#4


 高校の屋上、黒白のメイド服。

 漆黒のショートヘアーがよく似合う、本当にきれいな女性。


 さっき僕がこの屋上に上がってきたときには、誰もいなかった。

 いや……少なくとも視界に入っていなかった。貯水槽やら何やらの設備はあるから、その陰に隠れていたのかも知れないけれど――


 僕は生徒会室からここに直行している。

 そして生徒会室を出るとき、この女性は双子と一緒に生徒会室に残ったままだったわけで。


「クレアさん、貴女は――」


 これらの情報から、導き出される答えはひとつ。


「……忍者だったんですか?」

「いえ、メイドです」


 ボケとも何とも言えない僕の解釈に応じてくれたのか。

 それともただ単に事実を述べただけなのか。

 表情を一切変えず、クレアさんは淡々と返事をした。


 さておき、考えられるのはふたつ。

 ひとつは、それこそ忍者のように、校舎の外壁をよじ登ってきたのか。

 もうひとつは――何かしらの能力を使ったの、か――


 現時点において、18歳を越えている人間に、能力者はいないとされている。

 女性の年齢を詮索するのは良くないけど、双子に仕えるというその役職上、流石に成人していないということはないだろう。

 だからこその忍者発言なわけで。

 けど、あくまで今までに確認されていないというだけであるし、それに――天帝の関係者であれば、それに該当するとは限らないのか、と、僕は改めて認識した。

 

 そんな風に、何とか冷静に思考するも、鼓動はまだ落ち着かない。

 どくんどくんと心臓のポンプが全身に血を押し流していく。

 

 すっと、クレアさんの薄い唇がなめらかに動き始めて。


「――どういうつもりですか。高見君」


 偶然なのか、平野さんと同じような言葉で僕に問いかける。

 わずかに離れた位置、それでも輪郭は明瞭に聞き取れた。

 落ち着いた声ではあったけれど、それでもわずかに込められた感情は、双子を想う故のものだろう。それは僕の推測ではなく、続く言葉として明確に表れた。


「もし、お嬢様を危険にさらすつもりなら――」


 冷たい瞳。

 普段からクールな女性ではあるけれど、それとは明らかに異なる色合い。

 僕は唾を飲み込んで。


「――そんなつもりは一切ないですよ。クレアさん」


 その口から恐ろしい脅し文句が飛び出してくる前に、答えをかぶせた。

 クレアさんは表情なく、問い掛けを続ける。


「それでは、いったい何を目的として――あんなことを?」

「もちろん内緒です」


 僕は無理やり笑顔を作りながら、そう返した。

 さっきの平野さんとの会話をこの女性が盗み聞きしていたのかどうか、それを確認したかったわけなのだけど、そのマネキンのような表情からそれを読み取れるほど、僕は機微に通じているわけではないし、むしろ、先生のお説教に逆らったかのような空気になってしまって。


「……いずれにしても、僕のプライベートな話なんですケド」


 などと、つい言い訳のような言葉を重ねてしまう。

 ただ、この高校には、生徒のプライバシーを侵害してはいけないという規則があって、クレアさんも先生として仕事をしている以上、この言葉には弱いはず。

 この規則は、生徒が「能力者」であるかどうかを、教職員が問い詰めることのないように設けられたそうだけど、今の僕のように、先生から指導されたときに悪用する奴も増えていて、改訂すべきだという声が上がっているとか何とか。

 それに、まあ。

 

「――私はお嬢様のために生きています。この高校での職を失うことに躊躇はありませんよ」


 と、そんな風に返されることも予測できたわけで。


「話すことで、僕が殺されても?」


 そう尋ね返しても。


「場合によります」


 と、にべもない。

 その返答に何の迷いも感じ取れないあたり、やはり平野さんとのやりとりは聞かれていたらしい。

 はあ、と、低く射す朝の日光を浴びながら、僕はため息を吐く。

「じゃあ、ま、いいですよ。クレアさん」

 僕は諦めた。

 つーか、ダンマリでやり過ごせる相手だとは思ってないし、これくらいのイベントは最初から想定していたわけで。

 悪だくみとは、かくも上手くいかないものだなあ、と。

「でも、はっきり言ってくれませんか? 色々と」

 わざとらしく呆れ顔を作って、僕は両手を小さく挙げる。

 さっきの生徒会室でも、双子は僕に対して曖昧な問い掛けしかしてこなかった。

 先の規則やら校則やらのせいもあるだろうし、状況証拠しかないのに、具体的なことを訊くわけにもいかなかったのだろう。


「で、僕は一体、何を話せばいいんですか? クレアさん」


 煽るような口調で僕は続ける。

 こんな緊迫した状況に耐えられるほど、僕のメンタルは強くはないし、さらに超絶美人の前ということもあって、こんな風に悪ぶったキャラ作りでもしないと、正直、やってられないわけで。


