→真実のお届け

 ある日の帰り道のいつもの通学路。曲がり角を曲がって例の住宅街の路地に足を踏み入れると、またもや何か落ちていた。

 路面の上に四角い箱が置いてある。サイズはランドセルと同じかやや大きいくらい。ランドセルを背負っていたのはずいぶん昔のことだから、この例えが合ってるかどうかはわからない。

 箱全体はスチールかなんか特有のざらついた銀色の光を放ち、上の方には取っ手が付いている。持ち手はあるものの、鞄にしては角ばりすぎだ。

 正体ははっきりしないけど、どこかで見覚えがあるなと思って近づいてみる。歩み寄り、角度を変えて箱の側面を見て、俺は納得した。

 側面には、赤い筆文字で「うかつ」と書いてあったのだ。俺もたまに行くうどん屋の店名だ。

 つまりこれは、確かえーと、岡持ち。そう、岡持ちだ。出前を配達するときに料理を入れて運ぶあれだ。

 今どき珍しい。絶滅してなかったのか、と妙な感慨を抱く。

 しかし、出前を届けに行くのに肝心のこれを落とすか普通。何がう勝だ、ほんとに迂闊じゃないか。

 それより中の料理大丈夫か? のびた麺ぶちまけられてない?

 幸い岡持ちは倒れてはいないので、たぶんまっすぐ下に落ちたんだろうけど、それでも衝撃はあったろう。これで中の料理が無事だったら奇跡だよ。

 さて、どうしようかと思ってしまったときにはもう遅かった。

 周囲が暗転し、俺と岡持ちだけが光に包まれる。

 また来てしまったか、ここに。

 それも、こんなどうでもいいことで。

 確かここは大事な選択を迫られたときに来る場所じゃなかったのか。重要度の判定が杜撰ずさんな気がするぞ。

 なあ、《思考の谷》。ここはこんなにほいほい来ていいとこなのかな。


(ようこそ、悩めるジンギスカンよ)


 もう登場する演出もはぶかれて、当然のように俺の右隣に天使が立っていた。今日も翼型バイザーの白がまぶしい。それはそうと勝手に子羊を調理するな。


(どんなお悩みも我らがヌンガロベイド神がローストにしてくださることでしょう)


 黙っていれば美人なのになあ。目元は隠れているけどスタイルはいいし、絶対美人なのになあ!

 そもそも、そのヌンガロベイドとかいう謎神の教えが参考になった試しはないんだが。だから信用できないんだよ。


(今まであなたが下した選択は、すべてヌンガロベイド様のお導きによるものですよ)


 いや、それが悲しいことに、ほぼ神林っていうおっさんの意見を採用してるんだけど。


(何を隠そう神林もヌンガロベイド教の信者なのです)


「違いますからね?」


 くたびれたスーツを着た冴えないおっさんが急に割り込んできた。やっぱりお前もこの宗教に巻き込まれるのはいやなんだな、神林。

 岡持ちを挟んで俺の対面に立つ神林は冷や汗を流している。


「あいにく僕は信仰に頼っていません。自分の運命は自分で決めます」


 おお、なんかありきたりだけどかっこいいこと言い出したぞ。


「LINEの占いアプリにもそうするのが吉と書いてありましたからね」


 台無しじゃねえか。

 やっぱり神林の言うことも当てにならないな。


「そんなことはありません。今日の蠍座の運勢は絶好調なんです。今の僕は最強ですよ」


 俺も蠍座だわ。この世に最強は二人も要らぬ。


(ヌンガロベイド座になれば年中無敵ですが?)


 天使がむきになって余計な星座を作った。生まれ持った星座をねじ曲げてまでつかむ幸運ってなんか罰当たりだ。


(悪魔座の俺も交ぜてくれよ)


 俺の左隣に現れた蝙蝠マスクの悪魔が悪乗りしてきた。

 お前悪魔座どころかご本人じゃん。


(悪魔ジョークはさておき)


 めちゃくちゃつまんねえな悪魔ジョーク。


(単刀直入に本題といこう。今回はこいつだろ? どうすんだ、これ)


 悪魔は下を指差した。その先には暗闇の中でぼんやり光る岡持ちがある。

 あ、そうだ。そもそもこの岡持ちの処理について考えるはずだったんだ。天使と神林のふざけたやりとりのせいで忘れてた。


(こんなに異彩な存在感を放つものを忘れられるってすげえなお前)


 うるさいよ悪魔。俺が悪かったって。


(で、中のブツをいただいちまうのか?)


