machina #1


「おいっ! マキナ!!」


 私をそんな風に呼ぶのは、ひとりしかいない。

 まだ人も少ない朝の教室、一番後ろの座席。

 私は操作していたタブレットパソコンを机上に置いて、立ち上がった。

 

「おはよう、三島君」

 

 近くまでやってきた大柄な男子生徒に、私はそう挨拶をした。

 教室に飛び込んでくるなり私の名を呼んだその男子生徒は、いかにも武骨なスポーツマンといった顔つきをしていて、私との身長差がありすぎるから、会話をするときには、彼が少し離れたところで足を止めるのは、いつものこと。

 私は半歩足を進めて、じっとその顔を見上げながら。

「相変わらず大きな身体ね。羨ましい、一体、何を食べるとそうなれるのかしら」

 そんなことを言うと。

「何を呑気なこと言ってんだ! 聞いたぞ! 大丈夫なのかよ!?」

 と、私がを知っているかどうかも確認せずにまくしたてる。

 私はとりあえず耳を傾けながら、彼の言葉からについての理解度を、つまりは世に出ている情報がどの程度なのかを測る。

 適当に頷きながら、彼が話し終えるとほぼ同時に。


「――結局、まだ噂の段階でしかないでしょう」


 私は意図的に冷笑を込めて、そんな言葉を返した。


「い、いや、そうだけど……でも……お前、何か知らないのか?」

「さあ――ね」

 そう返すと、その男子生徒――三島タケルは、何かを理解したような、それでも怪訝な表情を浮かべながら、わざとらしく息を吐くことで、私に対して呆れの感情を示した。


 高見ヤマトがの実行犯であるということ。


 その事実は、現時点で我々天帝家の関係者、その極一部しか知らない。

 いや、事実と言ってはいるものの、証拠は決して明確ではなく、我々がその情報を得たのも、偶然といえば偶然によるものだった。

 しかし高見ヤマトは――今さっき、私たちの前で自白した。

 反応からみるに、事実であると受け取って、おそらく間違いない。 

 

 だが、もちろん、あの自白が裏付けになるわけではない。

 実際、今朝の呼び出しは、本校の特別校則に則って行われたものであり、故にひどく曖昧な問い掛けしかできなかった。録音もしていない。

 高見ヤマトに白を切られてしまえば、それまでである。

 

 故に、今、呆れ顔で私を見下ろす三島タケルはもちろん、我々以外の第三者に伝えられるべきことでもない。であるから、今の三島タケルの問い掛けに対しては、現状の不確定さを匂わせるような曖昧な返事をするべきではなく、「答える義務はない」と突っぱねるべきではあった。

 そう。

 この男が高見ヤマト側の人間、もしくはどこぞの産業スパイで、私の失言を追及し、私たちを陥れようとしている可能性もなくはないのだ……とはいえ、まあ、いつの間にか露骨な苦笑いを浮かべて、ひねくれた私の性格をあざ笑うかのような、普段通りのそんな表情を見る限り、そんなことはないと思うけれど。


 ――それは、本当に?

 

 などと、脳内に浮かんできた言葉を、意識的に白く染めあげて。

「いずれにしても」

 私は機械的に言葉を付け足す。

「この高校が天帝の名を冠する意味。それは貴方だって理解しているでしょう?」

 三島タケルは、拗ねたように口元を曲げて。

「そりゃ……まあ」

 などと、曖昧に肯定の意を返すので。

「大丈夫」

 私は強い口調でそう告げていた。

「……そうなのか?」

 しかし半信半疑な三島タケル。まあそれも仕方がない。


 実際、を機に、この高校の生徒たちに被害を与えるような出来事が起こるかといえば、恐らくそんなことはないはずであり、少なくとも危険性という意味では現状と大差ない。今後、もしそういったことが起きたときには、それこそ、我々天帝家が全力をもって、生徒たちを守らなければならない。

 しかし一方で――世を巻き込んだ議論は、再び、確実に起こる。それに対する生徒たちの心の憂慮は、流石に自分自身で解決してもらわなければならず、私たちは生徒会の一員として、相談にのる程度しかできない。


 それが天帝高等学校の存在意義であり、私たちが生徒会長を務めている理由。


 そもそも、今回のようなことを、この高校の生徒が起こすであろう可能性については、以前から検討されていた事項ではあった。とはいえ今回実際に起こったことは、少し偏ったものではあったが。


