第5話 人形勇者と畏き君主
テオドールの腹の虫に急かされて、カイは早足に食堂へ向かった。テオドールを肩に乗せ、自身に加速魔法まで使う。説教が長引いたが、ユーラリアを待たせるくらいなら、お付きを撒いて廊下を走るより早く歩くカイだった。
テオドールは慣れない高さで風を切るのが楽しかったらしい、またやってほしいと頼んできた。
幸いにしてユーラリアも食卓についたばかりのようだ。入り口でねだるテオドールと、楽しげに受け答えするカイに目を向けているが、叱責はなかった。
代わりに、いつものようにゆったりとした口調で食事にしようと声をかけられた。
「まあ、それは楽しそうね。夕食が終わったら見せてくれるかしら」
「はい、姉さま。とても頑張ったのですよ!」
上座が空いたままの食卓で、和やかに会話が弾む。カイとユーラリアも随分打ち解けていた。
もう少しテオドールが小さければ、自分たちはもしかしたら家族のように見えるかもしれない。
カイはふと想像して寂しくなった。現状では自分たちには子供ができないのだ。
「姉さまは今日、何をなさったのです?」
「今日は品種改良のレポートを読んでいただけよ。午後からはカイさんも来る予定だったのだけど」
「悪い」
バツの悪いカイに、仕方ないとでも言いたげなユーラリアの視線が刺さる。しかし、呆れた様子を表に出してくれるのがカイには嬉しい。
テオドールは眩しげに二人を見ていた。
「思ったんだけど、瘴気に強い作物とかも、作りたいよな」
「瘴気に強い、ですか?」
「それは、例えばどんなものですの?」
カイのテーブルマナーはそこらの貴族よりずっと貴族らしい。口に含んだものを飲み下して説明を足す。
「闇属性を付与する」
「闇? 光ではなくて?」
闇属性は普段注目されない分野だ。他の属性よりも直接的な攻撃力はほとんどなく、精神や認識に影響を与える魔法が多いことから、必然禁忌指定されやすい。
「俺は、リアさんもだけど、闇属性も強いだろ? 浄化部隊の面々も、その光属性と釣り合うように闇属性が強かった」
「言われてみれば、確かにそうですわね。防御魔法くらいしか修めていませんけれど」
闇属性の防御魔法は、対象に精神的な防御能力を付与する。
浄化の旅の主戦力に王侯貴族出身者が多いのも、強い光属性持ちの人間を取り込んでいった結果なのである。
「光属性持ちが瘴気に脅かされないんじゃなくて、闇属性持ちが瘴気に脅かされないんだと思うんだよな〜。浄化は光、防御は闇、みたいな手応えがあるんだ」
実際に瘴気と対峙し、その脅威を治めてきたカイの言葉には説得力があった。
「それで闇属性を植物に?」
「実験するにも、もう瘴気が無いしなぁ。無理だろうか?」
ユーラリアとテオドールは、なんとも表現しがたい顔になっていた。二人は顔を見合わせ、順番に口を開く。
「勇者どの、育てる人間が居ないと、そんな作物を作っても意味がないのでは?」
「そもそも瘴気は人間しか冒さないはずですよ?」
「そうだったのか!?」
ユーラリアの告げたことは、この世界ではあまりにも当たり前過ぎて誰もカイに教えなかったようだ。
カイに与えられた魔法知識は実践のためのものに偏っていた。常識は教育されなかったのだ。
しかしカイの発言は幸いにも無駄にはならなそうである。
「ですが、それなら光属性の護符が大して効果が無いのも納得ですわ」
「闇属性の護符を作らせましょうか。姉さま、よろしくお願いします」
「外壁にも組みこませましょう」
既に今回の瘴気災害を鎮めているため、次に起こるのは六、七十年後だ。少しずつ予算を組んで研究を進め、搭載させていくのだろう。
国防上重要な決定は、このように割合あっさりと決まった。
そしてユーラリアとテオドールは、確認とばかりに恐る恐るカイに尋ねた。
「勇者どのは、瘴気が何か知ってますか?」
「瘴気は瘴気だろ? 感染症みたいな?」
「感染症……」
「当たらずとも遠からず、といったところでしょうか。病気ではありませんから、抗体は作れませんの」
王族二人は結構本気で溜息をついた。
要領を得ない回答と態度が、カイには不満だった。知らないままではまずかろうと、ユーラリアが補足する。
「瘴気は人の負の感情です。積もり積もった悪意が人間に帰ってくる。やがて精神を蝕み、人は死に至るのです。ご存知でしょうが、それは周囲の人間に伝播していきます」
耳元で囁かれるように静かな一方で、直視し難い禍々しさもある声音だ。
「なんでそんなことが分かるんだ? 感情なんて目に見えないだろう?」
しきりに首を捻るカイ。顔をやや顰めていた。
彼自身、瘴気に侵されて狂った人間を殺めてきた。子供から大人まで、廃人同然とはいえ、異形ではない。
彼らを殺した時――遠征隊の者たちは、処理と言ったが――カイは自分の心も削っていた。大分慣れたとはいえ、今も思い出せば生乾きの傷が疼く。
「感情は、確かに見えません。今まで疑問に思ったこともありませんでした。僕たちは小さい頃から『カメリアとディスティリウムの叛逆』という昔話を繰り返し聞かされるんです。そこで瘴気の起源が伝えられています」
「瘴気が悪意に反応するのかどうかはわかりませんが、同じ地域でも犯罪者の方が早く瘴気に冒されるという結果があったはずです。興味がおありなら、明日にでも第三書庫へ行くといいですわ。絵本もありますし」
第三書庫は全分類の入門書、つまり王族の子供の為の図書が収蔵してある。貴重な資料も多いため、夜は閉められているが。
