#5


 客観的には夢ごこち。

 僕自身は大混乱。


 今さっき、体感で数年なんて表現をした気がするけども。

 実時間も年単位で経過してるんじゃないかなんて。

 全身が動悸をかなで続けて、僕は結局、その女性の身体が離れるまで。


 動揺と快楽により、わずかに記憶は飛んで。

 校舎の屋上、少し離れた場所にたたずむメイド服の女性を見て、現実に戻された。

 

 けどなんかその光景は、まるでゲームの立ち絵のようで。

 再び現実離れした感覚に。


「……なんのつもりですか」

 

 なんとか絞り出して。

 朝空の下、改めてその薄い色の唇に目がいってしまう。


 未だに残る感覚を大事にしたくもあり、ゴシゴシと拭いたくもあり――

 いや、流石にそれは失礼なんだろうか……?

 いやいや、失礼も何も、立場が逆だったら訴訟モノだ。

 美人だからって、何もかもが許されるなんてこと……

 

 その美人の、綺麗な顔と、今さっきまで――僕の。

 再び、僕の全身が激しく熱を帯びる。

 柔らかい風が、その温度をわずかに下げていくのを感じながら。


「――高見君、私は貴方に、感謝しているのですよ」


 そんな声を聞いた。


「……え?」

 思わず馬鹿みたいな返事をしてしまう僕。

 

「貴方は――英雄なのです。我々にとって、は」


 表情は動かない、けどわずかに揺らめいているような。

 声色も機械的なのか、感情が込められているのか、よくわからない。

 それでも僕は今さらながら、ああ、そうか、と、理解した。


 我々、というのは、天帝のことを指しているのではない。

 それはおそらくクレアさんの――出処に関わるもの。


 さっきクレアさんが双子に言った言葉を改めて思い出す。


 ――少しばかり過激であり、人にとっては嫌悪感を抱きかねないもの。

 ――それでも一部の人にとっては、英雄の如き行動と捉えられなくもない。


 そう。

 あれは、僕がパンドラボックスを壊したという事実を指していたのではなかったのだ。それは僕の――


「……別に、そんなことは」

 

 それ以上の言葉を吐き出せなかった。

 客観的に解釈すれば、僕なんかを英雄と呼ぶ意味を理解できなくもない。

 けど僕自身は――僕自身に、嫌悪感しか抱いていない。

 当たり前だ、どれだけの人が――と思っているんだ。

 僕の、せいで。


「解釈の問題です」


 僕の気持ちを汲み取ったかのように、クレアさんは答えた。

 その眼をじっと見ながら、僕は何とか冷静になって。


「でも……クレアさん。その事実と、今の、こ、こ、行為と……」


 キス、と。

 その言葉が言えず誤魔化して、声も詰まって、上ずって。

 ガキかよ……と、馬鹿にされるかも知れないけど、馬鹿言うな。

 健全な男子高校生が冷静でいられたら、それこそおかしいだろ、こんなん。


 ――告白の、代わりです

 

 そんなことを小さな声でささやいたあと。


「それが答えではいけませんか?」


 と、僕の目を見ながら、クレアさんは淡々とそう続けた。


「――嘘です。貴女がこんな状況で、個を優先するわけがない」

 

 とっさに、それでも僕は確定的に言い放った。

 そんなことあり得ない。さっきの平野さんの百万倍は疑わしい。


 そう。

 この人のお嬢様たちへの忠誠心は、無数のエピソードを通じてよく知っている。

 おそらくそれは天帝グループへの忠誠心を上回るもの。

 天帝の伝統やら何やらよりも、お嬢様たちを助けることを優先するはず。

 つまり、それは――


「最高か、最悪か、ですか?」


 そう言ったのはクレアさんの方。

 ふふ、と、珍しく笑顔を浮かべていた。

 

 まずい、完全に主導権を取られている。

 僕は隠し事がうまい方じゃない。

 こんな尋問みたいな状況が続けば、洗いざらい暴かれる可能性も――


「……クレアさん、ひとつ」

 訊きたいのですけど、と、僕はそのメイド服の女性を見つめながら。


「貴女は、うちの全男子生徒から――羨望の眼差しを受けていることに気づいているんですか?」


 そんな言葉を紡ぎだしていた。


「――?」


 わずかに首を傾げるクレアさん。

 演技ではない。そう感じ取った僕は。 

「クレアさん、日ごろ僕たち生徒がしてる噂話とか、そういうのにあんまり興味ないみたいですけど……簡単に言えば、クレアさん、貴女は」

 さっき双子の前でそうしたように、仮面を被ったような冷静な素振りで。


「モテるんですよ。そこには僕も含まれます」


 僕は言い放った。


「…………」


 無言。


「確認しますけど、クレアさん」


 かっと頬が熱くなるのを、手を握り締めることで何とか抑えて。

 僕は言った。

 

