#2


 生徒会室から、僕は教室に戻らず、校舎の屋上へと上がった。

 なんか朝の時間に独特というのか、新鮮な空気の匂いを感じる。

 薄い雲が浮かぶ、本当に淡い水色の空。

 我らが天帝高校の敷地と周囲の住宅街を存分に見下ろしながら。

 ふうと、思わず深い息を吐いていた。


 ちなみにここに来るのは初めて。

 というか、生徒に開放されていることも知らなかったり。


 ほら、校舎の最上階の階段は、さらに上に続いてて。

 ちょっと行ってみたいかもと思っても、怒られるかもと尻込みして。

 屋上へのドアも見えているのに。

 そのドアを開けようとして鍵が閉まってたら、何か恥ずかしいな、とか。

 

 けど、今日は何の躊躇もなく、階段を上がり、僕はドアを開けた。

 

 遠くに都心のビル街が見えたりして、見晴らしはだいぶ良い。

 きちんと高い柵で囲われていて、ベンチもいくつか置いてあるから、生徒が入ってよい場所なのは間違いない。

 だったら、もっと早く来ればよかった。


 なんてこと、僕は一切、思わない。


 ――見下ろすグラウンドには、朝練に励む生徒たちが見える。

 声をあげてランニングをする野球部や、ストレッチをする陸上部。

 たまに笑い声も聞こえる辺り、楽しんで活動しているのがよくわかる。


 けど、彼ら(彼女ら)は、本心から楽しんでいるのだろうか、と。

 僕はつい、性根の汚いことを思ってしまう。

 まあ、言い訳をするわけじゃないけども、ここにいる生徒たちのいびつさ――

 いや、今現在、世界が抱えるいびつさを前にして、そんなことを思ってしまうのを誰も否定できやしないだろう。

 

 僕は、空を見上げる。

 綺麗な水色と空気の温度を、全身で感じるようにして目を閉じた。

 痛くなるほど強く、首を後ろに曲げて。

 対して、ぶらりと両腕の力を抜いて、少しだけ角度をつける。

 まるで飛び立つ前の鳥のように。

 そして僕は、


 ――。


 小さく言葉を発した。


 別にこれといって、何も、起きない。


 そのまま、ぐるんと、背中から両手を上に持っていくと。

 うーん、と、寝起きのように全身を伸ばして、ふうと脱力した。


 ―― 焦らず、ゆっくりと理解しあいながら、皆で未来を作っていこう。


 そう言って、総理と天帝のトップ、つまり双子の父親が握手を交わした場面は、僕だけではなく日本人なら誰でも、よく覚えていることだろう。

 その結果というわけでもないけれど、僕たちは、いたって普通に、高校生活を送ることができている。

 まあ実際、今、この国が抱えているややこしい現状は、そんな宣言で解決するほど単純な話でもないし、今後、この国が存続できるかどうか、問題は山積みで。

 けど、少なくとも、この天帝高校においては秩序が守られている。

 それは確実に、あの双子が存在しているからであり。

 そういった意味で、彼女たちが僕たちに、もたらしているものは、本人たちが思っているよりも、だいぶ大きい。

 

 そのあり方を、その微妙な均衡を崩そうとしている僕は。

 果たして、悪なのか、それとも――

 

 まあ、いい。

 わずかに苛立ちを覚えながら、ベンチに腰を下ろし、僕はスマホをいじる。

 ……この感情は、たぶんだけど、彼女たちが僕のことをきちんとジャッジしてくれなかったのが理由なんだろうな、と。

 

 がちゃり。

 

 後ろからドアを開ける音が響いて、僕は慌てて振り向いた。


 この屋上への出入り口、今日まで僕が、開けるのを躊躇していたドアの前。

 立っていたのは、ひとりの女子生徒。

 いかにも明るい性格をしていそうな、人懐っこそうな顔つき。


 彼女は、じっと僕のことを見つめ。

 にいっと、白い歯を見せて笑ったかと思うと、元気な声で告げた。

 

「――やっほー、おはよ、高見君」


 座ったまま上半身だけ後ろに向けて、僕は注意深く、その子を観察する。

 冷静に、平静を装って。


 彼女はドアを開けてから、僕が誰なのかを確認する様子はなかった。

 つまり、僕がここにいるのを知っていたということ。

 後をつけられていたのは、間違いない。

 けど、いきなり名前を呼んだってことは、それを隠そうともしていない……?


「――おはよう、平野さん。朝から元気が良いね」


 僕はベンチから立ち上がり、彼女の方に身体を向けて、平然とそう返した。

 すると。

「……え、あ、うん」

 なぜか声をかけてきた彼女の方が、動揺した素振りを見せる。

「ん?」

 僕が首を傾げると。

「……私の名前、知ってるんだね」

 ぼそっと言って。

 何やら不思議そうな、はにかんだような、微妙な表情を浮かべた。

「そりゃ、だって、中学でクラス一緒だったじゃない」

「まあ、そうなんだけど……」

 

 確かに僕たちは中学で一緒のクラスになったことはある。

 けど話したことはなくて、特に僕は平凡というか、言ってしまえば影の薄いキャラだったし、人との付き合いも少なかったし、まあ今でもそうなんだけど、それはさておき、僕が彼女の名前を憶えていたことを意外に思っても、おかしくはない。

 実際、色々あって、僕はこの高校の生徒たち全員の顔と名前を覚えてたりするんだけど、それは別にしても、彼女の名はよく覚えていた。


 平野可憐カレン


 まあ、妹と同じ名前だということで、覚えてた程度なんだけども。

 つーか逆に考えれば、彼女の方こそ、今日の今日まで、僕のことなんて歯牙にもかけてなかったということでは……?

 ま、そのことに対して文句はないけど、じゃあ、何の用かと。

 その理由を伺い知ろうと、思わずじっと、その顔を見つめてしまう僕。

 まあ普通に可愛い顔だけど、中学のときは、どんな感じだったっけ?

 うっすらと覚えている限り、元気だけど子供っぽさが目立つ女子といった印象で、それは今でもあまり変わってない気もする……って、人のことは言えないけど。

 そんな失礼なことを思う僕の前、平野さんは急に。

「――あははっ」

 と、元気な笑い声をあげた。

「ん?」

 意図は全然わからない。

 訝しむ僕の方に、平野さんは、たんたんと足を進めながら。

「そっか、そっか。なら自己紹介は不要だね」

 ベンチを挟む形で僕の前に立つと、わずかに背の高い僕を少し見上げる形で、にこりと微笑んだ。

 温度を感じるほどの距離に、思わず鼓動が高まるも、一方で勝手に話を進めていく彼女に対して、少し苛立ちを覚える。

 いや、君のことよく知らないし、自己紹介して欲しいんだけど……と、僕がそんなことを口にする前に。


「――どういうつもりなの?」


 急にシリアスな表情で、彼女は言った。

「……ん?」

 その変化に少しびっくりしたものの、僕は冷静に。

「え、突然、何言ってんの?」

 本気でわからないといった表情を作って、そう返す。

 そんな僕の返事など知らぬ顔というか、最初から取り合う様子など一切ないといった勢いで、平野さんは言葉を続けた。


「あれ、壊したの、高見君でしょ?」

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