「底辺CY」 1せくしょん
冬休みが終わって数日経った。
終わったといっても登校する日は殆どなく、残すは卒業式の練習日と本番のみ。
私の学校は冬休み後、自由登校となっている。大学へ進学予定の生徒は勉強をするために登校していたりするが、私には無関係だ。
私はケーキの箱を片手に早歩きで歩道を突き進む。
心情は怒。もう頭にきた。
歩道といっても、雪によって一人通るのがやっと。路肩には私の身長を優に超える雪の山。
十字路を曲がるといつもの公園が見えてくる。
この公園は近所の雪捨て場になっている為、冬の間は公園として機能していない。でも、たまにスキーやスノーボードをもった子どもたちがいたりするから、機能していないわけでもないか。
なぜ怒なのか。
原因は謙。
私のことを無視するだけならまだいいが、彩月や浜田をも無視しているようだ。
私と謙のことを心配してくれている二人だが、最近は連絡すら取れないと報告を受けた。
浜田とは親友のはずなのに。親友というのは浜田曰くなので、謙がどう思っているのかは不明だが……。
理容室ヤモトの裏に到着。
アルミ製の軽いドアを思いっきり開けた。温かい空気が顔の横を通り抜ける。
「謙! いい加減にしてよ!」
洗濯機からタオルを出している謙と目が合う。
「ばかやろう。今客きてっから静かにしろ」
謙は人差し指を鼻先に当てて小声で注意してくる。そして、脱水したてであろう皺だらけのタオルを私に投げ「手伝え」と言ってきた。
私は鼻を膨らませてケーキの箱をテーブルに置き、タオルを投げ返す。
「ちょっと。無視はないんじゃない? 彩月と浜田心配してたよ!」
謙は下を向く。
「っるせ。後で謝っとく……」
とタオルを投げ返してきた。
「私怒ってるんだからね」
さっきより強めに投げ返す。
謙はそのタオルを軽くキャッチする。そして、タオルの両端を持って振り下ろすように皺を伸ばし、二段になっているパラソルハンガーに干した。
「悪かったよ」
「いーっつもそう。『悪かったよ』とか『わりい』で済ませようとする。早くタオル投げてよ!」
「……」
タオルが飛んでくる。私はそれをタッチパス並みの速さで返す。
謙は反応できず、顔でタオルを受けた。
「よし!」
私はガッツポーズをする。
タオルは謙の顔に少し張り付いた後するりと落ちた。そして無表情。
「帰れよ……」
私は謙のその顔を見て怒りが引いた。顔を見て安心したとかではない。この無表情を見てしまったからだ。
謙の無表情をずっと見てきた私だから分かる。
今の謙はいつもの無表情ではない。
この顔を最後に見たのは中一の春、謙のお母さんが家を出て行った日。
そういえばあの時もそうだった。遊びに誘っても断るし、一緒に帰ることも避けてた。
「謙……なんかあった?」
私は姿勢を直し訊く。
しかし謙はタオルを掴んだまま黙る。
サロン側からおじさんの話し声と有線の音楽。バックルームは重い沈黙。これに耐えれなくなった私は再度尋ねる。
「ねえ聞いてる?」
「なんもねーよ! いいから帰れ!」
あまり感情を出さない謙が怒鳴るように言ってきた。無表情だった顔は少し歪み、何かを堪えているような顔に変わる。
二週間が過ぎ二月に入った。
謙に押し掛けたあの日。私はあれ以上その場にいることができなかった。
あんなに怖い謙は見たことがない。連絡も途絶えたまま。彩月や浜田も同じ。
何かあったなら力になってあげたいと思った……。でも謙が拒絶してくるからそれは叶わない。
私は謙に必要とされていない。むしろ嫌がられている。悩みがあるのか分からないけど、それを教えてもらうことすらできない。
だから……。
私は謙に対しての気持ちを心の奥底にしまうことにした。
私は机で専門学校の願書に記入をする。謙の行く専門学校と同じにしようと思っていた。でもそれを聞くことすらできなかったために、提出の遅れていた願書。
行先は理容科の無い美容師科やメイク、エステなど美容特化の専門学校に決めた。
これでいいんだ。
久しぶりの制服に袖をとおし、私は街のコンビニで時間を潰していた。携帯で時間を確認。
そろそろいいかな。
コンビニを出て、目の前のビルを見上げる。
今日は専門学校の面接日。時間に余裕をもって出てきたのはいいが一時間も早く着いてしまった。仕方なく向かいのコンビニで時間を潰していたわけだ。
見上げているビルは五階建て。交差点の角に位置している。入り口は角部分にあり、オシャレに『コワフュール美容専門学校』と書かれた看板が掛けられている。
一階部分はガラス張りになっていて、中はサロンのようになっている。
ここで授業とかするのだろうか?
