「正方形は三角形となる」 2せくしょん
「おじゃましまーす」
私は最近買ったばかりのブーツを脱ぎ玄関を上がる。
半畳程の広さの玄関は、靴の脱ぎ場がないほど沢山の靴が置かれている。靴底のロゴは全て知っている高級ブランド。その中に数足、駅ビルの安いショップのロゴが入った靴もある。
そして、甘い香水の香りが漂う。
短い廊下の突き当たりに扉、左手はトイレだろうか? 右には洗濯機が置かれている場所がある。きっとお風呂があるのだろう。
「遠慮しないで上がって上がって」
後ろから入ってきた理奈お姉ちゃんに急かされ、突き当りの戸を開け中に入る。
「広っ!」
すぐ左に立派な対面キッチン、その割には食器がほとんど見当たらない。正面は大きな窓があり、その角にテレビが置かれている。他にも観葉植物や小さなカラーボックス。床には雑誌。
これはきっとデザイナーズマンションというやつだろう。細かい部分がオシャレだ。天井に間接照明までついている。
そんなオシャレな構造なのに真ん中にどんと置かれているコタツ。上にはみかん。そこにうずくまるようにいる咲希。
左右の壁には扉がある。きっと二人の部屋になっているのだろう。
私は理奈お姉ちゃんと咲希の家に来たのだ。
電話で『暇なら遊びに来ない? 話したい事もあるし』とのことで、私もワンレングスの謎を訊きたかったのでナイスタイミングだった。
小動物のような咲希と目が合う。理奈お姉ちゃんと同い年らしいが、どうも私と同じくらいに感じてしまう。
私は新年のあいさつをする。
「咲希! 久しぶりー。あけおめー」
「チカリン。明けましておめでとう。今年もよろしく。その大きな荷物は何かしら?」
咲希は、私の肩から下げられている大きな鞄を指差している。
「これは美容道具。理奈お姉ちゃんに教えてもらおうと思って」
「そう。ユズルンみたいね。あの子もよくここに来てりなっぺの指導を受けているわ。いえ、調教と言うべきかしら」
「そ、そうなんだ……」
調教の想像が出来るから怖い。やっぱり帰ろうかな。
「いえ。拷問が正しいかしら?」
「……」
私が恐怖で震えていると、理奈お姉ちゃんはコートを脱ぎコタツに入った。
「咲希。あんまり適当なこと言ってると千夏ちゃんとこのケーキあげないぞ? あ、千夏ちゃんも入んな。まず温まろう」
私も上着を脱ぎ中に入り、家からくすねてきたケーキ入りの箱を置いた。
「あたしが間違っていたわ。りなっぺの指導は素晴らしい。だからケーキを食べても大丈夫かしら?」
咲希は返事を待つ前に箱を開けて、うさぎの天使を取り出す。
そして、携帯で写真を撮った後、お尻部分にフォークを挿した……。
「痛いよお……」
私は声色を変えて小声でつぶやく。
咲希はピクリと止まった。そして無表情。ケーキをそっと回して顔部分を確認している。
理奈お姉ちゃんはコタツ布団で口を隠している。笑いを堪えているようだ。
私もケーキを取り、知らんぷりをしながら横目で確認を続ける。すると、もう一度お尻部分にフォークを挿した。
「痛いってばあ」
私はまた同じくつぶやく。
咲希はまた止まり、今度はフォークを確認し始めた。フォークにはうさぎの天使の中に入っている苺のムースが付いている。
「これは。血かしら」
咲希のこの発言が理奈お姉ちゃんの我慢の限界だったようだ。
「ぷっ、もうダメ。あはははは」
咲希は無表情のままで、状況が分かっていないようだ。
その後しばらく咲希を理奈お姉ちゃんと二人でいじって盛り上がった。
咲希はバイトがあるらしく、ケーキを食べ終わると家を出ていった。
場所を理奈お姉ちゃんの部屋に移し、私の目的であるワンレングスの疑問について教えてもらうことにした。
この部屋は既視感がある。八畳程の広さで大きな窓。奥にはベランダが見える。シンプルなベッドに折り畳み式のテーブル。上には化粧品などが散乱している。
