第2話 人形勇者と天才魔道士長

 カイはユーラリアとともに朝食を済ませた。

 お互い目も合わさず――正確にはカイがユーラリアを直視できなかっただけで、ユーラリアは淡々と食事していた――妙にいたたまれない雰囲気の中、味も匂いも美しさも感じないパンやサラダを飲みくだす。


「魔道士長との面会はされますか? されるなら、言付けるように指示しますが」

「あ。えっと、その、はい。お願いシマス」


 正直、今更自分のアイデンティティーが覆されるのは勘弁してほしかった。しかし、王女の申し出を断れるほど彼女と打ち解けているわけではないのだ。

 たどたどしい応えに、ユーラリアは眉を顰めすらすらしなかった。ただ見つめていただけである。




 

 魔道士長室というプレートが掛かっただけの無機質な扉を軽くノックして開けると、これまた無機質な部屋に無機質な男性が座っていた。

 灰色の髪に薄水色の目の四十がらみの男性である。大きめの卓には紙が積みあがっており、研究用なのか事務書類なのかはよくわからない。氷の目はカイをちらと見て、すぐ書類に戻った。


「勇者殿、そこに座っていてください。もうすぐ、キリが良いので」


 カイは言われた通りに応接用と思われる少し硬いソファーに座った。そわそわと落ち着かない。

 正面の本棚に収まった本が目に入る。不思議とそれは馴れ親しんだ文字ではないのに、その文字のままに理解できる。

 言葉が通じるのも、身体が祖国で暮らしていた頃より丈夫で、運動神経がすばらしいのも、今まで全く気にしていなかった。

 召喚される前までによく読んでいた、祖国の小説ライトノベルでよくあるような、召喚世界を越えたことによるチート能力だと思っていた。


「勇者殿、ご質問があるとか」


 くだらないことならば許さぬ、と言いたげの魔道士長が、目の前にゆったりと座る。長く話す気は無いらしい。

 カイは渇いてひりついた喉を動かした。


「わざわざお時間を割いていただき、ありがとうございます。質問、というのは俺の体のことですが、この身体は、いったい何なんですか?」

「何、とは?」

「人形の意味です。どうやって俺ができたのか、これからどうなるのか、それを知りたくて来ました」

「ふむ……、今更、という問題ではありますが、貴方にとっては重要なのでしょうね」


 魔道士長は少々悩んだあと、ぱちんと指を鳴らして防音の魔法を使った。その割に、これから散歩に行くような軽い口調で、魔道士長にとっては錬成、カイにとっては勇者召喚の儀式について語りはじめた。


「大陸同盟における協定のもと、我が国にはユーラリア殿下を出征させることを要求されていました。我が国で瘴気の中まともに活動できるほどの光属性の持ち主は、殿下しかおりませんでした。当時の殿下はまだ八つ。そんな殿下を差し出すことはできず、十年の猶予をもぎ取りました」

「それは、知っています」


 カイは相槌を打った。

 当時の王太子、フィーリオが亡くなり、陛下の世継ぎはユーラリア殿下のみになっていた、というのは有名な話だ。


「そこで、貴方を造りました。この国では主流ではないのですが、魔道人形オートマタを召使いとすることがあります。それをベースに、我が国で用意できる最高の材料を使って、魔力的にも物理的にも強靭な器となるように魔法陣を組み、姫君の光属性と親和性の高い真っ白な・・・・魂魄を呼び寄せる計画でした」