 食べるわけないだろ。人をなんでも落ちてるものを口にする腹ぺこ魔人にするんじゃない。


(ハニートーストのときは危なかったくせによう)


 痛いところを突きやがる。よく悪魔のイラストにある、例のフォークみたいな黒い槍で突っつかれたような気分だ。


(まあ、食うのはお勧めしねえがな)


 言われなくても食わないけど、なんで?


(俺はそば派なんだ)


 お前の好みなんて知るかよ悪魔。


(私はパスタ派です)


 誰も聞いてないぞ天使。


「僕はラーメン派です」


 神林まで便乗してきた。だから聞いてないって言ってんだろ。

 というか、うどん派はいないのか。よりによってうどん屋の岡持ちがあるこの場に。どことなくう勝の岡持ちが哀愁を漂わせているような気がした。


(私はこう思うのです。この岡持ちは、見つけた佐々木野ささきの信人まことさんが責任を持って送り届けるべきなのではないか、と)


 迷子とは話が違うんだぞ天使よ。だいたい配達先がどこかなんてわかりっこないだろう。


(そこはそれ、ヌンガロベイド様のお力で住所を特定します)


 都合のいいときだけ神頼みしやがる! 神の力の前ではプライバシーなど無力に過ぎないのか。


「それは感心しませんねえ、僕ならこうします」


 神林は指を一本立てた。


「この岡持ちは交番に届けましょう」


 確かに落とし物だけども!

 おかしいな、まともな判断のはずなのにまったくぴんとこない。

 でもそうかー、交番かー。この前も行ったからなー。

 いや! 待てよ?

 もしかしたら俺は自力で正解にたどり着いたのかもしれない。

 岡持ちに書いてある店の電話番号に電話して、このことを教えてあげれば万事解決なのでは!?

 危ない危ない。天使たちの甘言に惑わされるところだった。だが残念だったな! 今日の俺は! 一味違うのだ!


「本当にそうでしょうか?」


 にやりと笑う神林。なんだよ。


「きみの案は実行不可能です。それはきみのポケットが証明しています」


 ポケット? 言われるままに手をやって、気づく。

 そうだ、俺は今日、携帯電話を家に忘れているんだった。

 かくなるうえは神林! お前の十八番のスマホを貸せ!


「残念ながらここは《思考の谷》。時間と隔離された場所ゆえに、僕のスマホで電話しようにも肝心の相手側の時間は止まったままなんですよ」


 なんてこったい。迂闊なのは俺だったか。

 さらに運のないことに、ここからう勝までは結構距離がある。直接店に返しに行こうにも骨の折れる距離だ。岡持ちは重いし。


(まあそう気を落とすなって)


 悪魔が俺の肩に手を置く。


(重くて持ち運びできねえのなら中身を軽くすりゃあいいんだよ)


 それ結局食えってことじゃないか! その手は食わんぞ!


(じゃあこういうのはどうだ。お前さんは何も見なかった。こんな道端に岡持ちが転がってるわけがねえ。きっと幻覚を見たのさ。だから、このまま家に帰ればいんだよ)


 その言葉は、とても甘かった。声音も優しく、身をゆだねてしまいたくなる。

 ただ。ただ、だ。

 俺は弱い。ここで見て見ぬふりをして、平気で家でくつろげるほど強くはない。だから、その船には乗れないんだよ。

 俺は決めた。もう審判の時なんて待っていられない。

 この岡持ちは、俺が持っていくことにする。ただし、う勝は遠いので、それより近くにある交番にな。


(くくっ、そうきたか)


 何がおかしいのか、悪魔は肩を震わせた。


(それでこそ、堕とし甲斐があるってもんだ。せいぜい魂を磨いておくことだな。その方が堕落したときの快感が大きくなるからよ)


 笑う悪魔の口元から覗く牙が光る。


(いつか俺にそそのかされる日が楽しみだ)


《思考の谷》は暑くも寒くもないのに、少し鳥肌が立った。


(心配しなくとも大丈夫です、佐々木野信人さん)


 天使が穏やかに声をかける。


(あなたにはヌンガロベイド神のご加護がついています)


 とうてい大丈夫そうには思えない。


(あなたはこの岡持ちを放っておきはしなかった。それは誇ってよいことなのですよ)


 面と向かって言われると照れくさい。


(あなたの信じた道を、これからもお進みなさい)


「まあ、僕が敷いた道なんですけどね」


 神林はすべてをぶち壊す。


「とにかく、決めたのならすぐに取り掛かるのが吉ですよ」


 それも占いアプリのお言葉か?


