7

 食堂で私は明日葉きつねそばを、妹は仙台牛タン丼を、義弟はカキフライカレーの大盛りを注文した。施設を出ると林道を下り舗装された道路へ入った。どのミラーにも車の姿を見とめないままに町内で唯一の交差点まで辿り着き、路肩に駐車してもらい三人で連れ立ってセブンイレブンへ入った。義弟は真っ先に雑誌売り場へ赴き立ち読みを始め、私がバターシュガートーストを買うのを見て妹は「うちの旦那みたいに大盛りにすればよかったのにー」と言って自分のカゴにコーヒーゼリーを入れた。「まーちゃん、旦那とか言うんだね」「え? まあ」妹は頷いた。「でもさー、みーちゃんも結婚したほうがいいよ。なんだかんだ。やっぱ」「子ども、かわいい?」「モチ!」と妹は言ったが、それが「もちろん」という意味だと気づいたのは支払いの済んだ直後だった。相応の歳になり別の職場でよろしくやっているであろう派遣の人に似た、というより私の想像上のその人に似た、背の低い肥えた女性がレジを操作していた。義弟は引き続き漫画雑誌を読んでいて、やはりというかこのような離島にもきちんと配達されるものらしかった。「やっぱ女の子はいいよね、男の子は大変だよ」妹は店員にコーヒーゼリーを渡した。車に戻ったとき、義弟が読んでいた雑誌を購入していることに気づいた。「またそんなん買ってさ、お金の無駄だよ」妹は笑いながらシートベルトを締めた。「でもソコドの本屋潰れたからさ、当分漫画とか買えねえし……」エンジンキーを回した。しばらく直進していった。「ハイレゾにもなかった?」「ダカダさんとこ?」「うん」「もうとっくに潰れたっつの」義弟はなぜか妹を嘲笑した。家並みの明かりがいくつか垣間見えた。「本土のほうだと本屋が潰れるとか、ない感じなの?」「うーん、どうだろう」妹は気づいているのか無視しているのかわからないが返事をしながらブレーキを踏み、すると突き当たりは海だった。闇の濃淡が急激に退いたので青くなかろうが海鳴りが聞こえなかろうがそれと知れるのだった。「まあ金があったらこんなとこいないって」義弟が言い、妹は信号のない丁字路でウィンカーを出した。右折して海岸通りを走行した。背の高いヤシの木がいくつも植わり、簾のような葉が重なり合いながら垂れ下がっていた。やがてペンションへ着くと二人は台所へ入った。「ばーっ!」「うあーっ」「起きろー散歩だぞー」「今何時?」「八時」「ああ、早いな」「飛ばしたからね」というやり取りが漏れ聞こえて来て、私は麦茶を飲んだ。そしてこの子ちゃんを含めた私たち四人は、夜の八時すぎだというのに、街燈の他にほとんど明かりが見えないというのに、小道を抜けて海岸通りへ出ると車で往復した道を雪駄やサンダルやヒールや登山靴で歩いていった。キャンプ場があり灯台があった。途中で浜辺の歩道へ続く階段が分岐していて義弟の提案でそちらの道を辿ると生き物のように蠢動する墨色の海面が迫り、やがて海水浴場へ辿り着いた。アプリで確認するとフェリーの発着場とはちょうど真向かいの位置にいるらしかった。「盆過ぎも泳げるんだよここ、本土と違って海の家、十月まで出てるから」姉がつぶやいた瞬間に「うみー」とこの子ちゃんは叫び、「ばあーっ」と奇声を発して黄土色の砂にまみれたスロープを駆け下りた。黄色い旗が浜辺へ降りるためのスロープにくくられ、潮風を受けて大きく膨らんでいるのがおぼろげに見えた。煙霧のような薄明を帯びた波濤の連なりが、岩勝ちな汀で低い音とともに立ち上がり、弾けて気泡となって浜辺に拡がるのを繰り返していた。なにをしているのだろうか、まさか泳いで小島へ向かうつもりだろうか。