真っ白・・・、ですか?」


 妙にその単語が、カイの胸をざわつかせた。


「ええ、真っ白です。記憶も、知識も、意思もない人形です。私たちの指示に従うことが必要でした。前例を見ても、それは普通に達成されるはずでした」

「だから、俺が叫んだ時、驚いたんですか」


 少なくともカイは、召喚されたと認識した時、その場にいた面々が困惑した表情だったことを覚えていた。今となっては随分昔のことのようである。


「ええ。記憶があるだけでなく、まさか異世界からの魂だとは思いもしませんでした」

「もうひとつ、ユーラリア殿下の光属性との相性は、なぜ条件に?」

「それが一番重要でした。貴方の光属性は元々、姫君のものです」

「はぁ?」


 カイにとっては意外以外のなにものでもなかった。カイは努力し、訓練し、浄化の旅を無難にこなしたのだ。

 自身の力が他人のものだったとは、寝耳に水の事実と言っていい。王婿なのだからと、一応使っていた敬語も飛ぶ。


「剣も扱えなかった、他の魔法も扱えなかった貴方が、光魔法だけは最初から訓練なしに十全に扱えたのは、ユーラリア殿下の魔法技能を半分ほど移植したからです」

「そんなことが、可能なのか!?」

「禁忌ですよ。しかし可能かどうかは、現に貴方と殿下がそれを証明しています。貴方は稀代の光属性持ち、殿下はかつての四割ほどしか魔法の威力がない。稀に母体の魔力が胎児に一部流入することがありますから、勝算の高い賭けでした」


 何がおかしかったのか、魔道士長が笑った。空気は微細に震えている。

 カイは一呼吸ほど、微動だにできなかった。


「……ユーラリア殿下には、改めて謝る。意味は、無いが」

「左様ですか」


 カイの絞り出した言葉は、魔道士長の言葉をいくぶん受け入れた苦痛に満ちたものだった。

 しかし全く魔道士長に響かなかったらしい。いっそ清々しいほど冷淡な対応だ。ついつい恨めしく思ってしまう。


「最後に、ひとつ聞きたい。人形という割には、俺は人間じゃないか? 俺は生理現象が起こるが、旅の間で見聞きしたかぎり、魔道人形オートマタが食事をするとか、排泄したとか、聞いたことがない」

「……は?」


 魔道士長の目が点になった。カイも驚いて固まる。実験体だったというなら経過観察くらいしているだろうと思ったのだ。

 先に我に帰ったのは魔道士長の方で、続いて硬直を解いたカイの前で、いつの間にやらメモ帳と羽根ペンを構えていた。目は嬉々として剣呑に輝いていた。カイは嫌な予感がした。


「この四年間、髪は伸びましたか?爪は?」

「いや、そういえば切ってない」

「空腹を感じたことは?動けないほど疲れたことは?睡眠欲は?」

「出されたものは食べたな。遠征中も、体は疲れ知らずだった。寝ようと思えば、眠れた」


 なんだかんだ、今朝もスッキリ目覚めたのである。ユーラリアの方が、起きるのは早かったが。


「性欲はありますか?」

「娼館には、誘われれば行ったが……」

「が?」

「……日々のストレスで、勃たないんだと思っていた」


 カイは沈痛な面持ちを両手で覆った。聞かない方が幸せだったのではと、自分の下半身に目を遣り、それにつられて浄化の旅を思い出す。


 浄化部隊の面々は殆どが魔力の多い貴族出身者で固められていたため、マナーが付け焼き刃で言動もほぼ平民のカイは、召使いはおろか奴隷同然だった。

 王子妃に憧れる子女や、コネ作りに必死な少数の貴族の子息子女が上級貴族に媚びへつらい、隊の一員とはいえ平民階級のカイを蔑んだ目で見ていた。

 人形と罵られたのはこの時だ。諜報員から得た情報だったのだと、ここにきて思い至る。

 幾人かの付き人たちが、カイにこっそり親切にすることや、人目を盗んで冒険者ギルドに入り浸ることが無かったら、カイはストレスで禿げていたと思っているほどだ。


「ふむ。そして排便、排尿はある?」

「ああ」


 そこで魔道士長は恥ずかしがる様子もなく、カイに爆弾のような要求をした。


「では、尿と便と精液をください。検査しますから」

「出来るかボケぇ!!」


 カイは思わず手近な本の角で魔道士長を殴ってしまった。カイがこの一撃でこびりついた瘴気が払えると考えるほど、それはそれは見事な手際だった。


「何をするんですか、私の天才的な頭が悪くなったら大陸、いや世界の損失、もはや全宇宙に対する冒瀆ですよ」


 暫く呻き、自身に治癒魔法を使った魔道士長は舌打ちした。

 しかしカイにも言い分がある。どう考えても魔道士長にとって自分は実験動物であるが、健康診断のようなものとはいえ十分に恥ずかしいのだ。カイの顔はやや熱くなっていた。


「勇者殿、ここはひとつ、未来の魔道人形オートマタのために犠牲になってください。あわよくば実験台になってください」

「断る!大体魔道人形オートマタらしくない魔道人形オートマタなんて俺くらいだろう!」


 恐らく営業用だろう眩しい魔道士長の笑顔――もはやカイには胡散臭いとしか思えないが――を向けられても、カイは容赦無くその鍛えられた筋肉によって、持っていた本による波状攻撃を繰り出す。その度に魔法障壁を生みだす魔道士長も、流石魔法で国一番と言われるだけある。