「――それは、もちろん」


 クレアさんは、ゆっくりとまばたきをしながら、冷淡な表情で。


「高見君、貴方がパンドラボックスを破壊したこと」


 淡々と言葉を紡ぐ。

 そこには論理性というか、妙な硬さを感じ取れるというか、まるで彼女の知性そのものが僕に向かって飛んできているようであり、普段の授業で僕たちをサポートしてくれているときの姿を思い出させる。

 こういう素敵な女性と、図らずとも面と向かって、残念ながら対立することになっているのは、何とも口惜しいなあと、そんなことを思う。


 ――と、言いたいところですが。


 僕の知らない、声色で。

 

 それだけではないでしょう? 高見ヤマト、貴方のした、ことは――


 ぞわりと、背筋が冷えて。

 黒光りする気味の悪い害虫が、群れをなして。

 僕の、顔中に貼りついたかのような。


「……なんの、ことですか?」


 思わずそんな風に返してしまって。

 同時にクレアさんのその瞳に、確信の色が浮かぶのを認識した。


 ――しまった、と、僕の全身は後悔の念に包まれる。


 そう。

 確実に、カマをかけられた。

 

 冷や汗が背中を伝って、危機感と言葉の鼓動が、脳内で止まらない。


 やばい、失敗した、知られてはいけないことを――

 僕の、昔の、秘密を、どうして――この女性が――

 どうすれば、どう、反応すれば、僕は――


 どくどく、どくどく、と、心臓が激しく動いて。

 僕のことを鋭く見つめる女性から、僕は視線を切ることができない。

 焦りで、何度もつばを飲み込んで、僕は。

 コンピュータを強制終了するかのように――感情を地に落とした。


 そう、改めて思い出せば。

 伏線みたいなものがなかったわけではない。


 校則違反どころか、法に触れかねない、と。


 さっきクレアさんは僕の行ったことを双子に説明するときに、確かそんな風な表現をした。妙な言い回しをするものだとは思ったのだけど、改めて考えるとそう、話の流れからすれば、それは間違っているのだ。

 パンドラボックスを壊したこと。

 それが校則違反かどうかは、僕が「能力」を使ったかどうかによるだろうけど。

 法に触れるという点については、不法侵入と器物破損で、確実に違法である。

 

 けれど、アレについての判断は難しい。

 すなわち――緊急避難が適用されるか、否か。


「……双子の、生徒会長の……彼女たちは」


 知っているんですか、と。

 そう尋ねようとして、僕は言葉を詰まらせる。

 緊張感が与える身体への影響が、酷い。

 

「――高見君も知っていることだとは思いますが。この天帝高校において」


 一方、クレアさんは口調を戻して。


「パンドラボックスに秘された情報を公開すること。それに反対の意思を示している生徒は多いです。調査はしていませんが、恐らく過半数は超えているでしょう」


 そんなことを話し始める。


「僕たちの生活は、今、安定している。余計な情報を公開して引っ掻き回さないでくれ、楽しい高校生活を乱さないでくれ――と、私の知る限り、概ねこのような主張をしています。これに対してお嬢様は積極的に意見していません。が、少なくとも諸手を挙げて公開に賛成しているわけではありません」

 

 最後のは初耳だった。もちろん推測はできていたことだけども。


「そして――天帝の中でも意見は割れていました」


 クレアさんは、淡々と話を続ける。


「公開すべきだ、破棄すべきだ――天帝の内々だけで開示すべきだ、と」


 僕の内に再び焦りが生じる。

 それは、天帝の機密事項だ。

 クレアさんは、今、他人に話してはいけないことを、僕に話している。


「最後の意見が強くなった時点で、旦那様は決断しました。そのような情報が存在している事実は世界に公開する。しかしその内容については暗号化し、さらに分散して管理することを。暗号化のキーは政府要人を含む十数名に配布され、情報を得るためには、一定数以上のキーを必要とする」


