「正方形は三角形となる」 3せくしょん

 理奈お姉ちゃんは一号機をスプレイヤーでウエット状態にしてブロッキングしていく。

 ネープを1センチ程のスライスでパネルを出している状態。


「それじゃ一番短くなってるフロントに合わせてカットしていこう。大体1センチ位差がついちゃってるから、ガイドにするネープは2センチ切れば丁度いいかな」


 ガイドとは、カットしていく上での長さの目安の事だ。最初に切ったパネルをガイドにして次のパネルもそれに合わせて切っていく。これがカットの基本。そう本に書いてあった。


「2センチも切るの? フロントとの差は1センチなのに?」

「そう。表面に段入ったのはテンションが原因だけど。テンション掛けずにカットしても実は段入っちゃうことがあるんだよね。それを防ぐ方法がイングラでカットしていくこと」


「イングラ?」

「グラは縦スラで引き出したとき、上の毛の方が長いのは知ってる?」


「う、うん。よくは分からなかったけどね」


 理奈お姉ちゃんはコームを床と垂直にし、ウィッグの後頭部に当てて床と平行に離した。


「まずウィッグの左側から見てくれる? で、このコームがカットの切り口だと思ってね。今の状態は時計でいう12時。これはレイヤー。上も下も同じ長さ」


 私は左側に移動してそれを見る。コームを時計の針に例えているようだ。

 次はそのコームを少し斜めに倒した。床と45度位の角度。


「2時の角度はうえが長いからグラ」


 次は床と平行になるまで倒した。


「3時。これがワンレン。じゃーこれは?」


 そう言って、5時くらいの角度までコームを回転させた。


「うーん」

「これがイングラ」


「おお! なるほど。じゃーさ……んーと11時とかは? 言い方あるの?」

「ついでだしメモしとくといいかも。実は12時の上と下が同じってのはセイムレイヤーっていうの。11時とかはレイヤー。もっと極端に9時とか8時はハイレイヤー。でもセイムもハイレイヤーもレイヤーの種類」


「ふむふむ」

「本題に戻るね。イングラの切り方は何個かあるんだけど一番簡単なやり方が、ワンレンの横スライスならガイドより数ミリ長く切る方法。だから、ネープのガイドは目標より短く設定するの。よし、じゃー切ってみよう。お客様の注文はワンレンで顔は目尻位まで出すセンターパート、いつもブローでスタイリングしてる。ってことで」


「う、うん。なんかそういう設定あると緊張してきたー」

「ふふふ」


 言われるがままに私はカットを進めた、ネープ付近は2センチ弱切る部分があったが、進むにつれて1センチ半、1センチと切る部分が短くなっていった。ワンパネルずつ数ミリ長く切っているからだろう。


 耳横とフロントはカットせずドライ時に切る。あと、何故かつむじ辺りのトップも最後に切るとのこと。

 下したとき髪の表面になるつむじ周りは、ブローなどしてから切ると失敗が無いらしい。


 イングラにカット。テンション掛けないように粗歯でシェイプ。指でパネルを挟んだときテンション掛けない。カット自体は思ったより難しくなかった。でも、理奈お姉ちゃんは何を思ったのか実践を想定して会話を求めてきた。ウィッグ役は理奈お姉ちゃん。


 これがとても難しい。話すのが難しいのではなく、話すと手が止まってしまうのだ。逆もしかり。カットをすると話しが止まる。

 私は以前謙と話した『一つに集中しながら他の事も考える』というのを思い出した。そして、それがいかに難しいことなのかもわかった。


 目の前のお客さんをカットしながら話しするだけで一杯なのに、店内状況さらに掛け持ちのお客さんの状態、予約時間など。頭がパンクするのではないだろうか?