「この子」という男性の声が隣で聞こえ、見ると義弟は闇の中でズボンを脱いでいた。すぐに上着も脱いだ。いっそう黒い腋窩の繁茂が露わになり、周囲の肌色の中心で海面に揺れるブイのようにそれは目立った。潮風とは異なる腐臭がむっと押し寄せて顔を背けている間に彼は駆け出した。「転ぶなよっ」と娘へ叫びながら自分は全力で疾駆し、浜辺へ降り立つと大きく振りかぶって波間へ跳び込んだ。その先にはこの子ちゃんの着ている、赤地に水色の水玉の幼児用の水着の柄が浮かんでいた。着ている幼児がそのまま消失し、水着だけが浮遊しているように見えた。「先に戻るね」と言い残し、私は現場から逃走した。走ったわけではないし鍵を持っているわけでもないから戻っても屋内へ入れるわけがないのだが、早歩きで逃げた。スロープをつたってさきほどの歩道へ降り、なるべく海を見ないように呼吸をしないように辿っていこうとしたがそのようなことが出来るはずもなく、どこまで歩いても私の傍らでは海流がうねり吐息のような潮風が香った。スロープを掴み、足下を懐中電灯のアプリで照らしていると波も巨大な容積としての水もなく、ただ音だけの存在なのではないかという妄想が頭をもたげた。あるひとつの感覚がもぎとられると、外界はたちまち噛み合わせを失った破片となって身体の中へ絶えず侵入してくることを私は学んだ。透き通る海底に珊瑚を探して潜るよりもはるかに切実に、私は海を体内へ浸潤させていた。私は自分が波間に埋もれ岩礁に砕ける妄想を噛みしめながら、誰の弔いでこんなことをしているのかと一両日にわたって考え続けていたことを初めてはっきりと、疑問として自身へ提示してみた。もちろん父だ、それはわかりきったことだ、しかしその父というのは本当に私の父だろうか。もしそうだとすれば、私の家族は捏ねられ丸められて卒塔婆を刺され海へ流されるために、七十余年の歳月を歩んできたということになるが、そういうものだろうか。父のことを私は考えてみた。三時を回り、エレベーターで一階へ降りていった。病棟に入っている薬局へ向かい、店員に尋ねてDパンツを二つ買った。チェーンの喫茶店もあったので荷物を持ったまま入るとカフェモカとBLTサンドのセットを飲食し、次に花屋に寄った。「夏の花っていうと何かありますかね? その、ユリとかじゃなくて、病床に置いても大丈夫な」「あー、そうですねえ」茶髪を茶色の髪ゴムで結った、女子大生のような身なりの店員は店内を彷徨ってから「これなんかいかがですか?」と小ぶりな鉢を持ち上げた。ビニールを被せてもらい会計を済ませてから小脇に抱えて病室へ戻った。扉の前に来ると同室の人なのか車椅子に乗った中年の女性が現れた。隅に寄ってから中へ入りカーテンを開けるとパイプ椅子には誰も座っておらず、父だけがベッドの上で起き上がって口を動かしていた。入れ歯を捜しているのだと荷物を置いてから気づいた。枕元にあったので手渡すと父は顔の皺を正中線上に蟻集させて「ああっああ」とそれが地中から湧いて出てきたかのように叫んだ。顔だけでなく、首筋や腕や手の甲や胸元などあらゆる場所に皺が蟻集していた。「まーちゃん知らない?」「知らん」私は椅子の上に置いていた鉢を両手で抱え「お父さんこれ、あじさい」と言って父の眼前に掲げた。父は花を見た。白い蘂が鈴なりに伸びていた。「お父さん覚えてないと思うけど」私は喋りつづけた。「これね、まーちゃんが言ってたんだけど、私は憶えてないんだけど、お父さんが昔、お母さんと駆け落ちするときに贈った花なんだよね? 憶えてる?」父はしばらく黙っていたが、いきなり「憶えとるよ」と言った。私は「そっか、そうなんだ」と言った。