♯16 裸の少女はアイミーがお好き
その夜から、レナは異変を感じ取っていた。
「……?」
リィンベル中等寮。夕食を済ませて大浴場でサッパリしたレナだったが、その頃からどうにも居心地の悪い視線を感じる。それは今まで注目を浴びていた類いのものとは違い、どこか腫れ物を遠巻きに見つめているかのような視線だった。
思い出すのは、小さかった頃。独りだった頃。
そう、孤児院や学校で受けてきたそれによく似ていた。
「……気持ち悪いな」
さっさと部屋に戻ることにしたレナは、寝間着姿でベッドに寝転ぶ。
「……あ」
そのとき目にしたのは、机の上に出したままにしていた缶詰である。
すぐに身を起こし、その缶詰を手に取った。
アイミーの蜜漬け。収穫したばかりの新鮮なアイミーを蜜漬けにしました――と、みずみずしいアイミーの写真と共にラベルに記されている。ただでさえ甘い果実を蜜につけるという贅沢な一品は、特に若い女性に人気のある食品だ。もともとアイミーの果実自体が栄養豊富で、バストアップ効果があるという周知の噂も輪を掛けているだろう。
この缶詰は、レナがノルメルトの街で保存食としていくつか購入していたものなのだが……。
「……う~ん……」
手に持ったまま少しばかり思い悩むレナ。
というのも、〝相手〟が他の子と同じようにこれをもらって喜ぶのかどうかわからないからだ。
そもそも渡す必要などあるのか? 迷惑にはならないか?
夕食にお風呂にとすでに時間が空いてしまったこともあり、ちょっぴり慎重な思考になりすぎてしまったレナだったが、そういうのはもうやめようとぶんぶん頭を振って決意を固める。
「ちょっと渡すだけだし、このままでいい……よね? なんか、着替えていくのも違う気がするし……」
一応鏡で身なりをチェックして、缶詰を手に部屋を出るレナ。
目的地はすぐそこ。同じ四階の端っこの部屋だ。
コンコン、とノックをしてみるが返答はない。そうだろうなとは思っていたレナである。
もう一度ノックして少し待つも、足音が聞こえてくるようなこともない。
小さなため息と共に仕方なくドアノブへ手を掛けるレナ。教育上や非常時のために各生徒の部屋には鍵そのものがなく、通常時はこうして好きに入ってしまうことが出来た。
「お邪魔し――わっ!」
入室直後に驚きの声を上げるレナ。
ドアを開けた瞬間、天井からぷらぷらと長い植物がぶら下がっていたのである。
「な、なにこれ……植物……?」
戸惑いながらも植物のカーテンをくぐってみると、中は花や木々でいっぱいに覆わされた植物だらけの一室だった。まるで植物園の温室にでも入ってしまったのかのような室内は、それになんだかとても甘い匂いがする。
ここでレナはさらに驚愕する。
床に脱ぎ捨てられた、制服と下着。
部屋の主――ミュウ・ベリーが、全裸でアイミーの果実を食べていた。
「…………な、なんで、裸なの……?」
これにはさすがのレナも呆然と尋ねてしまった。
すると、ようやくレナの存在に気付いたらしいミュウがいつものボーッとした顔でチラリとこちらを見て、やはり返事もなく無視して、そのままアイミーを食べ続けた。
さらに皿の方へ手を伸ばしたミュウだったが――もうそこにアイミーの果実は残っていない。
途端に、ミュウはなんだかしょんぼりしたような顔になる。表情が大きく変化したわけではないのだが、少なくともレナにはそう見えた。
そこでレナは「あっ」と手土産の存在を思い出す。
「えっと、これ……」
「……!」
缶詰を取り出して見せると、あのミュウがぴくっと大きな反応を見せた。レナはちょっぴり驚く。
「きょ、今日の授業、ミュウのおかげで勝てたから。お礼っていうか。その、いつもアイミーばっかり食べてるみたいだし、好きなのかなって」
「…………!」
「えっと……食べる?」
「!」