「僕が――本気で、貴女に恋をしても、良いんですか?」


 静寂が広がって。

 すぐに、ふ、と、小さく笑ったのか、それとも困惑したのか。

 いずれにしても、わずかながら感情の動きが読み取れて。


「――失礼します」


 僕に向かって軽く頭を下げると、すすっと白黒のメイド服をなびかせて。

 さっきの平野さんと同じように――屋上のドアから出て行ってしまった。


 ぼんやりとふんわりと。

 気づいたら暖かい朝日に照らされていた僕。

 ひとり屋上で。


「……よし」


 小さくガッツポーズをした理由は、まあ僕自身わかるようなわからないような。


 やられっぱなしだったのを、少しはやり返せたからか。

 頭脳明晰な女性を、うまく言葉でやり込めたからか。

 いや、その美しい女性と、本当に恋人のような――


 そこまで思考して、僕はついに膝から崩れ落ちた。

 

 はああああ、と、緊張の糸がぶっちんぶっちん。

 なんか他にも体内の色んなものが、弾け飛んでしまった気もする。

 灰色のコンクリートに両手をついて、くずおれる姿勢を取る僕。

 ゆっくりと右手だけ上げて、自分の唇を触っていた。

 

 ざらざらで、熱い。

 クレアさんのそれは薄い色だったけれど、リップはしていたのだろうか。

 もし目立たない色の口紅をしてたとしたら、もしかして、今、この口内には――


 ばたり、と、羞恥と困惑で、僕はその場に突っ伏していた。

 馬鹿みたいな姿勢で、顔をコンクリートにくっつけて。


 いやはや、いやはや……もう、良いんだか、悪いんだか……

 いや、最高か、最悪か……?

 何であれ、僕が悪いことをしなきゃ、こんなことにはならなかったわけで……


「……忘れよう」


 呟いて、ごろりと仰向けになった。

 両手を大きく広げる。空がよく見える。


 ――そんな悪いことをしている意味を

 ――悪だくみの目的を思い出して、僕は少し冷静さを取り戻した


 クレアさんの立ち位置は何となく理解できた。

 僕のことを、英雄扱いしていること。それはたぶん嘘ではない気がする。


「英雄……英雄……?」

 

 馬鹿みたいに呟いて、馬鹿みたいに思い出す。

 

 一人殺せば犯罪者、百万殺せば英雄だ――


 そんな言葉を。


 ぎゅっと爪先が手のひらを食い込むほどに、握り締めて。


 それも、忘れた。

 忘れられるわけがないけれど、忘れなければ耐えられない。


 冷静に、冷淡に。

 

 まあそっちは置いておいて、現状でもっと重要なこと。

 クレアさんの僕への行為というか好意――

 なんて、洒落ている場合ではないんだけど、そっちは確実に嘘だ。

 弱い根拠をもとに強い推測をするな、とか、仲間からは散々言われているけれど、どう考えたって確実だ。


 ――裏で、お嬢様が指示を出している。


 だってそうだろう。クレアさんの言い分が本当なのであれば、僕の最後の問いかけには「イエス」と答えればいいだけの話なんだから。

 誰だってわかる事実。

 

 そして、もうひとつ重要なこと。

 それは天帝エクスと天帝マキナの共謀ではなく――どちらか一人からの指示。

 なぜなら、二人は僕のせいで、お互いに相談できない状況に陥っているから。

 これは彼女たちが「伝統を守る」ことを前提とするなら成り立つ。

 

 ――では、それはどちらなのか。


 その答えは明確ではないけれど、ひとつ言えることがある。

 

 僕の問いかけに。

 貴女に恋をしても良いんですか、という問いかけに対して。

 クレアさんは、それこそ対処に困ったかのように、逃げてしまった。

 わかるだろうか?


 愛の告白をしたとき、相手からの返事は単純化してしまえば二つしかない。


 イエスか、ノーか。


 その一方の対策をまったく考慮していなかったという事実。

 あの頭脳明晰で用意周到な生徒会長様が、だ。

 

 まあ、実際問題、愛の告白以上のコトをされた気もするし、あの双子(の片方)があんなことまで指示するとは思えないし、あれにはクレアさん自身の思惑も何かしら含まれている気はする。

 

 けど、彼女たちを全面的に信じたとすると。

 つまり、双子は伝統を守り、さっき僕に宣言したことを実行しようとしていて。

 さらに、双子は不穏な行動をしている僕のことを調査しようとしていて。

 けれど、僕のせいでお互いに相談できず、個別に動いていて。

 そして、クレアさんはそのどちらかの指示に従って、僕に接触した。


 これらをすべて真だとすると、もうひとつ見えてくることがある。

 確信は持てない。けれど、そう。

 クレアさんに指示したのは、おそらく


 ――狂っている、方。




 はあ、と、寝転がったまま空を見上げて、重い息を吐く。

 コンクリートの灰色を背中に感じながら。


「僕が助けたいのは、ひとりだけ」


 改めて自分の意思を確認するかのように、僕はつぶやいていた。


 冷たさと、変にじめっとした感覚が全身に広がって。

 僕は右手を空に掲げて、目を閉じた。



 ――それがどちらかは、まだ、わからない。

 

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