「ほら! 手止まってる! 動かして!」

「は、はい!」


 私はいつの間にか敬語になっていた。お客さんを想定してではなく、理奈お姉ちゃんに対してだ。

 だんだん謙に接してる時の理奈お姉ちゃんになってきている気がする……。


 ウィッグのカットをしながら会話も頑張っている私。後ろのベッドでタバコをふかす理奈お姉ちゃんという鏡越しに映る恐怖。空気清浄器に向かって煙を吐く姿がまた何とも……。


「せ、先生! 言われたところまでカット終わりました!」

「おっけー。そのままブローして。ドライヤーはそこにあるから。10分でブロー」


「は、はい!」


 10分て……。家で練習してる時もっと時間掛かってたかも。20分位。早くやらないと。


 後ろから『ピ、ピピピ』と電子音が聞こえた。鏡越しに見ると、理奈お姉ちゃんがタイマーに時間を入れている。

 急いで鞄からデンマンブラシを出してブローに入る。


 しかし、三脚クランプが軽いのか、デンマンで毛を引っ張ると傾いたりしてやり辛い。


「足! クランプを足で押さえろ!」

 後ろから大きな声がする。


「はいー!」


 恐怖のプレッシャーとドライヤーの熱で汗が出てくる。

 急いだせいかいつもより仕上がりが悪いが、ブローは時間内に出来た。


「先生! 出来ました!」

「よし、ネープのチェックカット! 次にトップの残ってる毛をカット。フロントはサイドに引いて飛び出してる部分だけカット! テンションに気を付けろ!」


「イエスマム!」


 言われた通りカットを終わらせた。出来栄えは今までで一番綺麗。イングラで徐々に長く毛を残して切ったはずなのに、切り口は綺麗にワンレングスになっている。ガタガタだったフロントとサイドも一直線になっている。