クローゼットは開けっ放しになっていて、もはや部屋の一部として機能している。そして、部屋のほとんどを占める美容練習ゾーン。
大きな姿見に三脚式のクランプ。美容用ワゴン。さすが姉弟、部屋の構造が似ている。顔は似てないくせに。
私は持ってきていた一号機をクランプに挿す。
「これ見て。真っ直ぐ切ったはずなのに顔の横と、耳の下辺り。それとネープがぐちゃぐちゃしてるの。あと段入っちゃってる」
理奈お姉ちゃんは、自分のコームを出し一号機を梳かしながら周りを一周した。
そして一通り見終わったのか、コームを自分の顎に当てて口を開く。
「なるほどね。最初に。ワンレンのカットは誰かに教わった?」
「ううん。本で見てなんとなく……」
私は首を横に振った。
「そう。わかったわ。他にはスタイルやったりしてるの? グラとか」
「ワンレングスだけだよ。グラデーションとレイヤーはなんかよく分かんなかったし」
「オッケー。その選択は間違ってない。学校とかでも最初はワンレンから入るからね。ただ、ワンレンは動き……やることが簡単なだけで、実は一番難しいとも言われているの」
私は頷きながら静かに聞き入る。
「でね。先にこの一号機? の問題を解決しようか。まず、ウエットでカットしたよね?」
「うん」
「カットする時指で挟んでカットした?」
「うん」
「原因はそれね。きっとテンションかけてカットしたから、乾かしたときに長さが変わってしまったの。分かりやすく言うと。千夏ちゃん癖毛でしょ? もし、その癖毛を引っ張って真っ直ぐ切ったあと、指を離したら長さはどうなる?」
「うーんと……短くなる?」
「そう。ワンレンは
私は言われた通りコームを見る。歯の密度がかなり粗い。私のコームも密なのと粗いのが半分ずつになっているが、その粗い部分よりももっと粗い。
「すごい粗いコームだね。なんか違うの?」
粗さの違いは私も気になっていた。なんで半分ずつになっているのか。使い分けが必要なのか、ということだ。
「密な方は、梳かしたときの面を綺麗にしたりするのに使うことが多い。あと、密なぶん髪をとかしたときにかかるテンションが大きい。粗い方は使い道が多くて。基本はドライカットで使ったり、シャンプーした後の少し絡まってる毛をとかしたり。で、粗いぶん梳かしたときのテンションは小さい。ここまで言ったらワンレンのときは、密と粗いのどっち使ってカットするか分かったかな?」
「粗い方だ! 私密な方ずっと使ってたよ……」
「そう。次は耳の下の長さがへこんでる原因。これも一番の原因はテンションなんだけど、もう一つあるの」
理奈お姉ちゃんはそう言って一号機の耳横の毛を持ち上げ、ウィッグの耳を指差している。
私が覗き込むと説明を続ける。
「耳、出っ張ってるでしょ? ウィッグだから耳の大きさは人間より小さいけど、ちゃんと耳の形して出っ張ってる。で、この持っている毛は耳の上に被さって下におりてるの。だから、このでっぱりを考慮してカットしないといけない。こう引っ張ってみるとバックサイドと長さは同じだけど……離すと……ね?」
理奈お姉ちゃんは耳上の毛を引っ張り長さをチェックすると、同じ長さだ。でも離すと耳に掛かることで長さが短くなった。
「おお。じゃあさ、ここはどう切ればいいの?」
「それは顔の横が短くなってる原因を話してからね。まず。このスタイルは前髪を作ってない真ん中分け。真ん中で分けるのをセンターパートっていうのは知ってる?」
「うん。本に書いてた」
「おっけ。で、このフロントをカットする時はどの位置でカットした? 顔の前に全部下ろしてカットしたんじゃないかな?」
「うん。顔の前で切った」
「でも、今ブローされている一号機は前髪が前におりてなくて、センターパートで横にあるよね?」
