♯25 鏡と鍵

 クロエの後をつくようにリィンベルの校舎内を歩くレナ。

 既に多くの生徒たちは下校しているため人の姿はまったくといっていいほどなく、歴史ある巨大な校舎内を二人だけで歩いていると、まるで古いダンジョンに迷い込んだかのような気さえする。


「クロエもどこか買い物いくのかなと思ってたけど……用事って学校の中なんだ? どこいくの?」

「も、もうすぐ着きますから……」


 クロエはそれ以上説明などはせず、ただ静かにレナの前を歩き、レナはそんな彼女の背中をじっと見つめていた。


 ――うすうす予感はしていた。


 しかし本当に想像していた場所に辿り着いてしまったものだから、レナはさすがに驚くばかりだった。


「クロエ……ここって……」


 そこにあるのは、特徴的な魔術印が刻まれた重厚な門。学院の地下にある、重苦しい雰囲気の扉の前だ。


 そう、〝身体測定〟のために訪れたあの部屋の前。

 つまり、『リィンベルパレス』の入り口だった。


「は、はい。その、実は、レナさんを案内したいのは、この先で……」

「でもこの先って、先生とか特別な人しか入れないんでしょ?」

「だ、大丈夫です。ちゃんと、鍵を持ってますから」


 クロエがポケットから取り出したのは、扉と同じ魔術印の刻まれた一本の鍵。以前来たときに講師エイミが持っていたものと同じようだ。

 なぜクロエが持っているのか。許可を得て借りたのか? レナがそんな疑問を投げる前に、クロエは扉に手を掛けた。


「そ、それじゃあ開けますね……」


 そして鍵を差し込み、扉は開く。


 二人で中に足を踏み入れれば、そこは以前と何の変わりもない大部屋だ。

 ひっそりと静まりかえった空間はどこか異質な空気が流れ、中央にあの姿見だけがあり、他はだだっ広いだけで何も存在しない。レナも内部から見る塔の造りには興味関心があるが、今はそちらに目を向けている状況ではないだろう。


「クロエ? ここで何するの?」

「も、もう少し先、なんです」


「え?」と当惑するレナ。


 再び歩き出したクロエは、その部屋の正面奥――鏡の前までやってくると足を止めた。


「……クロエ?」


 また身体測定でもするのだろうか。


 レナがそう思ったとき――突然クロエに強く手を掴まれた。


「痛っ、ク、クロエ? なに?」


 クロエは左手でレナの手を掴みながら、右手に持った魔術印の鍵をじっと見つめている。その表情は、思い詰めたように暗い。


 嫌な予感がレナの背筋を冷やす。


「クロエ。なに、しようとしてるの?」


 クロエは答えない。


「その鍵、どうやって持ってきたの? クロエが持ってていいものじゃないよね?」

「はぁ、はぁ…………」

「なんでレナを連れてきたの? クロエはなにがしたいの?」

「う、うう…………」


 クロエは何も答えない。

 代わりに――右手の鍵を鏡の方へと近づけていく。


「やめて……クロエ! 放してっ!」


 クロエの左手は、しかし強くレナを掴んで放さない。


 彼女は何か良くないことをしようとしている。本能的にそう悟ったレナは、もう一度大きな声で彼女の名前を呼んだ。


「――クロエ!!」


 そのとき――震えるクロエの右手からスッと鍵が地面に落ちた。


 同時に、レナを掴んでいたその手からも力が抜ける。


「……できるわけ、ないよ…………」


 クロエは、ぽろぽろと大粒の涙をこぼして泣いていた。


「わたしには……そんなこと、できない…………だって! だってレナさんはっ、わたし、なんかと…………ほんとの、ともだち、に……!」


 その場にぺたんと座り込んで、涙に濡れた顔を手で覆い隠すクロエ。


「……クロエ……」


 一体何があったのか。

 レナがクロエに声をかけようとしたとき――



「あれ~? クロエちゃんどうしちゃったの~?」



 その声にバッと振り返るレナ。


 リィンベルパレスの入り口に、赤い髪の少女レベッカの姿があった。


「……レベッカ!」

「うざっ、だから気安く呼ぶなっての。それよりクロエちゃんさぁ――」


 レベッカがゆっくりこちらに歩み寄る。クロエがびくっと反応して、怯えたようにレナの制服を掴んだ。


「いいの~言うこと聞かなくてぇ? ベアの命令に背いたら除籍、退学になっちゃうよ~? ほらほらもうすぐじゃん、ここまで連れてこられたんだからさ。あとちょっと! がんばれがんばれ~♥」


 愛らしく甘ったるい声でクロエを応援し始めるレベッカ。

 レナが怪訝な目を向けて尋ねる。


「なんでレベッカがいるの? これ、レベッカのしわざ?」

「はぁ? 何言ってんの? アンタが勝手にクロエちゃんについてきたんでしょ? それよりクロエちゃん、ほらもうちょっと頑張ろうよ~? そしたらアタシみたいにベアとお近づきになって、学院トップも夢じゃないかもよ~?」


 笑顔で近づくレベッカに、しかしクロエは青ざめて震える。

 レナはすぐにクロエをかばった。


「こわがってるからやめて」

「うっざ。今アタシは友達のクロエちゃんとお話してるんですけど? ヨソ者は引っ込んでてくれない?」

「やだ。クロエは友達だから」

「……は?」

「あなたこそ引っ込んでて。ウザい」


 レナの一言に、レベッカがイラッと強く眉をひそめた。

 しかしすぐにまた余裕そうな笑みを浮かべると、上から目線で語り始める。


「ふぅん? 友達ねぇ? そので操ってるくせに?」


 その言葉に、レナもクロエも大きく動揺した。その反応を見てか、レベッカはさらに調子良くニヤニヤとしゃべり出す。


「クロエちゃんはきっと知らないよねぇ? あのねぇクロエちゃん、コイツ、夢魔の魔族の力で人を魅了チャーム出来るんだよ。つまり自由に操れるってワケ。クロエちゃんはさぁ、コイツの魔術で都合良く友達にされたんだよ。かわいそうなんだけど~」

「…………え……?」

「噂で聞いたけどさぁ、コイツ昔からめちゃくちゃで、夢魔の力で人を操ったり吸血鬼の力で人を傷つけたり、とんでもないヤツなんだよ! ほら、前だってアタシを殺そうとしたじゃん? こっわぁ~い! こんなヤバイヤツが友達なんてありえないっしょ。ほらクロエちゃん、そういう相手だとわかったら躊躇なんてしないでしょ? さっさと仕事しよ?」


 レナは、静かにうつむいて黙り込んでいた。


 クロエが瞳を潤ませながら、弱々しい声で尋ねる。


「……レナ、さん…………? 本当……なん、ですか……?」

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