「お父さん炭鉱で働いてたもんね」「うん」「毎日汽車使ってたから田舎の家が線路のすぐ近くにあって、そのときお父さんと、お母さんと、亡くなった姫路の伯父さんと」「ああそうだな、おらと、あんたのおがさんどな、あの兄貴だな、馬鹿兄貴と」「そうなんだ、やっぱりそうなんだ、これ花屋さんの話だとアカガクアジサイって言って赤い品種だから、お父さんが贈ったやつとは」「うん、違うな、少し、色が違うな」「そうだよね? でも、まあ、なんか、ちょっとね、いいかなと思って買ってみたんだけどどうかな? いいと思わない?」「うん」父は頷いた。妹か看護師に了解を取るべきだと気づいたが、本人がよいと言っているのだから構わないと思うことにした。見舞いの品としては変でもない。私は少し背伸びをして、ベッドの枕元の、デジタル式の置時計と簡易な蛍光灯の設えられた出っ張りに鉢を置こうとしてバランスを崩し、病床へ倒れ込んでしまった。焦慮にかられたが、父は怪我など何もしていないようだった。「ああごめん」と言ってから立ち上がりかけた私の抱えた鉢のあじさいの茎を、父は掴んで一気に引き抜いた。茎とともに根の植わった土も引き出された。途端に砕けて蒲団の上に散乱した。それに厭わず目もくれずに、先端で色をつける花を父は口の中へ運んだ。土に気を取られ手でかき集めたそれを薬局のビニール袋に入れる作業に没頭していたので断続的な咀嚼音でようやく気づいた。唇をこじ開けようとすると父は頭を激しく振り、歯軋りをしながら熱心に噛んだ。「いねぐねの、おら」父は嘶き、粘液のような涙を流した。開いた口からよだれにまみれた花びらがこぼれ落ちた。花びらからは父の口臭がした。噛み潰され繊維の裂けたそれらに、魚卵のような蘂の粒がまといついていた。「どしたんですか」後ろから聞き取りにくい声が聞こえ、振り向くとあっくんだった。父ではなく私を見ていた。「土」とあっくんは言った。私の隣に来ると蒲団の上で破砕した土の塊を手に掬って「これ?」と言って顎でビニール袋を指し、頷くと袋へ入れた。父は既にほとんどの花を呑み込んでいた。視点が足元に散乱する土に固定されていた。あっくんのことも私のことも見ていなかった。片付けに十数分を要した。「あーあ」袋を結んだあっくんが溜息をついた。「ああ」あくびをしてから眼を擦りかけたが、土に触れたことを思い出したのか途中でやめた。「ごめんね」と私は言った。とんだ失態だった。後始末は済んだが無言で帰るわけにもいかない、妹が戻ってきたら顛末を説明をしなくてはならない。しかしあっくんは土の入った袋を片手に持ちパイプ椅子に座っている私を見下ろしたまま、「あの、失礼なんですけど」と怯みながら言った。「はい」「あなたいったい誰なんですか?」「は?」「なんか、さっきからずっといますよね?」「え? いや、あの、妹の、お母さんの、姉ですけど」「はあ?」「姉、です」「あのー」あっくんは顔を顰めた。「さっき母にトイレの入り口で訊いたんですけど。あの人誰、って。母さんの親戚なのって。そしたらなんか、知らない、とか言ってるし。みーちゃんだよー、とか言っていきなり病室入って来て、すげえ怖いけど親戚かって思って話合わせてるとか言ってるんですけど。いやマジで誰? 俺も初めて会ったんだけど」部屋は無音になったが空調は動いていた。「私だってあなたに初めて会ったよ」と私は言った。蝉が鳴いていた。この島には蝉がいないと私は考えた。砂嵐のせいだろうか、いやちがう、砂ではなく火山灰だ。私たちの前で餅を連想させる柔らかな固形物となったあっくんは、浅黄色の肢体を蛍光灯の明かりで乳色に染めて鎮座しているのだった。