ex. #1
「――ぃやっほぉー! おっはようございまあぁぁぁぁー」
いつものように、私が元気よく教室に飛び込むと。
いつものように、金色の髪をした女の子がひとり、本を読んでいた。
朝日の射し込む教室を、ぁぁぁぁぁー、と、声を伸ばし続けて私は。
「……っす」
とんっと隣の席に座り、彼女に向けて、にこっと笑顔を作った。
無愛想のまま、つんと、それでも本を畳んで、ちゃんと私を見ながら。
「おはよう、
エクスちゃんは可愛い声で、いつものように、そう挨拶をしてくれた。
――天帝エクス。
世界中の誰もが知っている、正真正銘のお嬢様。
朝早くの教室はまだ二人きり。
この子は、大体いつも朝一番に学校に来ていて。
私はこの美少女とお話がしたいから、こうなっていて。
いつものこと、なんだけど……あれ? けど、なんだろう。
「……エクスちゃん、なんか怒ってる?」
そう訊くと。
「……別に」
表情を変化させることなく、そう答えた。
ああ……これは怒ってるなあ……珍しい。
「そっかー、そういう朝もあるよねえ。じゃあ、そういうときはゲームでもして気分を変えよっかー」
「……ゲームでも、って、いつもしていることでしょうに」
「まあまあ」
なだめるように言いながら、私は自分のカバンから紙製の小箱を取り出した。
そこからコマやらサイコロやらカードやらを取り出して、机の上に並べる。
何だかんだで興味深そうにそれを眺めるエクスちゃん。
正直、この子と話すのは苦手だ。
と言ってしまうと語弊があるけれど。
会話のネタが少ないのだ。
この子はテレビも見ないし、ネット動画も見ない。
小説とか、あと漫画は好きみたいだけど、ま、私と趣味が合わない。
これについては、私がお兄ちゃんの影響で少年漫画とかが好きなせいではある。
たまに学内の、先生とか委員会とかの話はするけれど、悪く言ったり愚痴ったりするような子じゃないから、真面目なことだけだし、それ以外のこと、というか、この子の日常は、私たち普通の生徒のそれとはかけ離れていて。
彼女が日常的に行っているという天帝家のビジネスの話とか何とかは、守秘義務的なアレで、あまり話しちゃいけないらしいし。
だからこうやって、ボードゲームなんかを持ってきて、一緒に遊んでいる。
お兄ちゃんのを借りてきているので、私自身もルールは知らない。
なので説明書を一緒に見ながら、あーでもない、こーでもないと、遊び方を確認しているうちに、時が過ぎていく。
エクスちゃんがニコニコ笑っているとこは見たことないけど、何だかんだで楽しんでくれてるっぽい。
イヤならイヤってはっきり言うだろうし。ま、そういう子だ、この子は。
んで、あんま面白くないゲームを持ってきちゃって、さっさと飽きちゃったときなんかに、ちょいちょい自分の話もしてくれるようになって、美人のメイドさんが実は武芸百般だとか、そういう身内的な話というか家族的な話が聞けると、まあ嬉しい。
一緒にルールを確認してから、向かい合う形で座りなおして、お試し的にゲームを始める私たち。
正面に座るその姿を改めて見る。
朝日を浴びる金色の髪はきれいで、全体的にお人形みたいで、ちっちゃくて。
ちなみに、ちっちゃいからといって頭をポンポンすると、まさに逆鱗に触れた如く怒るらしい。まあ、これは海外だと普通で、人の頭を気軽に触っちゃいけないとか。だから私は毎日、この子をポンポンするのを我慢しなきゃいけないという……
そんなことを思って少しぼんやりしていると、エクスちゃんも何となく上の空で。
手にしていたゲームの説明書を、すっと机の上に置くと。
「――可憐、貴女に訊きたいことがあるのだけど」
なんとなくしおらしい感じで。
「ん?」
私が聞く姿勢を整えるも。
「えっと……」
何か言いたいけど、恥ずかしくて口に出せないかのような。
そんな振る舞いは、何というか珍しいというか、初めて見せたもので。
それこそ王者の貫禄で、これでもかという程に自信たっぷりな姿を皆に見せ続けてきた彼女にとっては。
もじもじ、もじもじと……おい、なんか普段の100倍増しで可愛いぞ……
「――恋人は、いる?」
「え」
計ったようなタイミングで口にした問いかけもまた、彼女の性格からすれば、ちょっと信じられないようなものだった。
いや、つーか……ホント、なんなんだ、突然。
「いるわけないですやん……」
私がそう普通に答えると。
「え、そうなの?」
なぜか不思議そうに首を傾げる御前。
え、なに?