 そして今回のような事態が生じたときの対処として。

 私たちは校則の範囲で判断する。そしてあとは――当局に任せる。

 現在、まだ混沌としているこの情勢においても、それは旧来と変わらない。

 情報公開に関しては微妙な問題であるから、父を含む理事会に任せる。おそらく、政治的ならびに人道的判断により、当局と事前に協議した上で行われるだろう。

 そうすれば、天帝家と国との関係が、これ以上こじれることもない――

 そこまでは当然の判断である。だから私たちが事態のあらましを聞いたとき、お互いの顔を一瞥して頷きあっただけで、相談すらしなかった。

 

 思考ルーチンは、極力揃えるように調整している。

 善悪、価値観、知識、報酬関数、状態空間、エトセトラ、エトセトラ――


 しかし、食い違った。


 校内における最終的な審判は、天帝家の伝統的規則によって与える。

 そこまでは同じ判断だったはずで。

 別に伝統とか何とか、私たち自身はさほど気にしていないのだけど。

 それに従った方法で懲罰を与えたとなれば、実際、泥を塗られたと憤慨する天帝家内々の者に対する顔は立つし、対外的にも悪い印象は与えない。

 ただ一方で。

 確かに褒賞を与えるという解決策も間違っているとはいえない。私も選択肢として考えていないわけではなかった。天帝家の立場としてはともかく、高校の生徒会という立場においては、むしろ正しいと主張できることでさえある。


 食い違った理由は、おそらく些細な情報の差。

 当然ながら、お互いに伝えていない情報がないわけではなく、最終的な判断が異なることは、過去に何度もあった。

 そのようなときは改めて相談し、必ず最終的には統一していた。

 しかし今回はその過程を――高見ヤマトに妨害されてしまった。

 もしそこまで考えた上での行動だったとしたら、高見ヤマトについての認識を改めなければならないだろう。

 彼について、私は事前に情報を得ている。

 曰く、凡庸で、それなりに真面目で、少し子供っぽくて、それでもお人よしの。

 そんな生徒である、と。

 今回のことについて、何かしらの邪念や悪だくみを胸に秘めているのは、もちろん間違いない。しかし、今さっきの生徒会室でのやりとりを顧みるに……恐らく、生来の悪人というわけではないだろう。だって、そうじゃなきゃ――


「……ふむ」


 いずれにしても、あの後、私たちが彼と最後まできちんと対話をしていれば、もう少し情報を得ることができていたことだろう。


 ――あんな結末になってしまったことについては、反省しよう。

 

 優雅たれなんて、そんな言葉は天帝家の家訓には存在しない。

 むしろ泥臭くても、人に、そして社会に寄り添って生きろと。

 そういった超現実路線で財を成してきた一族である。


 論理は身につけさせた、だから後は感情に任せて行動せよ――


 代々、天帝家の家長たるものが、その跡継ぎに託す信条であり。

 私たちも、既に父からその言葉を何度も聞かされている。

 だから、さっきのことも、そう、私たちはただ感情に任せただけあり。

 決して、カッとなってやったわけでないのだ。

 似てはいるが、そこには大きな差異がある。

 ついカッとなってやってしまったなどと、それではまるで犯行動機ではないか。

 私たちは、将来、巨大な天帝グループを背負って立つ存在である。


 全力でやれ、とか

 きちんと最後までやれ、とか

 

 そんなことを言われたのは生まれて初めてで、確かに困惑はしたけれど。

 普通に考えれば、そうした立場にある者がその程度のことで、論理的な思考を放棄するなんてこと、あるはずがない。

 そう、感情に任せた、ただそれだけのことである。

 人間が人間らしく生きるという意味で、誠に素晴らしい行動理念であろう。

 などと、いささか言い訳じみてきているのは、自分でも、やってしまった、と、反省しているからに他ならない。

 とりわけビジネスの場においては、いかなる取引相手とも対等であるという主義に従っているが故に、感情的になったところで損をするのは自分たちだと割り切ることができる。

 しかし、この高校の生徒会長という立場においてそれはダメだと、きちんと理解はしている。それこそ間接的にとは言え、金と権力を振りかざして、この役職に就いたのだから、全生徒の模範となるような人物でなければならない。当然だ。それも十分にわかっている。

 だから今さっきの、冷静さに欠いたあのような行動はイレギュラーであり、普段はあんなことはしない。いや、しているつもりはない。

 でも、確かに、まあ。

 マキナさんはすぐに怒るから~、なんてことを色々な相手から、年に数回程度――いや、週に数回程度、言われている気はするけれども。

 それについては、毎回きちんと反省している。

 それに、マキナさんは意外と優しい、なんてことも同じくらい言われているから、それをバーターとして、手打ちにして良いだろう。

 

 そう、何度も繰り返すようだが、今回の件については反省する。

 反省しなければならないのだ。

 羞恥心など犬も食わない。

 

 けどきっと、今夜、屋敷に帰った後、私たちはクレアに改めて怒られて。

 怒鳴られて。

 で、クレアが部屋を出て行ったあと、どっちが悪いのかって、喧嘩して。

 再び部屋に飛び込んできたクレアにまた怒られる。


 もう高校生なんですから、子供みたいに喧嘩しないでくださいっ!