「あ。そっか! 横で切らないといけなかったのか」
「そういうこと。でね、ここが一番失敗しやすい所でもあるの。ウィッグだから失敗してもいいけど、人頭ならクレームレべル。例えば、顔が全部見える位掻き揚げるように真ん中分けする人もいれば、目尻位までしか顔を出さない人もいるわけ。同じワンレンでも、その人によってそこが変わってくる。六四とか七三のサイドパートだとまた変わるし。だから、ウィックの場合は、そこを決めてカットする必要がある」
「うんうん。ちょっと待って、ノートに書きたい」
私は鞄からノートを出して、メモしていく。ここまでの内容を書き終ると、理奈お姉ちゃんは続ける。
「よし。で、ウエット時、前髪は基本かなり大げさに前下がりにカットしておくの。余分な長さを残して切るってことね。あと耳上も大げさに長くカットしておく。これがさっきの答えね」
「ウエット時?」
「うん。ワンレンはウエット時簡単なベースを作るって考えた方がいいかな。で、お客様がブローする人なのか。それとも全くしないドライだけ。もしくはアイロンで真っ直ぐに伸ばすのか。これが重要で、その仕上げ方で切り方も変わってくる。例えばブローする場合。ブローって根元が少し立ち上がってて、毛も緩い弧を描いて下に落ちてるの。ウエット時は根元起きてないし、さらに弱い癖も濡れることで戻ってる。これを考えないでカットしてブローすると、ウエット時よりだいたい1センチは短くなるかな、指一本位の長さね。更に表面の毛に段が入ったようになる。この一号機みたいに」
「あ、水素結合!」
「あら、難しい言葉知ってるわね? そう。ウエット時は水素結合が外れて、伸びていた癖が復活してる状態なの。直毛の人でも癖が全くゼロではないから、考慮しないといけない」
「ふむふむ」
「それでね。ワンレンはドライ時でのチェックカットが全てと言ってもいいくらい、乾かしてからのチェックが大切。このウィッグちょっとネープ切ってもいい?」
私が首を縦に振ると、理奈お姉ちゃんはシザーを取り出し、一号機を前傾にした。そして、タオルを首にピタリと巻きつける。タオルの上にネープの毛が乗っている状態。
その状態で梳かすと、長さの違う毛が沢山出てきた。
「この毛を切るの。切るときは指で挟まないでコームから出ているこの余分な毛だけをカットする」
そう言って、30秒ほどでネープのチェックカットをした。
前傾を直し軽く梳かした後、私に確認を求めてきた。
ガタガタだった襟足の切り口が、綺麗に真っ直ぐになっている。下に落ちている毛は数ミリ程の長さ。たった数ミリの毛をカットしただけでここまで綺麗になるのか。
「すごい!」
「これがチェックカット。でもね。短い所は直せないから諦めてね。表面に入っちゃった段とかは修復不可能。あと耳横とフロントもね。全体的にその長さに合わせれば出来なくもないけど、かなり短くなっちゃうね」
「そうだよねー。なんか思ってたより難しい。ただ真っ直ぐ切るスタイルでも考えることいっぱいあるんだね」
「でもそれが面白いんだよ。もしワンレンの注文が十人来たら、スタイルはワンレンだけど毛質、生え癖、つむじ、スタイリング。皆違うから、カットの仕方も全部変えなきゃいけない」
「ふふ、理奈お姉ちゃん先生みたい」
そう言うと、理奈お姉ちゃんは頭に手を当てため息をついた。
「ごめん。謙に教える感覚で話しちゃった。難しくなかった? ってか、まだ美容学生にもなってない子に教える内容じゃなかったなー」
「わかりやすかったよ。理奈お姉ちゃん教えるの上手! もっと教えて欲しい」
「おっけー。一号機カットしてもらいながら教えたいんだけどいいかな? シザー持ってきてる?」
「うん」
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