 旦那様とは天帝の現トップ、つまり、双子の父親のこと。

 クレアさんは、じっと僕のことを見つめて。


「そのキーをお嬢様に与えるかどうか、すなわち天帝高校の生徒たちの意見を反映させるかどうか。旦那様は迷われておりましたが、最終的にはお渡ししませんでした。生徒たちの間で無用な対立を起こしたくなかったからです」


 そう告げる。

 これについては、全生徒が知っていること。


「お嬢様はその意図に従い、パンドラボックスに対し必要以上の関心を寄せないよう心がけています。故にそれが破壊されたという事項に対し……エクス様とマキナ様、おふたりが見解を異にするはずがないと。その側に仕えさせて頂いている私ですら、そのように考えておりました」


 クレアさんは、わずかに睨むような視線を僕に向けて、そこで言葉を止めた。


「……なるほど、クレアさん。よくわかりました」


 僕は何とか、その論意をくみ取った。

 答えを明示しないということは、クレアさんは正確に把握しているわけではない。

 しかし、双子の意見が割れたという事実から判断すると。

 僕のしでかしたことについて――どちらか一人は知っているはずだ、と。

 そういう意味だろう。


「クレアさん、今の言い方からすると、僕について……天帝から情報を得たわけではないですよね?」

 僕自身が不安に思ったことを、そう素直に口にすると。

「そうですね」

 クレアさんは隠し立てする様子もなく答えた。

「……なるほど」

 僕は、ふう、と、呼吸を整えて、気を確かに持つ。


 なんてことはない。

 僕の命運は、この女性に完全に掌握されている、と。

 そんな風に宣告されただけのこと。


「――仮に、僕がアレの実行犯だったとして」


 そんな仮定の言葉を持ち出しても。

 それを口にするだけで寒気が止まらない。


 その事実を、天帝の誰かに――いや、マスコミやネットに公開された時点で。

 僕は八つ裂きにされてもおかしくは、ない。


 それは仕方ない。けど僕自身はその罪の重さに――


「クレアさん、あなたは……僕のことをその、どう、思いますか……」


 つい、そんな言葉を発してしまったのは。

 僕が内心、誰かに救いを求めていたからなのかも知れない。


 数秒の間。

 返事はない。淡い空の下で風の音すら聞こえない。

 その女性の、綺麗で冷たい瞳は、僕のことをじっと睨みつけている。

 少なくとも肯定の意思を読み取ることはできない。

 いや、それどころか――


 憤怒か、怨嗟か――殺意か、そんな恐ろしい情動すら伝わってくるようで。


 いや、クレアさんは表情を変えてない。僕の勝手な思い込みだ。

 けど、そんな風に思われてもおかしくないことを、僕は――


 気が付くとクレアさんが、僕の方に向かって足を進めていた。

 朝日を薄く浴びながら、音を殺して、やはり感情の一切を表に出すことなく。

 

 僕は、動けない。

 

 そんな僕の目の前で、立ち止まって、すっと右手を挙げた。

 そしてその白くて細い指先を、僕の首元に伸ばす。


 殺される――と。

 つい、そんなことを思ってしまい、思わず目を閉じてしまった。

 

 まぶたの裏の黒色が、ぎゅっと飛び込んでくるのと同時に。

 口元が急に熱く――いや、唇が暖かくなる。

 何か、柔らかいものが――?

 

 目を開けると、数センチのところに、ぼやけた何かが映る。

 たぶん、女性の瞳。

 気づけば鼻と鼻がぶつかっていて。


 状況を把握しようと必死になる間もなく、僕の前歯はこじ開けられて。

 口の中で、僕の舌が何か、うねるものに、弄られている。

 

 僕の思考は完全に止まった。

 コンビニで売ってるプリンを皿に盛ったときのように、ぐちゃっと柔らかくなってしまった僕の脳が何とか処理するところによると、どうやら僕は口づけを、接吻を、キスをされている状況らしい。クレアさんに。それもかなりディープなヤツを。


 熱湯でもかけられたか、炎に包まれたか。

 僕はさらによくわからない状態になる。全身が熱くなる。真っ白で。

 何がなんだか、本当にわからない。


 その後、体感では数年ほど、実時間では十数秒にわたって。

 脱力してしまった身体をメイド服の女性に支えられながら。

 混乱と恍惚の中、僕は僕の口の中を、なすがままにされ続けてしまった。

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