 って言われる。

 絶対言われる。

 ふくれっ面をする私たちに向かって、だから二人とも大きくなれないんですよ! って、意外と辛辣なあのメイドはそんな追い打ちをかけてくるのだ。

 さらにむすっとするけど、私たちは言い返せずに、そのままふて寝して。

 夜中にふと目覚めて、思い出して、なんであんなことをしてしまったんだろうと、ベッドの上でばたばたしながら、朝を迎える。

 朝日を浴びて、屋敷の廊下で、眠い頭でお互い顔をあわせて、むきーっとなって、再びクレアに怒られる――

 天帝家の長い歴史と、叡智の込められた思考ルーチンによれば、その程度の未来は容易に予測することができる。予測できるなら最初からやらなきゃ良いじゃないかと言われるかも知れないけど、だって、感情に任せろと言われているんだから、それに従うしかないではないか。

 そもそも、孔子だって、七十にして心の欲する所に従ってのりえずとか言っているのだし、その四半も生きていない私たちに、そんな信条を託すのが間違っている。

 そう、悪いのは私たちじゃあない。父が悪いのだ。父が。あと先祖。

 

 ――うん、いやまあ、その。

 

 こういう戯言が脳内に綴られていくのも、久々の感覚で、なんだか新鮮さすら覚えてしまう。私たちは、愚痴にしても、反省にしても、羞恥にしても――何にしても、多くをふたりで共有してきた。

 悩み事は他人に話すだけで、解消することもある。

 そんな通説に従うのであれば、私たちは四六時中、それを実現してきた。


 しかし、今さっき。

 私たちは意見を違えて、異なる方針を選択してしまった。


 結果、天帝家の伝統的規則により――私たちは情報交換に制限を設けられた。


 いくら身内であったとしても、行動を異にしたときには慣れあうな、と。

 そのような意図らしい。

 存在は知っていたけれど、適用されたのは初めてで。

 先ほど私たちは、あの品位に欠ける行動をクレアに怒られた後――そのことを警告された。

 とはいえ、一切会話をするなというわけでもなく、その対象となる問題に関する情報、つまり今回の場合は、高見ヤマトに関する情報や、私たちが取りうる方策などについて、やりとりをするなということらしい。

 まあ、その程度であれば、意識的に制限しながら会話するのは容易である。

 ただ、思考ルーチンに変化が生じるのは明らかで、実際、先ほど予測した夜の喧嘩なんかも起きないのかも知れない。

 しかし、それは些末なこと。

 高見ヤマトに関わる問題が校内で発生している現状において、この状態が長引くと――少しばかり、まずいことになる可能性はある。

 クレアも多くは口にしなかったが、とても心配そうな表情を浮かべていた。 

 今のエクスも、ひょっとして何かその影響が出ているのかも知れない。


 正直、伝統なんてものは、それほど気にしていない。

 だから破っていいのかも知れないけれど……


 天帝家が現実的な施策により成功してきた一族である以上、そこには確実に意味があり、教訓や戒めが内在している。

 実際、私は子供の頃から、嫌というほどそのことを痛感してきた。

 だからそれに従わず、悪例として将来に残してしまうわけにはいかないのだ。


 遠い将来のことなんて、誰にも、予測はできない。

 それは例えば、そう、私が母として子をなして――



 と。

 

 ここまで数刻で思考した。

 だからいまだに半信半疑で私のことを見つめていた男に対して、私は。


「――三島君」

「あ?」


 特に何も意識することなく、淡々と。


「恋愛って、何?」


 そう尋ねた。

「……は?」

 ぽかんと、馬鹿みたいな顔を作る三島タケル。

 そう、直面した問題に対して異なる方針を選んでしまったが故に、私たちは制限されている。だったらさっさとその問題を解決してしまえば良い。

 そうすれば制限は解除される。

 そして問題解決のためには、それに関わる情報を得る必要がある。

 故に、私は目の前にいた男子生徒に対して、こんな質問をしたのである。

 しかし、私は現状に対して、わずかながら焦燥感を覚えていたのか。

 その口からつい予定外の言葉が飛び出してしまっていた。

「私は知っているの。三島君。貴方が恋愛中毒者だってことを」

「はあ?」

「天帝家の情報収集力を甘く見ないで頂戴。恋愛に依存し、不特定多数、誰でも良いから恋愛対象がいないと不安で落ち着かない。故に相手を特定することもなく、常に恋人がいる環境を求めて行動し続ける。恋愛中毒者。それが三島タケルという男子生徒であると」