妹はそこに、天花粉のように細かく砕かれた火山灰を塗りこんでいった。手入れをする習慣がないのか年齢に比しても肉の落ちた、体積は減っているはずなのにかえって太く見える指がマジックペンのような黒に染まり、私は夜の海に似ていると思った。骨はまだ鳴っていた。「これどうする?」義弟は鉢を持ち上げた。突き立つ卒塔婆を厭わしげに避けていて、腰をねじるようにして上体を右へ傾かせていた。「あああ」と妹は噫のように呟きそれは私に父の福祉センターでの寝息を想起させ義弟の鉢が父であることを追認させた。「いいよそれは、あの、もう直で渡しちゃっといて」義弟は卒塔婆を刺し直した。真っ直ぐ屹立していて、竹林のようだった。梵字のしたためられた竹林の向こうに彼の顔が黒土から突き出ている、そういう光景を幻視させた。「出航いつ?」「八時」「ぴったり?」「ぴったり」妹は上体を乗り出し、あっくんを折り畳んだ。中心に向けて渦潮のように寄り集まる手足の指はじゃがいもの芽のように突き出ていて、妹はそこに調理用のハサミをあてがい切断した。手つきが一瞬止まりかけたので芯が埋まっているのかもしれなかった。浅黄色の体液が断面から飛び散りビニールを汚した。妹はあっくんを捏ねた。澱みのない慣れた手つきで、父の面倒をこのように看ていた彼女の日常を私は想像した。「黄ばむからこうやって裏を表に」妹は説明し私は助力しなかった。やりたいと思わなかったし手伝いを請われることもなかったので離れた場所で待機していた。職員のほうを向くと、彼は部屋の隅のテレビの前で床に足を投げ出し尻餅をついて座っていた。音声が聞こえてきた。DVDを流し始めたらしかった。〈私たちの葬送文化〉というタイトルの下に白地で〈東京都島支庁島町観光課監修〉という副題が出ていた。〈古くからこの大島では、故人を葬る際に独自の風習が営まれてきたのをご存知でしょうか?〉と中年女性とおぼしきナレーターが言った。映像は大島と小島の全景を映していた。ちぎり取ったような白雲が凧のように海面に浮かんでいて、空は伸びやかに晴れわたり青かった。〈亡くなった人を夜更けとともに小島へ送り出す――島の人たちにとっては当たり前ですが、都や本土の方々にとって、これらはとても珍しい光景です。当福祉センターではご遺族のネツソウのお手伝いを行うとともに、島の文化を紹介する活動を行っています。当センターを初めて訪れた方は、まずこのビデオをご覧になることをおすすめしています〉私は画面に近寄ることも手伝うこともせずそれを観ていた。鋳造の対象はもはや二人がかりで作業すべき大きさではなく、観賞用の灌木を容れるような鉢に容れて差し支えないまでに縮んでいた。図解に視線を移すと、野球帽を被った男児がパーマをかけた老婆の灰色の臀部を真っ黒な掌で打ち叩いているイラストがあり、〈島の火山灰には乳化を促進する効果もありますから、愛する人を生前のように若々しい姿にとどめることができます〉という説明を読んでいると〈わが国の埋葬文化においては、明治以降の近代にいたるまで、ほとんどの地域で土葬が一般的だったとされています。ですから、およそ6500年前に人が定住をはじめてから、江戸幕府の流刑地としての選定など、外部との多岐にわたる接触にも関わらず、ネツソウという独特な埋葬方法を保ってきた島の文化は、とても珍しいものであり、日本だけでなく、世界の考古学者や民俗学者から大きな注目を浴びているのです〉というナレーションが聞こえて、しかし夜の海辺を歩く視界には白い点滅がちらつき、それは灯台の投げかける光だった。