♯19 宝物
――次の日から、レナの心はずっと楽になっていた。
授業中、ふとしたときにクロエが目配せをしてくれたり、昼休みにはあの場所で一緒に弁当を食べたりするようになったからだ。ただ、クロエの立場に配慮してそれ以外のときは仲良く振る舞うようことはしないようにしていたが、レナにはそれで十分だった。
というか、楽になったと感じるくらいには割と追い込まれていたのだろうかと、レナはそのことが多少悔しく感じたものである。そのことをクロエに話したら、「やっぱりレナさんはすごいです」とクロエは笑った。
そして、クロエの言う通りあまりベアトリスに干渉しないようにした。
手を抜く、というわけではないが、授業中など必要以上に張り合わないことにしたのだ。そもそも目立ちすぎてしまったのが怒りを買った原因だろうし、いじめにやり返すのもほどほどにして、少しの間辛抱してみよう。レナはそう考えた。
いずれいじめにも飽きてやめてくれるかもしれないし、そもそもそんな無駄な行為に時間を割くくらいなら真面目に魔術の勉強をしてトップになるべきだと、そんな当たり前のことに気付いてくれるかもしれない。
うん、きっとそうだ。ここにいるのは優秀なエリートたちばかりなのだから、きっとわかってくれる。
――だが、レナの考えは甘かった。
「…………はぁ……」
思わずため息も出る。
その日、〝エレメンタル・スフィア〟ではなく通常の水泳の授業を終えた後に更衣室へ戻ってきたレナは、着替えの制服がなくなっていることに気付いた。
周りの生徒たちがチラチラと遠巻きに気の毒そうな顔をしている。おそらくはもういないレベッカたちの仕業だろう。制服は支給品だから金銭面で困るわけではないが、エイミに説明するのも少々面倒だ。なにより体操着も寮に置いてきてしまっているし、着替えがなくてはこの後の授業を水着姿で受けるしかない。
それを知ったクロエがすぐに動いた。
「レ、レナさんっ。でしたらわたしの制服を着てくださいっ」
「そしたらクロエが水着で授業じゃん。そんなかっこでずっといるなんて恥ずかしいでしょ? そもそも、クロエの制服じゃレナにはおっきいよ」
「あ、あう……すみません……」
レナの視線ですぐに気づいたのか、水着姿のまま胸元を両腕で隠すクロエ。ぴっちりと身体のラインが出る学院指定の水着では、大人しい彼女の大人しくないサイズは大変目立った。
レナはため息ながらに言う。
「はぁ。レナだって恥ずかしいけど、今日はこのまま…………あっ」
そこでレナは、己の最大のミスを強く後悔した。
「……うそ。ない。ない!」
いつもペンダントトップにして首から掛けているコロネットの指輪は、〝エレメンタル・スフィア〟など着替えの必要な授業の際は今のように指に嵌めている。もし盗まれたら困るからだ。
しかし、髪飾りのバレッタまでプールに持って行くことは出来ない。だからいつも制服の胸ポケットに隠していた。
その考えこそが甘かったのだ。
レナが初めて見せる狼狽ぶりに、クロエはもちろん無視しなくてはならないはずのクラスメイトたちもなにごとかと驚いてレナの方を見ていた。
「――っ!」
レナは水着姿のまま更衣室を飛び出して走った。
「レ、レナさんっ!?」
するとクロエも制服を抱えたまま後を追いかけてくる。
レナは懸命に走る。
あの〝宝物〟だけは、絶対に取り返さなくてはならない――!
廊下を駆け抜け、教室に戻り、答えてはくれないだろう何人かのクラスメイトに詰め寄って、そしてまた飛び出したレナはわずかな情報と予測から考えられる居場所をいくつか特定し、水着のまま、裸足のままそれらを巡った。
そして息切れのレナがようやく追いついたのは――校舎の外れだった。
「はっ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
そこにいた一人の少女が、呆然とこちらを見ている。
「……は? なにアンタ、ひょっとしてそんなカッコで学院中走り回ってたワケ? ウケるんだけど! 恥ずかしくないの~?」
煙突が目印となる焼却炉の前で、赤髪の少女レベッカがレナを指さして笑った。
逆の手に、レナの制服を抱えながら。
「……返して」
レナは呼吸を整えて、たった一言そう告げた。
「は? なにを?」
「レナの制服。返して」
「制服? ――あ~これのことっ? なんか更衣室にきったないのが一着あったからさ、キレイにしてあげようと思って。あはっ、アタシやさしくない?」
「いいから返して」
レナは手を伸ばし、一歩ずつレベッカの元へ近づいていく。
すると――レベッカの表情がすぅっと冷めていった。
「ふーん……よっぽど制服が大事なの? じゃあ返してあげる。――あ、手が滑っちゃった♪」
焼却炉の戸を開いたレベッカは、レナの制服をその中にポイッと落とした。
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