「ちょ、ちょっと待て! 何が恋愛中毒だ! 俺は一途だ! 一体、誰がそんなこと言ってんだよ!」

「いえ、誰も」

「は?」

「嘘」

「マキナ、お前な……」

「天帝高校特別校則、第3条。天帝グループの関係者は、本校生徒のプライバシーを侵害しないのは当然のこと、原則として、追究してもいけない」

「…………」

 無言のまま、岩のように私を見下ろし睨みつける三島タケル。

 私は将来、天帝グループの上に立つ者として、私を見下す者には容赦しない。

「で、誰に一途なの? ねえ、誰に恋愛をしているの? 三島君、貴方は」

「……おい、それは俺のプライバシーじゃねえのかよ」

「承前。ただし次の各項に該当する場合は例外とする。第1項、対象となる生徒自身から報告された内容について、その詳細の確認が業務上必要となる場合――」

「言い換えよう。お前にはデリカシーというものがないのか?」

「そんな言葉、校則には定義されていないけれど」

「校則じゃねえよ。お前のその天才的な、脳内の辞書において、だ」

「ない。つまりそう、私にはデリカシーがない。ええ、なるほど三島君、確かに貴方の言うことは正しかったようだけど、まったくもって失礼ね。こんな恥ずかしいことを女子に告白させるなんて、なんとまあデリカシーに欠ける行為でしょう」

「……お前の辞書には『可愛げ』って言葉もねえだろうよ」

 吐き捨てるように言って、それでも呆れたように白い歯を見せて、笑う。

 その表情を見て私は、ふうと小さく息を吐いて、すぐに言葉を続けようとすると。

「ま、少なくとも、お前みたいなチビッ子じゃねえのは確かだな」

 そんなことを言われたので。

「そ」

 私はそう短く返した。

 わずかに感じた拒否反応は、私を侮辱するその言葉に対してか。

 この小柄な身体についてのコンプレックスは、恥ずかしながら、心の内に存在していて――ただ、エクスはそういったことをあまり気にしていなかった気がする。


 わたしのほうが、かわいいんだからっ! と。

 いつだったか、そんな、それこそ子供のような喧嘩をしたことを思い出して。

 同じ顔、同じ身体、声も、仕草も、何もかも。

 どっちも何もないだろうと、思わず心で自嘲する。

 しかし姿はともかく、わずかながらも、その性格に、その情緒に。

 差があるのは、つまるところ――環境によるものなのだろうな、と。


 私は改めて教室の中を見回す。

 朝日が射し込み、まだ人もまばらなこの環境は、そう、私にとって普段通りのものであり――

「ま、けど、中身はともかく、チビな女子は好きだぜ。可愛いしな」

 ポンポン、と、上から頭を叩かれる感覚に。


 舐めるな、と、思考よりも早くそんな感情が一閃。

 

 ごしゃああんっ!! どぉおん!! と。

 教室中にまず響いたのは、私の机が倒れる音であり。

 ほぼ同時に続いたのは、大柄の男子生徒が背中から床に落ちる音だった。

 

 教室にいた数人の生徒たちが一斉にこちらを見るも。

 またか、と、呆れた表情を浮かべて、すぐに視線を戻した。


「――で、三島君、さらに訊きたいのだけど」


 私は姿勢を正し、背筋を伸ばして、ひとり偉そうに腕を組む。

 華麗な一本背負いを決められて、仰向けに倒れる無様な男を見下ろしながら。


「最悪な恋愛って、どういうものだと思う?」


 そんな問いに。

「……はあ?」

 特に痛みを訴えることもなく平然と、一体お前は何を言っているんだ、とばかりの呆れ顔を浮かべる。

「仮に、貴方が私のことを恋愛対象として見なしていたとして、どうかしら。大の男がチビ女に軽く投げられて、こんな風に床に転がって見下されているなんて状態――これは最悪な恋愛だと言える?」