船舶を導き航路を鋳るための信号が、無関係な人間をも照射しているのだった。〈島に伝わる昔話に、〈花魁の婆撃ち谷〉というものがあります。旦那殺しで島に流されたお雪という花魁が、島の漁師と恋仲となりました。つつましく暮らしていた二人でしたが、お雪は次第に年老い、やがて息を引きとりました。悲しみに暮れた漁師が彼女を番屋の前に埋めると、しばらくして、身体の腐った花魁が島じゅうを夜な夜な徘徊するという噂が流れました。そこで漁師が満月の晩、火を焚かずに番屋へ潜んでいると、果たして女が軒先に立ち上がり、あらぬ方角へ歩いていく光景を目撃しました。漁師はお雪を、現在のソコド附近にあるとされる谷へ追いつめると、銛で胸を貫き、谷底へ落としました。現在では、これは島民の、土葬への忌避感を示したエピソードとされています〉およそ六秒に一度出来する点灯の瞬間に彼岸の隆起がほの見えた、そこにあるのが私たちの明くる朝の目的地だと気づいたのは、鼻先に硬い陶器の感触がぶつかり、牛乳に汚水を混ぜたような臭気を嗅ぎながら足下ばかり照らしていた明かりを眼前に向け、大小様々の鉢が煉瓦のように積み上げられているのを発見したときだった。円筒状のものがあり、三角錐の頂点を切開した穴から造花を挿したものがあり、球形や紡錘形など常時の携行を前提としたものもあり、それらは各辺や角度を組み合わせることでいびつな図形を形成していて珊瑚の屍骸を思わせた。〈西洋における吸血鬼伝説や、ハイチのブードゥー教におけるゾンビのように、強烈な死者への畏怖が読み取れる伝承は、古今東西、多岐にわたります。私たちの島における葬儀も、当初は単に小島へ遺体を流す、というものであったと考えられています。しかし、およそ500年前から、実際に人が小島へ上陸し、土葬を行っていたことが人骨の出土によって判明しています。一七世紀の探検家、尾形昌蓮の見聞録『異人島風土記』には、「この島の人びとは、亡くなった人びとを搗き餅のごとく捏ね上げ、湾に生えた一回り小さな島に埋める。このため小さな島に人びとが近づくことは絶えて無い」という記述があります。また、直接的な起源は不明ですが、ネツソウの後に大島から花束を流す風習は、西洋文化の流入が活発になった明治時代後期から大正初期にかけて本土から持ち込まれた、という説が有力です〉家名らしきものが彫りこまれた星形のものの表面を指先でなぞっていると、遠くから「うわん」とも「わわん」ともつかぬ声がして、そちらを見晴るかすと人気はなく海があり、声ではなく海鳴りだった。鉢の積載から離れ、来た道をやや戻るとさらに下方へ降りるための、手すりのない剥き出しの階段があったので降りていった。〈当センターでは、外科、眼科、泌尿器科、およびリハビリテーション科の外来、グループホームに加え、島の人びとが手ずから行っているネツソウを外部の人びとに体験してもらえる体験コーナー、専用の道具や容器の販売ショップを併設しています〉海岸には投げて砕いたような露岩が積み上がり、明らかに遊泳に適さないことは夜目にも判ぜられた。歩行のたびに足裏が痛み、汀には白い線虫が数えきれないほど泳いでいて凝視すると岩礁の隙間に入り込んでくる海水だった。攪拌され泡立っていた。踝が飛沫に濡れる感触が伝わってきた。私の足先からやや離れたところに白いボートがあった。〈ご不明な点は、お気軽に職員へお尋ねください〉飛び石をしながら海水を避けながら近づいて船体を覗き込んだ。卒塔婆が目に刺さりそうになり慌てて避けた。

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