♯21 クロエの決意


「――ひっ!?」


 レベッカが怯えた声を上げたとき、その闇に引かれるように彼女は体勢を崩して地面に叩きつけられる。しかし赤髪の少女が恐怖したのは、己の足を掴んだそれに対してではない。


 ――背後から発せられる、全身を突き刺すような闇のオーラ。


 おそるおそる振り返ったレベッカは、声も出せずに青ざめていく。


 レナが見ていた。


 頭部の角。背中の黒翼。臀部の尾。そして真っ赤な瞳がレベッカを捉えて離さない。

 魔族の姿となり、その全身から強烈な魔力の波動を放ちながらレナが立ち上がる。


「……レナ、わかったかも」


 そのつぶやきに、レベッカが「……え?」と呆けた声を出す。


 刹那、景色がぐにゃっと歪むようにしてレナの姿が忽然と消えた。


「「!?」」


 レベッカとクロエは同時に驚愕し、息を呑む。

 素早く首を動かして辺りを見回したレベッカは、やがてゾワッとすくみ上がるほどに恐怖した。



「――



 風景に同化していたレナがぐにゃりと姿を現し、レベッカの背後でそうささやいた。


 振り返ってレナの顔を見たとき。

 レベッカは、大型の魔獣と遭遇した小動物のように自身の立場を思い知って涙した。


 何の感情も宿さない無表情のレナが、鋭く伸びたその爪を突き出す。


「――レナさん! だめぇっ!!」


 クロエが叫び、レベッカが強く目を閉じる。

 己の死さえ覚悟したであろうレベッカは――しばらくしてゆっくりとまぶたを開いた。そして一度だけ大きく震える。


 ――レベッカの顔のすぐそばで、レナの爪が地面に深く突き刺さっていた。


 そこでレナが息をつくと同時に角や翼も消え去り、場を完全に支配していた深淵のごとき魔力の波も拡散して空気に溶ける。


 レナはクロエの方を向いて、とても静かな声で言った。


「ありがと、クロエ。でも平気。そんなことしないよ」

「レナさん……」

「怒って、暴れて、誰かを傷つけて。それじゃ昔のレナと一緒だもん。もう、惨めで恥ずかしい自分に戻りたくない。ちゃんと成長したって、胸を張って家族に会いたいから」


 穏やかに変わるレナの表情を、レベッカはただ呆然と見上げていた。そして、クロエは安堵したように微笑して涙をぬぐう。


 しかし次の瞬間、レナはキッと眉尻をつり上げてレベッカを睨み付けた。


「でもあなたは許せないからこれくらいはするけど」


「え――」とレベッカが声を上げようとした瞬間、パァァンと激しい音が響く。


「…………っ、たあああぁぁぁぁ…………!!」


 頬を抑えてうずくまるレベッカ。レナが高速平手でレベッカの頬を思いっきりひっぱたいたのだ。つまり強めのビンタである。


 レナは腰に手を当てながら仁王立ちしてレベッカを見下ろす。


「ビンタで泣いちゃうなんて、あなたもカワイイところあるんだね。これで許してあげるからさっさとどっかいって。またレナの大切なモノを傷つけようとしたら、そのときは絶対許さないから覚えておいて」

「…………ッ! うるさいんだよバァカッ!!」


 レベッカは涙を浮かべたまま頬を抑えて立ち上がり、走り去っていった。

 クロエがすぐに近づいてくる。


「レナさんっ、大丈夫? 怪我は?」

「平気。クロエ、レナのこと追いかけてきてくれたんだね」

「う、うん。レナさんがこっちに向かったって。そしたら……」


 クロエの視線を追って、レナが握っていた左手を開く。クロエが辛そうに目を伏せた。


 そこにあるのは、砕けてしまった髪飾り。


 レナは寂しげに目を細めた。


「……これね、レナがこっちに留学する日にもらったの。フィオナママと、クレスパパと、ドロシーと、アイネと、ペールと、クラリスが、レナのために贈ってくれたの。お守りだって」

「……大切な、贈り物だったんですね……」


 レナはうなずき、そして笑った。


「壊れちゃったけど、いいの。だって、ちゃんとレナのこと守ってくれた。ずっと、守ってくれてた」

「……レナさん……」

「ありがとう。レナのこと、守ってくれて」


 レナは、とても愛おしいものを見つめる瞳で壊れた髪飾りに別れの言葉を掛けた。その瞳から、またぽろぽろと涙をこぼしながら。


 そんなレナを見て――クロエは一度深く呼吸をすると、意を決したように顔を上げて言った。


「レナさん。壊れてしまった髪飾り、わたしに見せてもらえませんか?」

「……え?」

「お願いします。今ならまだ……元に戻せるかもしれません!」


 突然のクロエの発言に、レナは涙に濡れたままの目をパチパチとさせた。

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