私は緊張しながらも入り口をくぐる。すぐに受付があり女性が座っていた。
「あの、面接に来ました」
カジュアルなスーツを着ている受付の女性は、笑顔で答えてくれる。
「はい。面接ですね。奥のエレベーターで二階に上がってください。すぐ正面に職員室の受付がありますので、そちらで詳細を告げて下さい」
「はい、ありがとうございます」
私は頭を下げエレベーターに向かう。
一階部分は全部サロンみたいになっていると思ったが、本が置いてある小さな図書室。反対にはウエディングドレスやブーケ、額に入ったネイル、奇抜なカットウィッグなどが展示してある部屋もある。
部屋の扉はオシャレなデザイン。ガラス部分が丸かったり三角になっていたり。取っ手などの細かい部分も装飾がされている。
私の知っている学校とはかけ離れすぎている。こんな場所で勉強したら凄いオシャレになるんだろうな。
エレベーターを上がり職員室の受付に着く。
今度は小太りの女性が受付に座っていた。詳細を告げるとエレベーターのすぐ横の小さな個室に案内された。
六畳程でテーブルとイスが二つあるだけの部屋。
「ここでちょっと待っててね。今面接担当の先生呼んでくるから」
小太りの女性はフランクに対応してくれた。下の女性とは全然雰囲気が違う。
「はい」
私は座っていいのかも分からず、とりあえず立って待つことにした。
空調の音を聞き続けること三分。ドアが開き男性の先生が入ってきた。
高そうな靴に黒のスリムパンツ。白いシャツにグレーのカーデを羽織り、腕まくりをしている。髪はミディアムで細かく金のメッシュが入っていてウェーブ。軽く後ろに流している。俳優レベルの顔。手にはファイル。
「あ、ごめんごめん。座ってもいいよ」
優しい笑顔で椅子に座るよう手を向けた。
「は、はい。失礼します。あ。な、七崎千夏です。よろしくお願いします」
先生はニコリとした。
私は完全に動揺していた。こんなイケメン先生が来るとは思ってもいなかった。高崎先生とはまた違うカッコよさ。
着席すると、ファイルから私の願書を取り出した。
「七崎千夏さんね。志望は美容師科で間違いないね?」
「はい」
この先生凄い良い匂いする。なんの香水だろう。
先生はファイルから一枚のプリント。カーデのポケットから鉛筆、消しゴムを出し私の前に置いた。
「いきなりなんだけど。これやりながら僕の質問答えてくれる?」
「はい」
なんだか分からないが、裏に置かれたプリントをめくる。内容は二桁の計算問題がぎっしり並んでいた。
数字が見えた瞬間かなり焦ったが、よく見ると小学生でもできる足し算と引き算。
内心ほっとする。鉛筆を取り問題を解き始める。
「真剣にやらなくてもいいよ。それはただの常識チェックみたいなもんだからさ。まずは、なんで美容師目指そうと思ったの?」
「きっかけは妹の頭を乾かしてあげたときです。凄い喜んでくれて、私はそれがとても嬉しかったんです。だから、これが仕事に出来たらいいなって思ったからです」
私は計算に集中しながら先生の顔を覗う。先生は私の手元を見ている。
「そっか。仕事はもっと嬉しいよ。お客様が笑顔で帰ったときは疲れなんか吹っ飛ぶ。それで、その左手の甲の傷。シザーの傷だよね?」
ばれた。絆創膏貼ってくるんだった。
「……はい。この前練習してて切っちゃいました」
やっぱり美容の人は傷見ただけでわかっちゃうのか。これは、調子に乗ってレイヤーをやってみようと思って切ってしまった傷。
ワンレングスと違って、レイヤーはトップ辺りを切るとき手の甲側に毛束を出して切るのだが、欲張ったせいか第三関節辺りの甲側を切ってしまった。
「まだ高校生なのに練習してるんだ。家が美容室とかなの?」
「いえ。家は洋菓子店です」
「へー、洋菓子店。なら七崎さんケーキとか作れるの?」
「冬休み中に手伝いをちょっとしただけで、全然作れません。シューにカスタード入れる位なら最近覚えました」
私は少し笑いながら答えた。
「ご両親は家を継げ、とか言わなかったの?」
「いえ、やりたい事やりなさいって言ってくれました」