 理奈お姉ちゃんはウィッグを片手に持ちコームでチェックしている。


「うん。いい! 千夏ちゃん器用だね。普通美容初心者がこんなに綺麗にカット出来ないよ。ブローもなかなか。美容師向いてる」

「ほ、ほんと?」


 理奈お姉ちゃんは優しく私の頭を撫でてくれた。いつものお姉ちゃんに戻っている。

 私はなんだかとても嬉しくて涙が溢れてくる。


「頑張ってる千夏ちゃん見てたら私もやりたくなってきちゃった。やってもいい?」

「ん?」


 私はその意味が分からなかった。理奈お姉ちゃんは私を撫でた手をそのままに、コームでパネルを引き出し始めた。


「このカラー誰やったの? ムッラムラじゃない! まさか謙じゃないよね?」

「じ、自分でやった」

 私は鼻をすすりながら答えた。


「もう。なんで謙にやってもらわないのよ!」

「……」


 さっきとは違う涙が出そうだ。

 少しの沈黙の後ため息が聞こえた。


「直してあげるから頭洗っておいで。髪も切ってあげよっか?」

「……うん。え? やってくれるの?」


 私は涙が吹き飛んだ。そしてお腹から夕食の時間を知らせる合図が大きく鳴り響く。私は顔が熱を帯びるのを感じた。


「……の前にご飯食べにいこっか。ふふふ」

「もう、恥ずかしい……」



 理奈お姉ちゃんに髪をやってもらってから2日経ち、1月8日月曜日。


 髪型は夏に切ってもらったスタイルと同じくしてもらった。カラーも今までと同じ少し寒色が入った茶色。理奈お姉ちゃん曰くアッシュ系というらしい。


 そんな私は街の地下鉄に乗り、コンビニで待つ。

 今日は、少し遅れたが初詣に行く。私は辞退したかったがそれは許してもらえなかった。


 雑誌コーナーで興味も湧かない旅行雑誌を手に取り時間を過ごす。このコンビニは神宮前店ということもありかなり混んでいる。

 ガラス越しに見える道路は、三が日程ではないが初詣に向かう人たちで賑わっている。


 しばらくすると、走ってコンビニに入ってくる二人のカップルが見えた。

 そのカップルは手を繋ぎ、一つのマフラーを一緒に巻いている。バカップルってやつだ。なんだか腹が立つ。


 そして迷うことなく真っ直ぐに私の元に来る。二人とも鼻が真っ赤だ。

 私は少し怒りを込めてカップルに言葉を発する。


「あんたたちセンター近いのにこんなことしてていいの?」


 彼氏の方は繋いでいない手でグッジョブサインを出してくる。彼女の方も同じくシンクロして出してきた。

 私は軽く舌打ちをする。


「あ! 髪切った? まさか仲直りできたの?」

 私の舌打ちを無視するかのように彼女が訊いてくる。


 彼氏も「まじか! やったな! だったら今日来ればよかったのに。あいつ用事とかいいやがって」と言っている。


「切ったけど謙にやってもらってないよ。そもそも仲直りって……喧嘩した訳じゃないんだし」

「なーんだ。残念」


「やっぱり私帰る! 二人で行ってきなよ!」


 私は持っていた雑誌を棚に戻すと彼氏が謝ってきた。


「わりいわりい。やりすぎた……だから初詣行こうぜ?」

 そう言ってマフラーを解き、繋いでいた手を離した。


 彼女は鞄から自分のマフラーを取り出して巻いている。


「別にいいんだけどさ。イツメンでいるときくらい普通にしてもらった方が私的に助かる……」


 すると彼女が口を開く。


「ちょっとビックリさせようと思っただけだよ。ごめんね」

「でも私いないときはさっきみたいな感じなんでしょ? ほんと羨ましー。私もバカップルやりたいよ」


 二人は少し顔を赤くして目を背けた。ちくしょうめ!

 私は踵を返して温かい飲み物がある棚に向かい、後ろを付いて来ている二人に話しかける。


「二人が付き合った祝いにジュース奢ってあげる!」


 しかし返事が返ってこない。振り向くと何やらいちゃついている。


「彩月! 浜田! ジュース奢ってあげるからえ、ら、ん、で!」


 そう。この二人は付き合ったのだ。

 告白タイムは辞退したが、それから日にちが経ち冬休み前、浜田はあの公園で彩月に告白した。

 私も彩月を呼び出す役としてその場に居合わせた。


 私の予想は間違っていなかった。彩月は浜田のことをずっと好きだったようだ。彩月も浜田の気持ちには気付いていたようで、告白されるのをずっと待っていたとのこと。

 告白直前の浜田は、告白内容を記した作文用紙を持っていたが、いざ告白となると『好きだー!』と叫んだだけ。


 とんだ拍子抜けだった。以前『お前だけは笑わないで見守って――』とか言ってたくせに。正直叫んだ瞬間笑ってしまったよ。でも結果こうなって私は安心している。

 

 私たちはホットココアのペットボトルをカイロ代わりに参道を進む。


 この神社は、私たちの住む地方で最も大きい神社。六月には様々な奉納行事も行われているらしい。見に来たことはない。


のり君! 真ん中歩いちゃだめだよ! こっちきて」


 浜田は彩月に叱られている。私は典君って呼んじゃってる彩月を糸目で見ながら進む。


 浜田の名前は典明のりあき。浜田は自分の名前が嫌いらしく、名前で呼ばれるのを嫌がる。でも、彩月に呼ばれるのはいいのか……。カップルってすごい。


 手水舎に着き、横にある清め方の書いてある看板を見ながら手と口を清める。毎年来てるけどいっつもやり方忘れちゃうんだよな。


「典君! 口付けちゃダメ!」

「ええ! そうなの?」


 もはやカップというより母と子。

 浜田よ、今年大学生になろうという歳なのに……。


 かじかんだ清まった手をココアで温める。


 神前に着き、三人で横に並ぶ。


 私は手を合わせ目を瞑る。


 家族がまた一年健康でありますように。

 この二人が無事大学に受かりますように。

 ……謙が……元気で? 違うな。謙と付き……違う違う違う。うーん。謙が専門学校受かりますように。でも専門学校だから受かるよね? この辺りの美容学校は毎年定員割れって聞いたし……。さっきの無し無し。

 うーんと、謙が幸せで……なんか違う。

 

 ……謙と今までどおりの感じに戻れますように。よし。


 私が目を開くと、二人が覗き込むようにして待っていた。


「千夏長かったねー。何お願いしたの?」

「ナイショ。おみくじ引いてこ。二人はちゃんと絵馬も書いてね! 合格祈願!」


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