♯23 放課後の誘惑
――放課後。
なんとか水着姿で午後の授業を乗り切ったレナであったが、学院の中よりも帰り道こそが最も恥ずかしいことに気付いてちょっと憂鬱になっていた。学院関係者以外に水着姿での下校を見られるかもと思うと羞恥心がむくむくとこみ上げてくる。一応、エイミから借りたカーディガンを羽織ってはいるが……。
「はぁ。まぁ寮が近いからいいけど……走って帰ろ……」
「で、でも予備の制服が明日には届くみたいで、よかったですねっ」
廊下でとぼとぼと歩くレナを気遣ってか、クロエが励ますように明るい声で言った。
「うん。あ、クロエはまだ係のお仕事があるんだっけ? レナも手伝おっか?」
「ありがとうございます。でも、お気持ちだけで。ちょっと魔術書の整理をするくらいですから。レナさんは、早く寮に戻って着替えないとです」
「ん、そっか。わかった。じゃあまた明日ね」
「はい。また明日、です」
手を振ってレナを見送るクロエ。水着onカーディガンスタイルのまま駆けていく友人の姿はちょっとおかしくて、でも、とっても愛らしかった。
「……レナさん。わたしの方が、助けてもらってばかりなんですよ……」
柔らかな笑みを浮かべるクロエ。
クロエは心から感謝していた。
明日も頑張ろうと、思えたから。
レナと出会って、そう思えるようになったから。
いつしか自分もレナのようになりたいと、立派な魔術師になって、家族に誇れる自分になりたいと。そう思えるようになったのは、この学院にいる恐怖感が薄れたのは、間違いなくレナのおかげだから。だからこそ、尊敬する友人にふさわしい友人になりたかった。
「……よぉし。お仕事片付けたら、早く帰って勉強しなきゃ」
クロエはぐっと両手を握ってやる気をみなぎらせ、廊下を戻っていく。
そのとき、階段の踊り場の方から声が聞こえてきた。
「ええっ!? レベッカ、本当にそんなことする気――!?」
「声が大きいんだよバカ!」
それらの声にぴたりと足を止めたクロエ。
すぐに壁の影に隠れたが、どうやら気付かれてはいないようだった。先ほどの声は、間違いなくレベッカといつも彼女が一緒にいる〝ベアトリス組〟のクラスメイトたちだ。
クロエがドキドキした胸を押さえていると、小さな話し声が漏れ聞こえてくる。
「――いい? これは〝ベアの命令〟だからね。アタシらでアイツを――」
途切れ途切れに聞こえてきたやりとりに、クロエは耳を疑った。呼吸が自然と乱れ、早くなり、背筋に冷たいものが流れる。
「…………た、大変……! レナさんに――うぅん、さ、先に先生にっ……」
クロエが急いで動き出そうと振り返ったとき――
「――そんなところで何をしているのです?」
目の前に――ベアトリスが立っていた
「きゃあっ!?」
驚きのあまりつい大きな声を上げてしまったクロエは、すぐに両手で口を塞ぐ。しかし、もう遅かった。
「あ、あら。驚かせてしまったみたいですわね。クロエさんがまだ残っておられたので声を……ああ、係の仕事ですか。それはお疲れ様です」
ベアトリスの言葉がほとんど耳に入ってこない。
――振り返る。
そこにはレベッカたちがいた。
「あれあれー? クロエちゃんまーだいたの? てっきりアイツと……てゆーかアンタ。ひょっとして話聞いてた?」
「え、えっ」
「アンタってさぁ……大人しい顔して結構大胆なとこあるよねぇ。ムッツリってヤツ? だからこんなに育っちゃうワケ?」
クロエの胸を指で突き、ケラケラと笑うレベッカ。クロエはその場から動けずに震えていた。そもそも周りを囲まれていて、逃げられる状況ではない。
ベアトリスがたしなめるように呼ぶ。
「レベッカさん」
「ハイハーイ。はしたない真似は致しませんわ。ベアはおかえりでしょ? ごきげんよ~!」
「ええ、皆さんもごきげんよう」
そのまま髪をなびかせて去っていくベアトリス。
そしてその場に残ったのは、レベッカたち三人と、クロエ。
レベッカはニッコリ笑ってからクロエに身を寄せ、強引に腕を組んだ。
「レ、レベッカ、さん?」
「今日は恥ずかしいとこ見られちゃったよねぇ。――わかってると思うけど、アレ、先生とかに言ってないよね? 言ったらアンタ、全部おしまいだよ?」
「……!」
クロエの怯えた顔を見て、レベッカはくすくすと笑った。
「ま、アンタみたいなグズの意気地なしが言ってるわけないか。家のためにはどんなグズでも籍だけは置いておかないといけないもんね? 逆らったりしなければ、卒業までは面倒みたげるからさ。家族のために、これからも一緒に頑張ろうね? と、ゆーわけだからぁ――」
レベッカは震えるクロエの耳元に唇を寄せ、甘く囁きかけるように言った。
「――友達同士、ナイショの話しよっか♥」
彼女の逃げ場の内〝誘惑〟に、クロエは逆らう術と意志を奪われていた――。
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