「点Cの雨模様」 2すらいす

 謙の家に到着し、私は謙の部屋で待ちぼうけをくらっている。


 中学以来に入った謙の部屋。窓の下にベッド、その横に勉強机。大き目のメタルラック。壁側に追いやられている折り畳みテーブル。

 そして、部屋の大半を占めている練習スペース。

 大きめの姿見に、三脚式のクランプ。下の店にもあった美容用ワゴン。クランプにはウィッグが挿してあり、前下がりボブにカットされてある。


 メタルラックには大量のウィッグが置かれていて、さまざまなヘアスタイルにカットされている。

 私はこのメタルラックが苦手だった。今でも抵抗はある。


 小学校のときはまだ無かったが、中学に入ったあたりから1体2体と増え始めたのだ。

 顔が描かれているウィッグからは常に視線を感じ恐怖感を覚える。

 それからというもの、私はこの部屋に踏み入れるのを拒み始めた。きっとその頃から公園に行くようになったのだろう。


 そんな事を思い出しながらウィッグを眺めていると、とても目を引くものが1体あった。

 それは目を瞑り、口紅をひかれ、チークを施し、髪の毛は白に近い金髪をベースに、鮮やかな緑やピンクに部分的に染めてある。そして、ソフトクリームのようにヘアセットされている。


 なんで目瞑ってるの? 最初からこうなってるウィッグなのかな?

 私は手に取り、まじまじと観察する。


 ウィッグの台座部分にはメーカー名と商品名が書かれている。他のウィッグも全て同じ名であった。

 目を瞑っているのはこれだけなのである。


「え……まさか……い、生きてる……の?」


 髪が伸びる日本人形の怪談話を思い出す。 

 私は恐怖から手が震える。そして、生唾をごくりと飲み込む。


「お前何やってんの?」

「ぎゃー!」


 いつの間にか謙が入って来ていたらしく、背後からの突然の声で私は尻もちをついた。 



「あははは、やべー腹いてー」

 謙はベッドで腹を抱えて笑っている。


 私は顔が熱いまま正座をしている。


 さっき『ウィッグが生きてるかも』と、目を瞑ったウィッグを片手に言うと。

 謙は真剣な顔で『あ、そのウィッグ触っちゃった? やべーな……お祓い行かないと……。台座の裏見たか?』というのだ。

 見ると、裏にはマジックで『理奈』と書いてあった。

 謙は続ける。『理奈ってのはな、そのウィッグに憑りついている霊の名前なんだ……』と、手を合わせて言った。


 私は本気で信じてしまい。『塩! 塩! 早く塩!』と取り乱してしまったのだ。

 その私の慌てっぷりが相当ツボに入ったらしく、謙はヒーヒー腹を抱えているわけだが。……もう、すっごい恥ずかしい。


 ウィッグに描かれている目や眉毛などは除光液で簡単にとれるらしい。

 目を閉じているように見える仕組みは、除光液で目のインクを取った後に、つけまつ毛を下まぶたにくっ付けることによって、そう見えるのだ。


 前に謙が、つけまつ毛付けると可愛いと言っていたのを思い出した。こういうことだったのか。

 理奈は謙のお姉ちゃんの名前である。


「なんで理奈お姉ちゃんの名前書いてあるの?」


 謙は涙目で教えてくれる。


「姉貴は美容学校行ってたからな。そのウィッグは学校のコンテスト作品で、優秀賞取ったやつ。……ぷふっ」

 まだツボに入ったままなのか、私の顔を見るとふきだした。


「え、お姉ちゃん美容師なの?」


 理奈お姉ちゃんが高校卒業後どこに行ったのか私は知らなかった。

 歳が4つ上なので、中学では入れ違い。高校は札幌の学校に行っていたので、たまに見かける程度だった。小学生の頃はよく一緒に遊んでいたのだが。


「いや。キャバ嬢」 

「えー! 嘘でしょ? 理奈お姉ちゃんに何があったの? キャバとか絶対やらなそうなのに」


 私の知っている理奈お姉ちゃんは、清楚で大人しい人だ。


「まじだよ、二ヶ月で美容師やめてキャバ嬢。まじもったいねーよ。ワイコンだって優勝とかしてたんだぜ?」


 私にはそれがどの位凄いことなのかは分からないが、優勝だから凄いのだろう。


「わいこんって?」

「ワインディングコンテスト。パーマのロッドを時間内でいかに綺麗に巻くかを競うコンテスト。……なんでキャバなんだろうな。姉貴は『今はやらない』って言ってたから、そのうち美容師やるん