「そっか。君はやりたい事きちんと見つけてここにいる。それは素晴らしいことだよ。それにこの世界は奥が深い。……どの世界も奥が深いだろうけどね。まあ職人みたいなもんだから終わりが無いんだよ。ファッションや髪型、これは縄文時代からすでに人間は気にして生きてきたと言われている。そんな大昔からあるものが未だに進化し続けている。どうしたら異性に気に入られるだろう。どうしたら格好良いだろう。時代ごとに流行りも変わる。下手したら去年流行っていたものが今年は古い。それほど変化が早い。だから楽しい」
「は、はあ」
なんだ。急に授業みたいになってきたぞ。凄いイケメンで服も洒落てるけど中身はやっぱ先生なのか。
「もしかしたら今年は、弥生時代の鉄アレイ横に付けたみたいな髪型が流行るかもしれないぞ? ちなみに
「えー。私は嫌です」
「そんなこと言わずに。七崎さんもしかすると似合うかもしれないよ? ちなみに有名人なら聖徳太子が美豆良スタイル」
聖徳太子って……。一体何年前の流行りだよ。そもそも流行りだったのか? それに何故私にその髪型を勧めるんだ……。
この後も計算問題が終わるまで、面接とは言えないような会話が続いた。主に美容の歴史的内容。
「これで面接は終わり。お疲れ様でした」
先生はプリントをファイルにしまい立ち上がる。
「ありがとうございました」
私も立ち上がりお辞儀をする。
「あ。七崎さんって体験入学とか来た事無いよね? 七崎さんと会ったの今日初めてだし。もし来てたらごめんね」
先生は笑顔で訊いてきた。
「体験入学は来た事ないです」
「やっぱりね。僕、来たことある生徒なら顔忘れないから。どう? よかったら見ていくかい? 体験入学みたいに体験は出来ないけど、授業風景覗くくらいならオッケーだよ」
見れるなら是非見てみたい。パンフレットで授業風景の写真を見たりはしていたが、実際は違うだろう。どんな感じなのか気になる。
「是非見たいです」
「はは。君ならそう言うと思ったよ。授業風景といっても
どういう意味だろう?
先生は部屋を出てエレベーターの前を通り過ぎ、奥の階段に向かう。私も後を追う。
一階上がり三階に着く。
「ここからはなるべく静かにね」
先生は人差し指を立てた。
「はい」
この階も二階と同じ構造になっているようだ。廊下があり左右には教室。ドアは半分から上がガラスになっていて中が見える。
先生は一つの教室の前で止まり、小さな声で「覗いてみな」と私を手招きする。
ドアのガラスから覗いてみる。
『始めー!』
突然の大きな声でビックリし仰け反ってしまった。
そしてすぐに生徒たちの『よろしくお願いします!』と大きな声が聞こえた。
なんだなんだ? ガソリンスタンドの朝礼かと思ったぞ?
私はもう一度覗く。
生徒は全員、上に白衣を着て下は黒いパンツ。ホワイトボードの前には短髪の女性がストップウォッチを持ち、仁王立ちをしている。きっと先生だろう。
二人用の長い机にクランプとウィッグが二台ずつ、それがずらりと並んでいる。生徒全員スプレイヤーを持ちウィッグをウエットにしている。
机の上は見たことのある道具が置かれている。私が一本に五分掛かったあれだ。そうワインディング。その道具が置かれている。
生徒たちはもの凄い早さでブロッキングを取り、巻き始める。皆真剣な表情で、汗をかいている人も多々いる。
「びっくりしたでしょ?」
私の後ろから覗くようにしていた先生が訊いてきた。
「は、はい。凄い気迫です。いつも授業はこんな感じなんですか?」
この風景は完全に想像と違うものだった。パンフレット詐欺だと言いたいくらいに。生徒に笑顔なんて一つもない。むしろ泣きそうな顔をしてる人もいる。
「授業はこんなじゃないよ。これは国家試験会場を想定しての練習。だから皆真剣。服装も当日雰囲気に呑まれないよう白衣着用」
「国家試験……」
「まあ三日後にあるから皆も真剣になるよねー。頑張れ頑張れー。君も二年後にはこの教室で白衣着て汗かくんだぞ?」
二年後。その頃私は一本巻くのがどの位早くなってるんだろう。ちゃんと20分以内で巻けるようになってるのかな。全然想像できない。
でも。
「あそこで汗かくのすっごい楽しみです」
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