 実にくだらないとしか言いようがないが。


「……ハア、で、俺がこうである原因と証拠は?」


 一撃、魔道士長の頰に入れられてようやく満足したのか、大雑把に腰を落としたカイが聞く。敬語を使う気力もない。魔道士長は腫れた頰をやはり治して、たいして気にした素振りもなく答えた。


「あくまでも、推測ですが。恐らく錬成時に用いた魂魄結晶が死霊王ネクロマンサー・キングのものだったのが原因かと。龍王の心金も、そうでしょう。あとは勇者殿の強固な記憶ですね。身体が記憶に引きずられているのでしょう。厠に行けば出すものとして、食事を無意識に魔法でうんこっぽいものに変えているんじゃないでしょうかね。これが正しいとするなら、排泄物に毒物反応、精子に生命反応が出ないはずなんですけど。排泄物と精液くれ」

「絶対ヤダ。断固拒否する」


 カイは全身でわかりやすく威嚇する。カイは自分の身体が高性能で、魔道士長が無理に採取しようとしても不可能だということが、すっぽりと抜けてしまっていた。


「チッ」

「無表情で舌打ちするな、キモい。他に確かめる方法はないのか?」


 魔道士長は長い指を顎に沿わせて首を傾けた。


「そうですね〜、鏡を見て違和感を覚えたこととかありませんか?」

「ないが。あるとどうなんだ?」

「例えば、鏡を見て、黒子が無いことに気づく。すると、そこに黒子が浮かび上がってくる、という寸法です。記憶に身体が適合するという現象が確認できると思いますよ」


 カイは唸った。そんな都合よく黒子の位置など覚えていないのだ。元々、日に焼けた肌には黒子が少なかったと思う。


「しかしそもそも勇者殿は、今は亡きフィーリオ殿下に似た面差しの人形になるはずだったのです。魔法陣にそう記述しましたから。ですから、貴方の身体が茶髪金眼にならなかった時点で、それが証拠というか」

「マジで!?俺、茶髪金眼のイケメンになり損ねたのかよ!?」

「そうですよ。没落した王族の遠縁として派遣する予定だったのに、出来上がったのは黒髪黒眼で王家の特徴はゼロ。せめて目が金色なら良かったのですが」


 二人は全身で深い溜息をついた。そこでカイはハッとしたように叫んだ。


「俺がマジで人形ってヤバイじゃん!」

「何がです?」


 キョトンとした雰囲気で、この時魔道士長はやや若く見えた。

 カイは自分の行き着いた結論に頭を抱えるしかないが、雑な解説をするくらいには余裕があった。


「俺が種無しなのに次期女王の婿ってことがだよ」

「あ……」


 二人は魔道士長室で向かい合って座りながら、急激に室温が下がったように錯覚した。今にもこの部屋で雨が降りそうなほど、揃って沈みこんでいる。


 不運が重なった結果ではある。

 王女に丁度良い婚約者がいなかったこと。

 カイが感情豊かで人間らしかったこと。

 魔道士長が、人格のある魔道人形オートマタに気をとられ、勇者が子を成せない可能性を考慮し忘れ、挙句進言し忘れたこと。

 王も姫も錬金術に詳しくないこと。


 そして現在、王族と言っていいのは現王、王妃、姫、既に亡い王弟の幼い息子の四人しか居らず、王族を増やすのが急務であること。


「これ王様と殿下は知ってるのか?」

「いやぁ、知らないですねぇ。ハハハ」

「ハハハ、じゃねぇぞこのヤロー!!」

「大体勇者殿が人間らしすぎたのがいけないんですよ!」


 とにかく、この不毛な責任の押し付け合いは、太陽が真上に登る頃まで続いた。


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