♯37 失われた都
三人は建物や木々といった物陰に隠れながら、少しずつ街中を移動する。
しかしそれは、大変な心労を伴うミッションだった。
それぞれの小さな呼吸音だけが、街に吸い込まれては消えていく。
とにかく不死者の姿がない場所を選び、足音や物音を立てないよう気を張って、ゆっくりと時間を掛けて動く。
だが街中に溢れた不死者の群れ――かつてリィンベルの民だった者たちの数は多く、それらに一切見つからないよう行動するのは至難の業だった。
怪しいオーラを纏った不死者たちは定まらぬ視線で呆然と、漫然と、ゾンビのようにふらふらと街を歩き回っている。中にはかつてのレストランらしき建物に入っていく者、ショッピングを楽しんでいるかのような者、公園で遊ぶように駆けている者、並んで歩く小さな子供たちの不死者もいる。レナたちから見れば、それぞれがまるで生前の行動を模倣しているかのようだった。
今のノルメルトの街で誰にも見られず街中を移動する――それがどれほど難しいかを思えば、このミッションの難しさは誰にでも容易に想像が出来るだろう。
見つかれば、命を落とす。
一人のミスで、全員の身に危険が及ぶ。
常に死と隣り合わせの状況は、三人の心を大きくすり減らす。
中でもクロエの消耗は激しかった。
「はぁ……はぁ……っ」
「クロエ、平気?」
「は、はい……」
レナがそっと声を掛けてみても、クロエの顔色は優れない。身体の震えも次第に大きくなっている。
それは当然のことであり、クロエは冒険者でもなければ命を奪い合うような戦いの経験もない。ただの一生徒であり子供だ。このような場面でも恐れず前に進み続けるレナやベアトリスの方が異常なのである。
路地裏から顔を出したベアトリスが素早く周囲を観察し、声を潜めて話す。
「安全な裏道を選んできましたが……ヴィオールの屋敷に向かうには、この大通りを抜ける他ありません。そして、この通りの真ん中にはいつまで待っても動かない厄介な不死者が一人だけおります。格好から、どうも警備隊の者だったようですわね」
「お仕事熱心だったんだね。どうするの? ベア」
「彼が逆の方を向いているうちに、素早く通り抜けるしかないでしょう」
「ん、そっか」
レナとベアトリスはいったん会話を止め、後ろのクロエの方に顔を向けた。
ベアトリスが近づく。
「その前に……クロエさん、一度どこかで少し休みましょう」
「あ。い、いえ、大丈夫ですっ」
「クロエ、でも」
「ふ、二人に迷惑をかけたくないんです。私も……私だってリィンベルの生徒だから。二人と、対等な関係でいたいからっ」
「クロエ……」「クロエさん……」
「だから……お願いします。前に、進みましょう……!」
震えを押し殺すように手を握り、凜々しい瞳を向けるクロエ。レナとベアトリスは顔を見合わせてうなずき合った。
「わかった。でも三人で帰らなきゃ意味ないんだから、ムリなときはムリって言ってね。じゃないと逆に迷惑だから。レナも正直に言うし」
「レナさんの仰るとおりです。支え合い、力を尽くすのが私たちの責務。余計な気遣いは無用ですわよ、クロエさん」
そう告げた二人は、ほぼ同時に固く握られていたクロエの手を握る。柔らかな笑みと共に。
「レナさん……ベアトリスさん……」
力が入っていたクロエの手がゆっくりとほどかれ、その瞳にじわりと滲むものがあった。
それからクロエは穏やかな表情で言う。
「そ、それじゃあ、ヴィオールのお屋敷で少し休ませてもらいたい、です」
「うん、そうしよ。お腹も空いてきたし」
「承知致しました。けれどレナさん、間違いなく屋敷にまともな食料など残っておりませんわよ?」
思わず小声で笑い合う三人。それぞれすぐに口を塞いで気を引き締める。
繋がり合った手と、交わし合った言葉がそれぞれの心に再び灯を灯した。
「それでは私が合図を出します。レナさん、クロエさんを」
「うん。クロエ、行くよ」
「は、はいっ」
ベアトリスが動き、再び路地裏から表通りにそっと顔を出す。
その間にレナとクロエはまずそれぞれに靴を脱ぎ、裸足になる。ひんやりとした石畳の感触が、かつての街の賑わいをわずかに感じさせた。
そして二人手を取り合い、ぎゅっと固く繋ぎ合う。
一方、ベアトリスが見張る元警備隊と思われる動かない不死者は、通りの中央からぼうっと辺りを見つめるように動く。時計回りするように、ゆっくりと。
そして不死者の視線がこちらから離れた瞬間――ベアトリスがさっと手を挙げた。
刹那にレナとクロエは駆ける。
路地裏を抜け、表通りに。自分たちを隠すものが何もなくなった場所を、全速力で走り抜ける。二人とも足元には特に気をつけた。ここで転んだりすればすべてが終わりだ。
ミスはない。裸足になったことでより抑えられたわずかな足音は向こうまで届いていないはずだった。
しかしそのとき――レナとクロエの視界の端で、その不死者が動いた。
何かを感じ取ったのか、または二人の足音を拾ったのか。先ほどまでずっと漫然と動いていた警備隊の不死者は、突然素早くこちらの方に姿勢を向き直そうとしたのだ。まるでならず者の気配に気付いたかのように。
「「――!!」」
レアとクロエの顔色が変わる。
――あと数歩、あと少し。
そのたったわずかな距離が、二人にはとても長く思えた。
見つかってしまう。もし見つかれば三人とも――!
そんなとき――突如『カンッ!』と高い音が響いた。
不死者はぴたりと動きを止め、物音がしたほうに素早く視線を向ける。そこで、建物の壁にぶつかった小石がカランカランと落ちて転がった。
ちょうどそのタイミングでレナとクロエは通りを駆け抜け、向かいの路地裏に飛び込むことに成功。
レナとクロエがハッと背後を見る。
先ほどまで二人がいたあちら側の路地裏で、ベアトリスの背後に魔力で形作られた竜の影腕が浮かんでいる。
さらにベアトリスは不死者が小石の方に走ったタイミングを見逃さず、裸足で素早く通りを抜けるとレナとクロエの元へと追いついた。その額にうっすらと汗が滲んでいる。
「ふぅ……どうやらこういった囮も、有効なようですわね」
そう言ったベアトリスの手には、いくつかの小石が握られていた。
三人は安堵の笑みを浮かべ、そしてヴィオールの屋敷へ向かってさらに歩を進めた。
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