「いやいや、だとしたら、とんでもなく光栄だろうよ」

 はっ、と、横たわったまま乾いた笑いを浮かべて、三島タケルは答える。

「お前みたいなヤツがも使わずに、俺のことを投げ飛ばす。それはつまり、俺といちゃつきたいってことだろ? ってな」

「ふうん、なるほど」

 少し考えるふりをしてから。

「それならお望み通りを全開にして、死の恐怖すら覚えるような、そんな反撃をした方がよかったかしら」

「反撃って……お前な」

 頬を引きつらせる三島タケル。

「けど、ま、なおさらだな。校則に違反してまで、俺なんかのためにを使ってくれるなんて。いやはや、愛すら感じとれる行為だろうさ」

 厳密には今の状況では校則違反にならないのだけど、それはさておき。

「では、そう、一切相手にしないというのが、最も堪えるといったところかしら」

「他人を無視するって行為は、意外とエネルギー使うだろ? だから――」

「はあ、これだから恋愛中毒は」

 途中で切って捨てて、私は降参とばかりにわざとらしく両手を上げた。

「だからちげーよ。普通だ、んなもん」

「普通」

「一途に恋に溺れる男ってのは、そういうもんだぜ」

 言って、よいしょと床に手を付き、立ち上がろうとする三島タケル。

 この男が受け身を取れることは知っていて、私もそういう投げ方をしたとはいえ、頭を軽く叩かれた程度の反応としては過剰であり、こちらに非があることは、流石にわかっている。

 だから、体格的に意味がないと理解しながらも、私は自然に手を差し伸べていた。

 恐らく私の手の小ささを意識しながらも、ぎゅっと強く、けれど柔らかく。

 何気なく包み込まれたその手の大きさに、気まずさと、釣り合わなさを感じて。

 立ち上がった後に、悪いな、と、礼を言われて。

 すぐに離された後に残った、わずかな温かさが、妙に、むず痒い。


「――踏まえて、結論」

 私は倒れた自分の机を立て直し、散らばった荷物を片付けながら。

「相手もせず、無視もせず――即座に振ってしまうこと。それが相手にとって、最悪の恋愛である」

 ひとりぼやくように、そう決断するも。

「どうかねえ」

 改めて私の後ろ、教室後方の生徒用ロッカーを背にした男に、茶々を入れられた。

「そりゃ悲しいだろうけど、最悪じゃあねえだろ。ありふれたことだしな」

 大柄な身体をほぐすように、全身で伸びをしてから。

「残念ながら振られたら、ひと通り悲しんで……ま、何とか諦める。んで、別の相手を探すなんてこと、別に恋愛中毒じゃなくても普通のことだろ。それが普通じゃないっていうなら、人類がこんな長い歴史を刻むなんてことはなかっただろうさ」

 くく、と、変な笑いを浮かべながら、三島タケルはそんな頓珍漢なことを言った。

 少なくとも私が求めている情報とは方向性の違うものであるし。

「はあ」

 私は適当にそう返した。

「つーか、マキナ。結局、何の話なんだ、これ?」

 そう訊くので。

「仕事」

 そう答えた。

「ああ、そうかい」

 つまらなそうに返す三島タケル。

 そもそも彼としては、あの事態に危機感を覚えて私に話かけてきたのであり、それがこんなわけのわからない話の展開になってしまっては、流石に本気で呆れられても仕方ない。

「箱入りのお嬢様にゃ難しいのかねえ。恋愛なんてものは」

 実際、心底呆れたような口調でそう言われたので。

「ええ、そうね」

 と、私は自分の席に座り、彼に背を向けたまま肯定した。

 別に箱入りというわけではなく、むしろ獅子の子落とし的に育てられたという事実は、世間的に有名で、彼も知っているはずであるし、つまり明らかに揶揄されたのではあるけれど、先の高見ヤマトの件に続いて、ここでも感情に任せて行動してしまっては、いくらなんでも天帝家の名折れであるし、というか反省するのも飽きる。


「――ただまあ、言われてみりゃ、恋愛ってのは単純なものでもないんだよな」

 なんだかんだで考えていてくれたのか、三島タケルは私の背に声をかける。

「最悪の恋愛なんてのも、まあ、人それぞれだろうけど、ただ昔から言われているのはあるよな」

 そんなことを言うので。

「ふうん?」

 何、と、私は座ったまま、肩越しに振り返る。


「ロミオとジュリエット」


 言われて、ああ、そうか、と、私は気づく。

 なぜ今まで思い至らなかったのだろうと、己の鈍感ぶりに首を傾げて。

 もちろん理解した。けれど私は。

 

「――その答えは?」


 敢えて、そう訊き返す。

 三島タケルは、それこそ思春期に恋愛を真面目に語る気まずさを浮かべながら。

 わずかな苦笑いと共に、答えた。



「かなわぬ恋、だろ?」



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