この子、私に彼氏がいると、普通に思ってたの?
いや、私なんかをそれなりに可愛く生んでくれた両親には感謝してるけど……
にしたって、そんな話をしたこともなけりゃ、素振りを見せたこともない。
一体、エクスちゃんの、そのきれいな目には、私がどう映ってるんだ?
「えっと……いないなら、じゃあ、欲しい?」
などと、さらに訊いてきたその問いかけは、なんというか玩具を欲しがる子供に言っているかのようで……それは望めば誰もが手に入れられるものであるかのような、そんな風に聞こえなくもなかった。
ま、そこは金持ちのお嬢様だし、やっぱり私たちとは感覚が違うのかな、と。
そんなことも思ったけど、そういう部分で馬鹿にするのは絶対にやめようと、この子と仲良くし始めたときに、私はそう決めていたので。
「んー」
手短にだけど、それなりに真剣に考えて。
「そだねえ……私、好きな人いるし、その人が振り向いてくれるなら、まあ」
思わず素直に答えてしまって、ちょっと恥ずかしくなる。
「へえ……」
で、これもまた珍しく、その顔に明らかな好奇心を浮かべているお嬢様。
……んー、ホント、何かあったのかな。
エクスちゃん、今までまったく私のことなんて興味がない……とは言わないけど、適度に距離を取っているというか、そんな感じだったのに。
うーむ……ひょっとして、さっき怒ってたのと関係あるんだろうか……?
などと考える私が、相当に怪訝な顔をしていたのだろう。
「いえ、ちょっと、その」
エクスちゃんは、やっぱり少しもごもごしながら。
「小説を読んで、ね」
と、そんな曖昧な理由を告げた。
「ん、ひょっとして恋愛モノ?」
訊くと。
「……そう」
わずかに目を逸らせて、そう答えたので。
「へえ、どんな? どんな?」
さらに問い詰めると、なぜか、え? と、固まってしまうエクスちゃん。
「あ、えっちなやつだな……」
私は冗談半分、ししし、と笑いながら。
「そんなわけないでしょうっ!」
語気を荒げる美少女お嬢様。
ま、えっちかえっちじゃないかは、ともかく。
何となくだけど、小説を読んでってトコから、そもそも嘘っぽい。
映画とか、漫画とか、きっとそういう違いでもないだろう。
んー、だとすると……なんだ?
金持ちのお嬢様が、急に恋愛ごとに興味を持つ理由……?
「可憐。それは置いておいて――さらに、変なことを訊くようだけど」
いつも通りの、張りのある声に戻って。
それでもわずかに、何かを懇願するような弱い眼差しで。
「最高の恋愛――って、どういうものだと思う?」
エクスちゃんは、そんなことを訊いてきた。
「えぇ……」
まるで、遊園地の着ぐるみに入っているおじさんを見てしまったときの如く、なんとも言えない悲壮感と呆れのこもった声をあげてしまった私。金持ちお嬢様に対する私のポリシーも、ちょっと崩れてしまうほどの質問だったから。
「エクスちゃんさあ。そういうの、言葉で説明できると思ってるの?」
思わず馬鹿にした風に。
そしたら急に、きりっとした目つきで。
「――さあ、どうかしら」
たぶん私の中で起こった感情の揺れに気づいたのだろう。
急にいつものお嬢様風に戻って、自分で言ったくせに他人事のように言うもんだから、私も少しシャクにさわって。
「お嬢様、ひょっとしなくても、恋とかしたことないでしょ?」
直球で煽ってみた。
むっと、明らかに表情が変わった。
あ、怒るかなーと思って、ちょっと身構えたけれども。
すうっと、急に熱が引いたみたいに。
エクスちゃんは何だかさっきみたいな、もじもじ風に戻って。
「……なくは、ないけど」
そう言った。
え?
内心、割と本気でびっくりした。
え、だって……この、可愛いけど、基本、可愛げのない、このお嬢様が?
この子、今日はこんな感じだけど普段だったら、恋愛なんてそんな無駄なこと私がするわけないでしょう! なんて、そんな啖呵を切ってもおかしくないキャラクターなんだよ……?