「いえ、占うまでもありません。常識です」


 ああそうかい。わかったよ。

 俺の決意が固まったのと同時に《思考の谷》から闇が引いていった。

 通学路に一人帰ってきた俺は、岡持ちを肩に担ぐ。思った通り重い。が。

 いっちょ届けてやるとしますか。麺が伸びないうちにな。


 右肩に通学バッグ、左肩に岡持ちの二刀流でえっちらおっちら道を進み、最寄りの交番にどうにかたどり着くことができた。岡持ちも無事だ。


「すいませーん」


 声を投げかけると、交番の奥から若い男の警官が一人出てきた。山内さんだ。なぜ名前まで知っているのかというと――


「おや、偽札の少年じゃないか」


「その言い方なんかやなんでやめてくれませんかね」


 俺はつい最近、偽札をここへ届けたことで事件解決の協力者として感謝され、報奨金までいただいてしまったのだ。だからこの交番の人とはいやでも顔見知りになっている。

 山内さんもその一人だ。


「何かな? すまんがちょっと今取り込み中でね。あ、また偽札でも落ちてたのかい?」


「あー、いや、あの、今日は落とし物っていうか、こんなものが落ちてたんですけど」


 俺は担いでいた岡持ちを床に下ろす。


「悪いんですけどこれ、う勝に連絡してもらえます? 俺今電話持ってなくて」


「ああ! きみが持ってきてくれたのか! いやーこれね、俺が頼んだんだよ」


 山内さんはぽんと手を打つ。

 はい?


「出前を取ったはいいものの、配達の子が新人で道に迷ったうえに、何軒も回ってるうちに岡持ちを一個だけ落としたのに気づかなかったから配達が遅れるって電話がさっきあったんだよ。いやーよかった。感謝します」


 山内さんはびしっと敬礼をした。俺もつられて右手をそろえる。


「ほんとにすまないね。どれどれ中身は、っと」


 岡持ちの蓋が開けられる。中には丼ぶりが二つ入っていた。


「うん、まだ温かいね」


 犯人を追跡中みたいなことをおっしゃる山内さん。そこで、俺は違和感を覚えた。


「あれ? うどんじゃないんですか?」


 丼ぶりに入っていたのは、ご飯の上で卵ととんかつが見事に風味を奏で合っているかつ丼だったんだ。

 そうか、うどん屋がそばや丼物を作っていてもおかしくはないよな。


「にしても、かつ丼ってまるで取り調べみたいですね」


「おっ、鋭いねえ。警察の仕事に向いてるんじゃないのかな?」


「えっ」


 まさか。まさかのまさか。

 取り調べでかつ丼って、ドラマの中だけの都市伝説じゃなかったのかよ。


「う勝のかつ丼を食べさせると、不思議と自供してくれる人が増えるんだよ」


 もしかして一服盛ってないですよね?

 かつ丼、おそるべし。


「本当はだめなんだけどね。内緒にしてくれると助かるよ」


 そう言って、山内さんはかつ丼を一つ手に持ち、俺に渡してきた。


「?」


「ここまで運んでくれて腹が減ったろう。容疑者の分だけあればいいから、これでも食べてくれ。ここで食べてもいいし、家に持って帰ってもいい。器はこっちからう勝に連絡して下げさせに来てもらうから心配いらないよ」


 ええ……かつ丼をダイレクトに持たされてしまった……。

 そしてこれは口止め料とか賄賂とか、そういう類いのものじゃないのか。いいのかなあ。

 困惑する俺を放置して山内さんは取調室であろう部屋へと戻っていく。


「じゃあ、ありがとうね少年くん。気をつけて帰りなさい。何かあったら一一〇番も忘れずに!」


 だから電話持ってないんですって。心の中でつっこむも、もう山内さんの姿は見えない。

 しかたなく、俺はむき出しのかつ丼を手に帰路に着くはめになってしまった。なぜかつ丼を持っているのか、そのことで職質されそうでひやひやしたよ。

 家に帰り着いたときには心身ともにくたくたで、おかげでかつ丼が最高に美味かった。

 空になった器を眺めながら、俺がこの日したことを振り返る。

 まず、神林の言う通り岡持ちを交番に持っていき。

 ちょうどそこが配達先だったので、天使の言う通り俺が出前を手伝った形になり。

 最後に悪魔の言う通り、中のかつ丼をいただいた。

 奇しくも天使と悪魔と神林、全員の意見を汲んでしまった。

 運命とはまったくもって奇妙に絡み合っているものだ。

 ちなみに、かつ丼を食べたあと、犯人はすんなり自供したらしい。

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