立ち上がったミュウが素早く近づいてきて、まるで好物を前にした犬や猫のように興奮する。彼女の身体からは、やっぱり甘い匂いが漂ってきた。
「わっ。ま、待って。開けてあげるから」
レナが缶詰を開けて皿の上に出すと、ミュウは凄まじい勢いでパクパクと食べ進めていく。果汁が顔に跳ねようが胸元に垂れようがおかまいなしである。
その表情に変化はない……はずだったが、それでもレナにはミュウが喜んでくれているように思えた。
「……ところで、服、着ない派なの?」
ミュウは、大きな瞳で不思議そうにレナを見た。
缶詰のアイミーを一人で食べ尽くしたミュウはようやく満足したのか、結局下着すら着ることもなく裸のままベッドにころりと丸まった。なんだか自由気ままの猫のようである。
しかし、ここで一つ大きな変化があった。
ミュウが、レナの言葉に応えてくれるようになったのである。
「ふぅん……そうなんだ。部屋ではずっと裸なんだ……」
寝転がったまま、ミュウはこくんとうなずく。
レナがそんなミュウの裸族スタイルに驚いたのには大きな理由がある。というのも、ミュウは学院では常に白いオペラグローブやタイツを着用してその肌を隠していたからだ。しかも外に出るときは常に日傘を利用していて、それは外の授業でさえ変わらないという貫きぶりである。そんなお嬢様然とした少女が部屋では裸族、というのは意外な事実であった。
「ま、まぁ、それは個人の趣味だから……それより、ホントにアイミーが好きなんだね。みんなが噂してたんだけど、ミュウってアイミーしか食べないってホント? カフェとか食堂とかあんまり来ないし、レナも、アイミー食べてるとこしか見たことないんだけど」
ミュウはこくんとうなずく。まさかの事実に唖然とするレナであった。
「ホントだったんだ……あっ。ひょっとしてそれも魔術のため? 限定魔術の条件とか、ほら、ミュウって植物系の魔術使うんでしょ? そっか、そのためにアイミーしか食べないって決めごとを――」
ミュウは、ふるふると首を横に振った。
「え? 違うの? じゃあホントに好きなだけ?」
ミュウはこくんとうなずく。
「……アイミーって、どこにでも売ってるフルーツだと思ってたけど、ひょっとしてめちゃくちゃすごい果実なのかな。フィオナママも、小さい頃からいっぱい食べてたっていうし……ミュウもおっぱい大きいし……」
同い年にしては立派なミュウのものを凝視して、レナは空っぽになった缶詰を手にする。
「痛っ」
そのとき、うっかり蓋のフチで手指を切ってしまった。
思わず手を離すレナ。カランと空の缶詰の落ちて、ミュウがぴくっと起き上がる。
「あ、ごめん。平気だから。……ミュウ?」
レナの方へとことこ近づいてきたミュウは、うっすらと血の滲むレナの人差し指を見て――
「わっ!?」
びっくりして声を上げてしまうレナ。
なんと、ミュウがいきなりレナの人差し指をぱくっと咥えたのだ。
「ミュ、ミュウ? え? なにしてるの? く、くすぐったい」
ちゅぱちゅぱ、と少し艶めかしい音を立てながらレナの指を舐めるミュウ。
やがて彼女が口を離すと――
「……あれ?」
レナはさらに驚くことになった。
傷がすっかり癒えている。
「治ってる……治癒魔術まで使えるの?」
ミュウは何も答えずにベッドに戻る。それでも、指に残ったミュウの唾液からはかすかに魔力の残滓を感じられた。そして、そこからもアイミーの芳香がする。
レナは、ミュウの身体からいつもアイミーの甘い香りがする理由がわかった気がして笑った。
「ありがと。お礼に、今度またアイミー買ってきてあげる」
ミュウは、ベッドの上で静かに目を閉じた。
そんな彼女の無表情が、しかしレナには以前よりずっと身近なものに感じられた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます