第3話 光の王女とささやかな茶会
新婚の一言で公務のほとんどを外されているユーラリアは、城内に設えられた温室に来ていた。総ガラス張りの建物は、ユーラリアが幼い頃に無邪気にねだって造られたものである。
「私は何をやっているのでしょう……」
温室中央の、薬草や野菜ばかりとはいえ庭師兼研究者が苦心して美しく整えた緑の中、ユーラリアは瀟洒な白いテーブルの上に右頰をつけて潰れていた。普段の彼女を知っている者が見れば二度見する程に、その姿ははしたなかった。
周りに人気が無いことに安心しきっていた。
「カイ殿に悩まされたくなくて、仕事しに来ましたのに、全く集中できません。やはり寝不足が原因でしょうか」
ユーラリアは目の下に指をやった。アンナに巧妙に隠させたものの、そこには濃い隈があるのだ。
恋愛経験は無いが相応に耳年増に育った彼女は、夫になったとはいえほぼ他人のカイが同じ部屋にいるだけで緊張していた。眠れるはずがない。
卓上に散らばった数枚の書類は、彼女がここに来た時から変化していない。ペンはいたずらにくるくると回した程度、インク壺に至っては蓋すら開けていない。
両手の薬指にはまった金と銀の指輪――王位継承者を示すものと結婚指輪――が冷たく光を弾き、仕事を放棄しているユーラリアを批難している気さえする。
「ハア……。あんなこと、言うつもりはありませんでしたのに。私はまだまだ子供ですわ……」
彼女が後悔しているのは、カイに対して「結婚を好ましいと思っていない」と言ってしまった昨夜の出来事。
式典とパレードで疲れていたのか、ついウッカリ本音が漏れてしまった。次期女王を自認するユーラリアとしては、ありえない失態である。
一個人として言うなら、ユーラリアはカイが好きではない。
ユーラリアが必死に努力して磨いてきた光魔法を技術ごと、半分ほどは残ったとはいえカイに奪われた。そしてカイは彼女から抜きとった力で、本来なら彼女の仕事を見事に成し遂げた。
それは彼女が得るはずだった名声を失った失望感と同時に、責務を果たせなかったという自責の念を、ユーラリアに齎していた。
それは別にカイのせいではないことも分かってはいるのだ。ユーラリアは、カイが光魔法以外は相当努力したことを知っているし、その人格が穏やかであり異性として好ましいと判断せざるをえないことも知っている。
また、ユーラリアの能力は、突出していたのが光属性というだけで、多方面にも優秀できちんと自身に価値があることも理解している。
事実として、直系の王族は彼女の他には彼女の父と十にも満たない従兄弟だけ。彼女が万が一にも死ぬようなことは、国としてほぼあり得ない未来だったために
責任転嫁など、見苦しいことは百も承知で、彼女の心は山の天気よりも激しく移り変わっていた。次期女王として理性的に導かれる判断と、十八の小娘らしい感情が、代わる代わる顔を出すのだ。
「ユーラリア殿下、お茶はいかがです?」
ダレていたユーラリアは人の声に跳ね起きた。声を掛けてきたのは、彼女の悩みの種のカイ・タイラだった。
七つ年上の彼は、その有り余る身体能力でもって無意識に気配を消し、ユーラリアの気配察知を掻い潜ってきた。いくら器の性能がいいとはいえ、いくら実戦を経験したとはいえ、恐ろしいほどの才能だとユーラリアは思う。
そしてにこにこと微笑ましげに見つめられると、さっきまでの醜態を思い出して顔が熱くなった。
「お疲れですね」
「……ええ、まあ。ところで、なぜカイ殿がお茶を? 私の目が悪くなければ、あなたは何も持っていないようですが」
誰のせいだと思ったが、ユーラリアは自分の状態から話を逸らすべく、普通ならアンナが給仕することを指摘した。
カイは悪戯をするような目つきで、手のひらを上向きにする。白磁のポットとカップ、数種類の菓子がぽんとカイの手に現れた。時空魔法による収納空間だろう。
「アンナ殿から奪ってきました」
「……ふふ」
お茶目に片目を瞑るカイがイマイチ様になっておらず、ユーラリアは毒気が抜けた。昨夜の確執はあまり気にしないでいいだろうと判断できたのも大きいかもしれない。
カイは一流の使用人のように淀みない動作で薄黄緑色の茶を淹れた。ユーラリアにとっては初めて見る茶だ。
「珍しいでしょう? 旅の途中で見つけた、俺の祖国でよく飲まれるお茶なんですよ。ペングラという国の産物です。花茶がよければ、そちらにしますが」
「折角ですから、ペングラのお茶を頂きますわ」
テキパキと休憩の支度を整えるカイ。二人分の用意はささやかですぐに終わってしまう。
準備を終えたカイが向かいに座ると、いつもは一人で休憩しているせいか、ユーラリアはどこかおかしく思った。
ユーラリアは無地のティーカップに手を伸ばす。湯気は、常より勢いがなく、直にカップ本体に触れても熱くはなかった。
ほのかな青い匂いがする液体を恐る恐る口に含む。
「すこし渋くて、甘い? 不思議なお茶ですね」
「ええ、砂糖やミルクを淹れなくても仄かに甘いんですよ。塩気のあるお菓子が合うんです。お供の揚げ菓子とも相性は悪くないでしょう?」
ユーラリアは、のり煎餅が有ればなぁ、と呟くカイを不思議に思う。
昨夜、カイを好ましくないと言ったことは、彼の中でどうなっているのか、よくわからなかった。
「他に、どんな食べ物があるのでしょうか?」
「そうですね……。まず欠かせないのが米です。そして大豆。この世界では、オリュザという家畜の餌とソーヤという豆が似ていますね」
しかし、ユーラリアは今の至極穏やかな会話を楽しく感じていた。この空気を壊したくはなかった。
些か色気に欠けるものの、それなりにお互いが理解できる分野の話で二人は盛り上がった。
ユーラリアは王族として各地の生産物に目を通しているし、カイはなかなか食にうるさい。
カイは旅の折々に採取したり買い取ったりして隠し持っていたものを、各地の様子を絡めて見せるものだから、ユーラリアも非常に楽しかった。
「そうだ、殿下。少し謝りたいことがあって」
「なんでしょう?」
大半の菓子が尽き、大分打ち解けたころに、カイが切り出した。ユーラリアは訝しげに問い返す。彼女には、彼が自分に対して謝らなければならないことをした記憶が無い。
「今日、魔道士長を訪ねて。俺が、あなたの力を奪ったことを聞きました。すまなかった……!」
勢いよく頭を伏せたカイには見えないだろうが、ユーラリアは僅かに眉を顰めた。
何を今更。どうせなら、傲岸不遜に振る舞ってくれるならば、恨み続けられるのに。謝られては、心のどこかで確実に彼を許してしまう。
ユーラリアは手に取るように自身の心の変化を把握した。かちゃり、と僅かに音を立てて持っていたカップをソーサーに戻した。
「……ここで許すと言わなければ、私が悪者ですわね。そもそも貴方は、どちらかといえば私たちの被害者でしょう? 恨むのは貴方で、謝るのは私たちではありませんこと?」
ユーラリアのつい露悪的になる口調に、カイは顔を上げて頬を緩めた。一つ胸のつかえが取れ、晴れ晴れと満足気でさえある。
「いや、まあ。でも俺は、あちらでは既に死んでいたようだから。ありがとう」
「訳がわかりません」
ユーラリアは自身の恨みがフッと行き場を失って、つんけんした態度を取ってしまう。しかし、この棘はおそらく、時間と共にすり減り、その鋭さを失っていくだろう。
カイは生暖かいものを見るような目をしていた。
ユーラリアはフイと顔を背けた。子供扱いされている気がしたのだ。カイの忍び笑いが耳に届き、ますますカイに向き直れない。
しかし、カイが笑いを収めて真剣な声音で話しかけてきた。
「実は……、も何もないのですが、俺は何をすれば? 王婿としての仕事は有りますか? 無駄飯食いとは呼ばれたくない、じゃなくて、多少はこの国の役に立ちたいのです」
カイは何かを言いかけてやめたようだったが、ユーラリアは指摘しなかった。
必要ならそのうち話してくれるだろうと、先ほどまでの会話から覗くカイの素直な性質を信じたからだ。加えて、カイがパーセゴートに対して多少愛着を持っている様子に驚いていた。
多少崩れた敬語にも親しみを感じて、ユーラリアは幾分素で微笑んだ。
「最大の仕事は、夜の営みですけれど。昼間は一緒に執務をしましょう。今は、丁度作物の品種改良についてですの」
ユーラリアはぺらぺらと横に片付けていた書類を一枚取ってみせた。
「ありがとうございます。……、夜の方は、のんびりやっていきませんか」
カイは次代の王を生むことに及び腰と見える。仲間を見つけた気分だった。思わずくすりと笑みが漏れた。
実際、二人は一種の運命共同体なのだ。
「まあ。でも、そうですね、ゆっくりも、良いでしょう。何せ、私たち、昨日がきちんと話した最初の日ですもの」
「今日では、ないのですか」
「そうかもしれませんね」
恋愛経験のない彼女自身にとって、のんびりと愛しあっていくという提案は非常に肩の荷が下りるものだったのだ。知らず知らず、ほっと息を吐いた。
「では初めに、リア、と呼んでくださいな。いつの間にか戻っていらっしゃいますよ」
「えと、リア……殿?」
「リアでしてよ」
「リア、さん」
「まあ、良いでしょう」
困ったように頬を掻くカイを、ユーラリアは希望をもって見つめていた。その後、自分にも呼び捨てを強要されるとも知らずに。
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