる。


 大きく息を吸い一呼吸。私は笑顔を作った。


「お母さん元気になるといいね。謙なら向こうの学校でも頑張れるよ。……寂しくなったらいつでも私たちの所に遊びに来て。その時はまた花火とかしようよ。二時間位の距離なら私たちから遊びに行ったりもするかも」

 私は少し笑いながら言った。


 謙は固まっている。私の涙を見たからだろうか。そして、視線を下げ謙は答えた。


「……そうだな。こっちに帰ってきたときはよろしくな」

「うん。話してくれてありがとね。向こうにはいつ行くの?」

 私は鼻を啜りながら訊く。


「卒業式の日。終わったらすぐに向かう」


 卒業式。3月23日か。


「それじゃ丁度いいね。皆で見送りしな――」

「来なくていい!」

 謙は私の言葉を遮るように大きな声を上げた。


「なんで?」

「……いいから。来ないでくれ。わりい、金払っとくから。俺先に帰るわ」

 謙はそう言って伝票を持ち立ち上がる。


「ちょっと待ってよ! なんで? 何か理由があるなら教えてよ」

「わりい」


 私は意味が分からないまま、遠くなっていく謙の背中を見ていた。

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