♯41 確かな光

 一瞬の激しい恐怖と静寂。

 だが──三人はすぐに冷静さを取り戻す。

 ここはそういう場所だ。そういう世界だ。死で溢れたこの街で、死者の姿を見つけることは珍しいことではない。三人ともがそれを理解している。


 だからといって、恐怖は消えない。


「す、すみません。大きな声を、出してしまって……」


 震えが残ったクロエのつぶやきに、レナとベアトリスは自身を落ち着けるように小さく息を吐いた。それぞれに亡骸から目をそらして気を休める。


「うぅん、仕方ないよ。こんなのフツー見ることないし……」

「その通りですわね……。クロエさん、お気になさらず。それよりも大丈夫ですか?」

「は、はい。で、でもこの方は一体……」


 起き上がるクロエにレナとベアトリスが手を貸し、三人は同時に思考を始めたが、当然ながらその正体を知ることはできない。


 ベアトリスが考え込んだまま話す。


「可能性として高いのは、やはりヴィオールの者……でしょうか。ただ、それよりも気になるのは……」


 再び白骨化した亡骸へと目をやる三人。


 カンテラで弱々しく照らされた亡骸を見て──三人は、同じような“違和感”を持った。


 亡骸の膝の辺りに、一冊の厚い本が置かれている。それはまるで、つい先ほどまでここに座って読書をしていたかのようであり、その途中に眠ってしまったかのような自然な姿だった。


 レナがその本に興味を示して手を伸ばす。

 軽く埃を払うと、立派な装丁の本は未だにしっかりと形を残している。


「これ、何の本だろ? 昔の魔術書?」

「“魂”の扱いに関する書物のようですわね。大変貴重なものではありそうですが……」

「レ、レナさん。よく本を取れましたね。うう……な、なんだか急に動きそうな気がして、怖い、です……」

「大丈夫だよクロエ。あのオバケたちの方が怖いじゃん。この人は襲ってこないよ」

「そ、それはそうかもですけど……」


 だからといって怖いものは怖いクロエである。うっすらとカンテラに照らされた骸骨など、少女にはあまりに刺激が強い。

 そんなクロエがこわごわと視線を移してつぶやく。


「本もそうですけど……な、なんだか不思議な感じ、ですよね……? 装飾品まで着けていて……」


 よく見れば、亡骸の首元には輝きを失わぬ美しいペンダントネックレス。骨だけになってしまった指先にも指輪が着いたままだった。


 そして──三人は再び同時に驚くことになる。


「あっ! ベア!」

「ベ、ベアトリスさんっ……こ、これって!」

「……ええ」


 三人の視線が集まっていたのは、ペンダントネックレス。


 そのペンダントトップに──見覚えのある“鍵”がぶら下がっていたのだ。


 代表して、ベアトリスが緊張の面持ちでその鍵へと手を伸ばす。指の腹で軽くこすれば、錆の中に魔術刻印の輝きが見える。


「間違いありません……リィンベルでレベッカさんが使ったものと同じ、『星天鏡』の鍵です! 刻印も生きています!」

「やっぱり!」

「そ、そそそれじゃあ! わ、わわっ、私たち……!」


 溢れ出す動揺と歓喜。そして不安。


「帰れるん……ですか……っ?」


 確かめるようなクロエの言葉に、ベアトリスが笑みを見せる。


「ええ、きっと。お二人とも、ここまでよく頑張りましたわね」


 そんなベアトリスの優しい声色に、クロエがまたへなへなとその場に座り込んでしまう。安堵のあまりか、その瞳に涙が浮かんでいた。


「よ、よ、よかったですぅ……。レナさんと、ベアトリスさんと、さ、三人で、元の世界に……」


 そんなクロエの様子に、レナとベアトリスはホッと緊張の解けた顔で笑いあった。

 レナがクロエに手を差し出す。


「ほらクロエ、起きて。まだ鍵を見つけただけだよ。腰なんて帰ってから抜かそうよ」

「私たちには、まだ鏡の元へ戻るという課題が残っております。油断せず、最後まで力を合わせて困難を乗り越えましょう」


 さらにベアトリスも手を伸ばし、クロエは二人それぞれの手を掴んだ。


「レナさん……ベアトリスさん……はいっ!」


 起き上がるクロエ。

 わずかにだけ見えていた希望の光。今にも消えてしまいに儚かったその光りが今、確かに大きな光りとなって三人の行く先を照らす。

 希望があれば、人は進める。


 ベアトリスが再度、亡骸の方へ目を向ける。


「この鍵を所持しているということは……レナさんの仰るとおり、この方は初代当主様だったのかもしれません。もしもそうなのであれば……このような姿になっても子孫わたくしたちを導いてくださったこと……心より感謝致します」


 ベアトリスが手を組み合わせて祈りを捧げる。クロエも同じように礼を尽くし、レナも見よう見まねで同じ事をした。


 それからベアトリスが手を伸ばし、そっと、亡骸の首からペンダントを外す。


「──さぁ、お二人とも。鏡の元へ戻りましょう。そして……私たちのリィンベルへと帰りましょう」

「うん」

「はい!」


 後は無事にリィンベルパレス──『星天鏡』の元へさえ戻ることが出来れば、リィンベルの街へと戻れる。日常を取り戻せる。家族に会うことが出来る。


 三人は、大きな希望を胸に抱えたまま歩き出す。


 そして、その部屋を後にしようとしたそのとき──



『──ふわぁ』



 背後から聞こえたその自然な“あくび”に、レナたち三人はぴたりと歩を止めた。


 弛緩していた空気が瞬時に強ばり、張り詰める。三人の背には冷たいものが流れ、全身が硬直したようにしばらく動けなくなる。


 レナと、クロエと、ベアトリスは。


 ゆっくりと、背後を振り返る。


 ギィ、と音を立てて揺れた古い椅子から、亡骸がその姿のまま立ち上がった。


 そして──こちらを見る。


 先ほどのあくびと同じように、とても自然に。


 骨だけとなっていたその亡骸が。



『これは可愛らしい客人たちだ。待ちくたびれてみるものだね』



 間違いようのない死者が、間違いなくレナたちを見て、喋り、そして笑った。

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