♯15 勝者と敗者


「――ちょっと力を借りるね」


 そしてレナが指輪に口づけをすると、指輪の中から溢れた莫大な水の魔力がプール全体に馴染むように広がっていく。

 それは、圧倒的な魔力差による場の〝支配〟。

 魔術師にとっての基本。マナを独占された他の魔術師は、魔術によって抵抗する術を失う。


「言っとくけどレナ、まだ勝つつもりしかないから!」


 そう告げたレナは両手を前に突きだし、溜め込んだ魔力を解放した。


「《絶海姫の戯れメイル・シュトローム》!!」


 するとプール内のすべての水がレナの意志に従い、巨大な渦を作ってボールを操ると、まるで水龍のような形をとった渦のシュートは予測不可能な動きでプール内を駆け巡り、瞬きの間にベアトリスチームのゴールネットを揺らした。


「――なっ!?」


 これにはベアトリスも愕然とし、レベッカたちも身動き一つとることが出来なかった。


「よし! こっから逆転――いくよっ!」


 レナの声に応えて、レナチームのメンバーたちも渦の動きを利用するように機敏に動き出した。そしてレナの繰り出す強力な水の魔術やチームプレイによって次々にゴールを決め、点数を重ねていく。ミュウだけは無抵抗に渦に巻き込まれていたが、それでも心地良さそうだったのでレナはむしろ感嘆としていた。


「くっ……皆さん守りです! 守りに徹するのです!」


 対するベアトリスチームはそんなベアの指示によって防御を固めるものの、場のマナをレナ一人に支配されたことで魔術が使えなくなっている彼女たちは渦に巻き込まれて動くのもやっとであり、レナの強烈なシュートを防ぐことは出来ない。なんとか渦から逃れても、レナチームのメンバーにブロックされてレナを止めることは不可能だった。こうしてあれだけ開いていた得点差もみるみるうちに縮まっていく。


 ――残り時間はあと十秒。

もう一本シュートを決めればレナチームが逆転する。そして皆がそれを確信していた。


 まさかの逆転劇に観戦していた生徒たちは大盛り上がり。逆に追い詰められたベアトリスチームは心身の疲労でさらに動きが鈍くなっていた。


 そしてそのときがやってくる――!


「最後の一本――いっけぇっ!!」


 レナが渾身の魔力で放つ水龍の渦が、ボールを相手のゴールへ運んでいく。


 残り7秒。

 これでレナたちの勝利――誰もがそう思ったとき、



「私が……このベアトリスが! 負けることは許されないのですッ!!」



 渦からもブロックからも逃れたベアトリスがゴール前に立ちふさがり、レナが支配している場の魔力を奪い取るようにして解放。その右腕を包み込むように巨大な龍の腕影が出現し、ベアトリスが振り下ろした手に呼応して龍の腕が水龍を斬り裂く。


『――!!』


 全員が驚愕する中、レナは飛ばされたボールの行方を追う。


 ボールの近くにいたのはレベッカ。

 彼女はすぐさまシュート体勢に入り、レナたちはそのコースを塞ぎに向かう。だが間に合わない。


 残り5秒。


 止められない。負ける――!


 レナが悔しさに歯を食いしばり、ベアトリスが勝利の笑みを浮かべたとき。



「――《ミュウズ・プラントΩ》」



 どこからか突然現れた大量の蔓植物が巻き付くようにボールを奪うと、そのまま目にも留まらぬ速さでベアトリスチームのゴールへと押し込んだ。


 レナチームの点数が加算された瞬間、エイミにより試合終了の笛がなった。


『――えっ?』


 これにはレナも、ベアトリスも、観戦者たちも全員が唖然とする。


「試合終了です。勝利したのはレナチーム。皆さん素晴らしい働きでした。それではプールを上がってください。これにて〝エレメンタル・スフィア〟の授業は終了とします」


 そんなエイミの言葉と共に、チャイム音が響き渡る。


 プールを上がったレナは、すぐ〝彼女〟へと声を掛けた。


「ねぇ、待って!」


 振り向いたのは、のんびりとプールサイドを歩いていた眠たそうな顔の少女。アイミーの果実に似た薄いピンク色の髪からぽたぽたと雫が流れている。

 ――ミュウ・ベリー。

 無口で無表情。愛らしく整った容姿を持つが、その性格ゆえ〝お人形さん〟と揶揄されることもある。いつもボーッとしていて何を考えているのか誰もわからない。誰が何を話しかけても何も答えないし、授業ですら講師の問いに応えないため講師陣からは既に呆れられているものの、テストではトップクラスの成績を残す。

 そんなとらえどころのない彼女はクラスどころか学院全体でも浮いており、ゆえに彼女に近づく者はおらず、いつも教室の隅で一人の時間を過ごしている。


 レナはそんな彼女にずっと注目していた。


「えっと、ミュウ、だよね? 最後の魔術、あなたのでしょ?」

「…………」

「もう負けたかと思ったけど、あなたのおかげで勝てたから。その、ありがとって言いたくって」

「…………」

「やっぱり、ミュウって結構スゴイでしょ? 見ればわかるもん。水着だととくにさ」

「…………」


 レナがちょっと羨ましげな視線を送るのは、ミュウの胸部。水着を押し上げるその成長ぶりは著しいものがあった。

 ミュウはぼーっと自身の胸元を見下ろし、また顔を上げて、それから結局なにも答えることはなく、うなずくようなことすらせず、ペタペタと歩いていってしまった。そして、彼女が去っていった後にはやはりアイミーに似た甘い果実の香りが残る。


「植物系、かな。あはは、面白い子ばっかりで飽きないや」


 ついおかしくなって笑ったレナの元へ残り三人のチームメンバーが駆け寄り、レナたちはひとときの間勝利の喜びを分かち合った。



 ――その一方。

 逆のプールサイドでぺたんと座り込んでいたのは、呆然とうつむくベアトリス。レベッカたちチームメンバーが彼女の周りに集まっていたが、誰もベアトリスに触れることすら出来ずにいた。


「…………また、また……負けたというの? この、私が……?」


 茫然自失といった様子でつぶやくベアトリスの目には光がなかった。レベッカたちがこんな彼女を見るのは人生で初めてのことだった。

 これ以上見ていることが出来ず、レベッカは震えながらゆっくりと手を伸ばす。


「……ベ、ベア……」


 その手がベアトリスの肩に触れようとした瞬間――ベアトリスはバッと振り返ってレベッカの手を掴んだ。これにレベッカは「ひっ!?」と竦んだ。


「勝てました……これは勝てた試合だったのです……レナさんの支配をふりほどき、ミュウさんよりも先にシュートしていれば勝てたのです……」

「あ、あっ……」

「責任……これは弱き者の責任……ヴィオールの名を汚した私たちの罪……。罪は雪がねばなりません。罪は償わなければなりません。そうですわよね……レベッカさん?」


 有無を言わさぬベアトリスの迫力に、レベッカたちは身動き一つとることも出来ない。


「この学院を統べる役目を背負ったのは私……この街を支配する責任を担うのはヴィオール家……ならば、頂点に立つべきはこのベアトリスでなくてはなりません。それが世界の理。理を乱すことは秩序を乱すこと。あってはならない。ならないのです……!」


 ベアトリスが向けた視線の先にいるのは――仲間と談笑するレナの姿。

 座り込んだまま、水に濡れたまま歯を食いしばるベアトリスを、レベッカたちは震えながら見つめているしかなかったのだった――。

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