「じゃあ、明日の午前に行こうかな。俺の仕事はない?」
「ないと思いますよ」
カイを政治に絡ませることは、今のところ国としてあり得ない。時間に追われる仕事のないカイは大抵暇なのだ。
三人はほぼ同時にデザートを食べ終え、揃って談話室へ向かう。
肥えた月が覗く大きなガラス窓、重たそうに纏められたカーテン。座り心地の良さそうな猫足のソファー、緑のクロスが掛けられた四角いテーブル。金属の脚に透明なガラスの筒がついた最新の魔法の燭台。塵一つなく整えられた空間は使用人の努力の賜物だが、それが公に認められることは殆どない。
三人が思い思いに席に着くと、カイが今日の成果を広げた。豪快なカイの字と丁寧なテオドールの字が、種々の紙にびっしりと書き込まれている。
「負けたわ!もう一戦よ」
「勇者どの、弱い……」
「ほっとけ」
勝利条件をくじ引きで確認、一定の制限のもと陣地を設定し、自軍を整え
工夫次第で難易度調整でき、戦術を疑似体験する。現実では命令は必ずしも順守されるわけではないが、かなり有益だ。
何より楽しい。カイは故郷で家族とカードゲームをした時のことを思い出していた。幼い頃のことだが、自分は妹や両親に負けていたことが妙に懐かしい。
「随分楽しそうだな。何をしているんだ、子供たちよ」
夢中になりすぎていた三人は王の登場に驚いた。王族特有の黄金の目は、仕事を離れて優しげに細められている。
「叔父上! 僕が勇者どのと作った遊戯です。叔父上もやりましょう」
「お父さま、これは画期的な発明ですわ! 明日にでも将軍たちに見せようかと思うくらいですの」
「リアが手放しで褒めるのも珍しいな。どれ、ルールを教えてくれるかね?」
齢六十近い王は、目尻に皺を寄せにこやかにカイに命じた。自分が仕向けたとはいえ、やはり最愛の娘とイチャつかれるのは腹に据えかねるらしい。
ユーラリアとテオドールが目でカイを急かす。カイは競技者としては三流だが、解説者としては一流だった。
「ふむ、コレは、うむ……」
ユーラリアとテオドールの
老齢にも関わらず、その飲み込みは早かった。一度最下位になった後は、大抵トップ争いを繰り広げている。
「今夜はこれで終わりにせよ。夜も更けた、子供は寝る時間だ」
「勝ち逃げする気ですわね、お父さま」
親子ゆえの鋭いツッコミに、王は誤魔化すべく咳払いをする。年少二人のジト目は見ないふりをしていた。
カイは存外、他者の目のない場所限定だが、家族仲の良い王家に安堵していた。
「……明日私から将軍たちには伝える。開発者はテオドールとカイ殿で登録するよう命じる。ついてはコレを借りるぞ。良いな」
「はい」
テオドールは神妙に返事をする。本人は遊び足りなかったのだろう。カイは見かねてテオドールの肩を叩く。
「まあ、そう落ち込みなさんな、テオドール殿下。また何か作ろう」
「はい!」
明るく励ますカイとそれに応えるテオドールの二人が、ともすれば年の離れた兄弟に見えたのだろうか。笑んだ王とユーラリアの口もとはよく似ていた。。
互いに就寝前の挨拶を交わした後、王はユーラリアを呼びとめた。
「ユーラリア、ウァレリアがお前に用があるそうだ」
「まあ、お母さまが?」
母、と聞いてユーラリアは困惑していた。彼女は母が少しばかり苦手なのかもしれない。
王が懐から出したのは趣味の良さが窺える、白い手紙。大方、この部屋に来る途中で運んでいる侍従から奪ったのだろう。
威厳に満ちているようで、子供っぽさの残る王の姿に、ユーラリアの表情は呆れ顔に変わっていた。
「ありがとうございます。お父さまも良い夢を」
そこで王はユーラリアの耳に口を寄せ、囁いた。カイに聞こえないように、という配慮なのだろうが、優秀なカイの耳は運悪くその内容を拾ってしまう。
「孫を待っているぞ」
父の言葉に、ユーラリアは赤くなって手近にあったクッションを投げつけた。
王が責められているのが、カイには羨ましい。ユーラリアはまだ、怒ったとしてもカイにクッションを投げつけたりしないだろう。
ひらひらと手を振り談話室を後にする王を見送ってから、ユーラリアは悩まし気に溜息をついた。
カイも内心、同様に溜息をつく。何しろ、カイとユーラリアは式とパレードを除けば、手すら繋いだことが無いのだ。孫など夢のまた夢である。
王の言葉は、二人がまだ同衾すらしていない事実を知っていることをほのめかしていた。
「はああ、どうしましょう……」
「どうした?」
「なんでもありませんわ……」
ユーラリアの手前、聞こえていない風を装ったが、カイだって辛いのだ。
ユーラリアのことは好ましく思っているし、仲良くなれているという手ごたえもある。
しかし抱くには後ろめたさが勝ちすぎる。
自分は政略結婚の相手で、初夜もどきでは好きではないと言われている。そして現実の問題として、カイは子種がないどころか性欲もないのだ。王配としての務めも果たせない。
ユーラリアと話す度、カイの心はユーラリアに傾いていく。解決の目処がない現状、これ以上彼女に惹かれるのは良くないと分かっていても、離れるのは惜しいと感じてしまう。
表面はともかく、カイは悶々としていた。
結局、どこかぎくしゃくした二人は寝室に辿りつき、今夜も寝台を共にしないのだった。
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