いや、けどまあ……それは私の勝手な想像に過ぎないし、否定しても悪いし。
私は言葉に困りながら。
「……ちょっと、おじさん、興味あるなあ」
そんなことを再び冗談めかしながら。
「ん? エクスちゃん、なくはないって何? え? それ片思い? 片思い?」
言ってみて、なんか私の中で変なスイッチが入ってしまったらしい。
好きな女子に対する男子の如く、私がそんな風にからかうと。
「それは……うん、まあ……」
普段は曖昧さを絶対に許さない彼女が、そんな風にふわふわっとした返事をするもんだから。
「言ってごらん、名前。ほら、言ってみ? 本当にいるんならさあぁ」
私は追い打ちをかけて、くくく、と、勝ち誇ったように笑う。
うん。流石にここまでやれば、このお嬢様は怒る。きっと激昂する。
お嬢様と呼ばれる存在の割に、いや、だからなのかも知れないけど、この子の沸点は結構低い。って、まあ、普段から自分でそう言ってるし。
けど、絶対に根に持たないというか、どんなに怒っても本気で謝れば絶対にその場で許してくれる。それも間違いない。同じ年とは思えないほどに、感情の切り替えがしっかりとできる子で、それがこのお嬢様のカリスマ性というようなものを際立たせているのだとは思う。
ああ、改めて思い返せば、今さっき私がここに来る前に、なんらかの形で、そんな素敵なお嬢様を根に持つほど怒らせたヤツがいたってことか? ある意味すげえっていうか、バカなヤツだなあ、こんな可愛い女の子を怒らせるなんて、などと。
今時点の私自身の行為を盛大に棚上げする、私。
いや、ま、さてさて。
エクスちゃんや、どう怒る?
否定する? 誤魔化す? それとも感情に任せて私を罵倒する?
ま、どれでもいいよ。君は怒る表情もまた魅力的なんだよ、可愛くてさ。
などと、そんな失礼な心持ちで、私が待ち構えていると。
エクスちゃんは、それこそ普段とは違って。
まるで、おとぎ話のお姫さまのような、そんなたたずまいで。
わずかに視線を落とし。
本当に、聞こえるか、聞こえないかといった小さな声で。
ぽつりと。
「――――」
名前を呟いた。
「ん……?」
え? 怒らないの? どしたの……って、え? 今の名前、ひょっとして……本当に? 教えてくれた? あ、いや、違うの……? え、まじで、このお嬢様に好きな人なんていたの? ……え、本当、ま? まじで……なに? え?
私の視界の四方に映るのは、いつも通りの朝の教室風景。それが、ごろんごろろんぐるんぐるぐると、二転も三転もして、それこそ地球がひっくり返ったんじゃないかと思うほどに、困惑して混乱する私。
いや、落ち着け可憐、落ち着け、私。そう、冷静に冷静に、うん、冷静だ。そう、それで……えっと、改めて、その名前の主を思い出して……って、え、え?
「ほ、ほ、ほうぅ!!!?」
思わず変な声をあげてしまっていた。
やばい、意外だ、意外過ぎる、え、アイツ、まじで?
冷静さなんて保てるわけがない。
こんな状況で冷静さを保っていられるのは、冷凍庫に入った白クマか、冷えピタを全身に貼り付けたペンギンくらいだ、って、まじ意味わかんないし。
「や、やだ……可憐、声、声あげないで!」
当のお嬢様は、きょろきょろ、きょろきょろと、必死で周囲を見回して。
誰も聞いていないかどうかを、全力で確認している。
その顔は、もう、本当に、ペンキで塗りつぶしてしまったかのように。
真っ赤に染まっていて。
やべ……可愛い、可愛すぎるぞ、これ。
いや……でも、そっか。お嬢様だからといって……
私はわずかに冷静になるも、微笑ましさが爆発してしまって、どうにもニヤついてしまいそうになる。目の前では、あたふたあたふたと、子供のようなエクスちゃん。
お互いに、馬鹿みたいで――すぐにそのことに気が付いて。
ふうぅぅぅ、と、仲良く深呼吸をする。
しばし静寂。
そしてエクスちゃんは、きりっと、普段通りの凛とした表情を作ったはずなのに。
「あ、え……か、可憐……あの、いまの、だけど……」
いつものような、華麗なお嬢様には戻れない模様。
「わ、私……本当に、誰にも話したことない……から……」
「え?」
私は再び違う意味で驚いて。
「誰にも、って……じゃ、じゃあ、他の友達とか、知り合いとか……それに、えっと……家族とか、あのメイドさんとか……」
うん、と、小さくうなずくお嬢様。
そのいじらしさに、私はなんともウイウイな気分になると同時に。
なんだか、変な責任感みたいなものを覚えてしまっていた。
え、なんで私なんかに……? と、そう思ったけど。
もしかしたら、誰でも良かったのかも知れない。
よく考えれば、仲が良かろうが、それこそ双子だろうが何だろうが、好きな人の名前を家族に打ち明けるってのはないよなあ……そりゃ、まあ、私だって……
それにここは、何の因果か、こんな超絶なお嬢様が通っている学校であって、防犯体制は厳重で、この教室だって防犯カメラがついてるほど。流石に音声は取ってないらしいけど。
でも、学校以外の場所だと……違った意味で、もっと厳重なのかも。
お金持ちの生活や、立派な家の風習が、どんなものか私にはわからないけど。
きっと恋バナなんかに花を咲かせる時間も、相手も……
私は、ふうと、小さく息を吐く。
そして。
「大丈夫、エクスちゃん。私、誰にも言わないよ」
自然に微笑みながら、そう言っていた。
「え……」
「うん。本気なんだよね。よくわかったよ――」
実際、ファッション恋愛というか、恋に恋する女子というか。
まあ正直、身の回りにも何人か、そういう子たちがいる中で。
――この子は絶対に違う。それは十分に理解できた。
私は続ける。
「それが叶ったら素敵だよね――最高って、たぶん、そういうことだと思うよ」
何となくで口にした言葉だったけれど。
「私、応援する。うん、エクスちゃん可愛いし、きっとうまくいくよ」
それは本心だった。
「可憐……」
私の名前を呼ぶその顔には、なんというか。
彼女の性格や立場からすれば、本当にあり得ないというか。
私のことを心底、頼っているかのような、そんな気持ちが読み取れて。
こちらをまっすぐに、じっと見ながら、ささやくような声で。
ありがとう、と。
確かにそう言った。
なんだろう、私……えっと……視界がちょっと、うるんできて……
うう……なぜか泣きそうになってるよう……
ただ――まあ、そこで、お嬢様は思い出したんだろう。
自分の立場を。
将来、天帝グループを背負って立つ、その偉大な立場を。
はっ! と、我に返ったかのように。
真面目で、可愛げのない、いつものように、つんつんしてる感じの。
そんな顔つきになったかと思うと。
「可憐! 貴女こそっ――!」
椅子を蹴って、立ち上がり。
「す、す、好きな人なんて、本当はいないんでしょ! あ、え……い、いるんでしょ!?」
ちょっと支離滅裂な感じで。
照れ隠しなのか、はたまた私の上から目線の言葉がシャクだったのか。
「一片も隠さず! すべて言いなさいっ、この私に! これ、命令だからっ!!」
もう全力で激しく上から発言しやがって。
ちっちゃいクセに何様だ、コイツ。
「……えー」
まったくもって、そんな気の抜けた声をあげざるを得ない私。
いや、私だって誰にも言ったことないんだけど……
と、そんな私の気持ちを、エクスちゃんは読み取ったかのように。
転がった椅子を元に戻して、再び、私の前に座りなおすと。
「――絶対、誰にも言わないから」
この上なく清廉な表情で、冷静沈着にそう言った。
あ、いや、けど……なんだ? その目は……
まるで好奇心あふれる子供のような、きらきらとしたその目は……
こら、ちょっと……そんな目で見つめるのは……ズルいぞ。
――まあ、けど。
よく考えなくても私が悪いわけで。執拗に問いただしたのは私が先だ。
ここで言わないのは、それこそズルいだろう。
「ま、いいよ」
そう軽く言うも、やっぱり……内心、動揺はする。
口にしたら、何か、色々と壊れてしまいそうで。
けど……うん。
この子の性格からすれば、絶対に誰にも言わない。
私だって、言うもんか。
だったら――秘密を共有するのも、いいかも、ね。
そんなことを想いながら、ふう、と、一息ついて。
静かな朝の教室。
私のことをじっと見つめる少女の前で。
私は、その人の顔を思い浮かべながら――名前を告げた。
「――高見ヤマト」
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