じゃねーかな? とは思ってるんだけどさ」 


「そうなんだ。美容師に戻ったら私頭やってもらいたいな。それより、そのワインディングやってみたい!」

「まじ? 俺一番嫌いなんだよな……」


 私は目をキラキラさせて謙を見つめる。


「ったく、分かったよ。準備するから待ってろ」


 謙はクローゼットを開けて、中からワインディングの道具を出している。

 ビービーラボにもあった3万する専用ウィッグも出てきた。台座の裏には『矢元理奈 2-A』と書いてある。

 謙は次々とセッティングしていく。ワゴンの上は、もう物が置けない程ぎっしりとしている。

 大量のロッドとそれが入っているケース、輪ゴム、プラスチック製の小さいティッシュの箱みたいな物、リングコーム、スプレイヤー、タオル。

 ロッドはカラフルで、橙、ピンク、黄色、青、緑の順で綺麗にならべて置いてある。よく見ると、これは太さの順になっているようだ。


 準備が終わったのか謙は髪を濡らしていく。そして、リングコームを使い髪を綺麗に分け始めた。


「それ何やってるの?」

「これは、ブロッキングっていって、巻きやすいようにあらかじめ髪を分けておくんだよ」


 ブロッキングは12に分けられ、毛束はゴムで止めてある。


「そのティッシュは?」

「ティッシュ? あー、これか? これはペーパーっていって、巻く時に使う紙だよ」


「へー」


 そして、12ブロックの一つのゴムを外した。トップの部分だ。


「いいか、分けた毛の横幅は、このロットと同じ幅にしてあるんだ。で、縦幅もロットと同じ厚さくらいでとる」

 謙はそう言いながら、リングコームの尖った方を使って、毛の一部を綺麗にとり人差し指と中指で挟んでいる。


 分けられた根元を見ると、ロット幅の綺麗な長方形になっている。

 その後の説明は、専門用語ばかりで理解が追いつかなかった。『で、ステムは頭皮に対して120度、根元からシェイプを表と裏一回ずつして、中指と薬指にペーパー挟む。ロッドをこう支えながらペーパーと一緒に巻き込む。中間まで巻いたらテンションかけながら根元まで巻いていく。で、キュッと締めて、最後はこのロットの爪にゴムを掛ける。と、上巻はこんな感じ』


 ステム? シェイプ? テンション? 上巻?

 頭が爆発しそうだが、動きは見ていた。見よう見まねで同じくやってみる……。


 やってみる……。やってみる……。


「がー! 巻き込めない! もー!」

「もっとウエットにしてみろ」

 謙はそう言って、スプレイヤーで私の掴んでいる毛束を手ごと濡らしてくる。


「ちょっと! 冷たいんだけど」

「いいから。それでもっかいやってみろ」


 すると、水分を含んだからか。ロッドに毛とペーパーが貼り付き、巻き込むことが出来た。そして、輪ゴムを掛ける。


「やったー! 巻けた!」


 謙が先に巻いたロッドと比べると、巻いた表面の毛がぐちゃぐちゃで汚い。角度も傾いていて、右側が根元から離れている。

 謙が巻いたロッドは、毛が川の字のように綺麗に巻かれていて、ツヤすらある。収まりの角度もしっかりしている。


 ホントに嫌いなのか? と疑いたくなるほどだ。しかし、次の謙の発言で、私は嫌いの意味を理解した。


「お前いま一本巻くのに5分位やってたんだけどさ、試験は全頭で20分。ブロッキング時間込みで」

「え? 全部で何本あるの?」


「50本くらい。ブロッキングとかも時間に含まれるから、一本20秒位で巻いていかないと間に合わない」

「えー!」


 私は1本5分だから4本しか巻けない。50本なら250分……4時間以上かかる。20分って、ほんとに人間が出来ることなの?


「ちなみに姉貴は平均13分でやってた。1本12秒位かな」

「……お姉ちゃんって人間?」


「うん。俺のときの国家試験科目にならなきゃいいな。ワインディング」

「それって、これが出来なきゃ美容師になれないってことでしょ? ガーン! ん? 他にも科目あるの?」


「実技は2つやるんだけど。カットが必須で、もう一つがこれか、オールウェーブ」

「オールウェーブ?」


「俺もやったことは無いけど、姉貴が練習でやってるのは見たことある。なんか、ローションでぬるぬるにして、波みたいな模様に頭をセットしていくんだ。後ろはピンでカールをいっぱい作ってた。たまに外国の女優とかがそれを使ったスタイルやってるらしいけど、一般的ではない」

「ろ、ろーしょん……ぬるぬる……」

 私は顔が熱くなった。


「お前変な想像してない? ヘアローションな。化粧水だってフェイスローションって言ったりするだろ?」

「わ、分かってるわよ! もう! ……じゃあ、ワインディングかオールウェーブのどっちかが科目になるのね」


「そそ、姉貴のときはワインディングだった。……ってかそろそろ下行ってくるな。タオル干さねーとだし。お前はやりたかったら、それやってていいぞ。あとこれ……」


 謙は視線が泳いでいる。


「なに?」

「その……明日お前誕生日だろ……早いけど、ぷ……プレゼント。俺明日手伝いで忙しいしさ」


 そう言って、細長い包装されたプレゼントを渡された。


「え。あ、ありがとう! 開けてもいい?」

「お、おう」


 恥ずかしいのか謙はウィッグを見ている。

 私は綺麗に包み紙を開き中を取り出す。


「あ、これ! わ! や、やったー! ありがとう。めっちゃ嬉しい! ずっと大事に使うね」

「おう。じゃー下行くわ」


 謙はこの場を逃げるように部屋から出て行った。



 私は鼻歌を歌いながら自転車で帰り道を走る。

 自転車のカゴには、ウィッグに借りたクランプと100均のレジ袋。借りたシザーもケースと一緒に入っている。


 空はもうオレンジに染まっている。そして、お腹から夕食時の合図が鳴る。

 お腹すいたなー。あんなに集中したの何時ぶりだろう。ワインディング難しいけど楽しかったな。


 誕生日か……。謙には何もあげてないな。

 でも、お金が……。


 謙の誕生日は5月19日でもう過ぎてしまっている。おめでとうしか言っていない。


 お母さんに頼んでお小遣い前借するか。

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