♯2 13才、旅立ちの少女

 旅立ちの朝は、とても晴れやかな空が広がっていた。


「レナちゃん、制服とカーディガンだけで寒くない? わたしのストール持っていく? あっ他に忘れ物とかないかな? お弁当はそれだけで足りるかな? 途中でお腹空いちゃうかもしれないからおやつもう少し持っていこっか! それから――」

「もういいから。大丈夫だよ」


 見送る側の方がソワソワと落ち着かない様子であり、レナは鞄を肩にかけ直しながら小さなため息をつく。


「昨日一緒に何度もチェックしたじゃん。これでも多いくらいだよ」

「うう~、だってぇ……あっ、そうだじゃあせめて留学先まで一緒に――!」

「だからダメだってば。飛空艇のチケットだって一枚しかないし」

「魔術で飛んでいっちゃう!」

「絶対ダメ!」

「うわぁ~んレナちゃぁん!」

「はぁ……心配性は相変わらずだよね、フィオナママ」


 よほど心配なのか、なんだかめそめそしながら抱きついてきたエプロン姿の義母にレナはまたため息をつく。


 ――『フィオナ・リンドブルーム・アディエル』。旧姓はベルッチ。


 長く美しい銀色の髪とキラキラした大きな瞳が特徴的で、少々あどけない顔つきながら抜群のスタイルを誇り、料理上手で家事スキルは万能。それでいて魔術の腕前もとびっきり。いつも笑顔で母性と愛情を振りまく〝最強のお嫁さん〟だ。


 そんな彼女とレナが初めて出会ったのは、およそ3年前のこと。家族を失い、孤独でいたレナの心をいっぱいの優しさと愛で埋めてくれた。新しい母親になってくれた。

 義母とはいってもまだ10代の若々しいフィオナは、レナが出会った頃と変わらず優しく、美しく、そして強い。だからこそ、レナも彼女のような大人になりたいと思ってきたのだが――


「……うぅん、やっぱりここまではムリかな……」

「え?」


 つぶやくレナから身を離してキョトン顔をするフィオナ。

 身長こそ大して変わらないものの、さらに豊かに実っているその胸元は彼女の溢れ出す母性や愛情に比例しているのではないかと、レナはそんなことを思いながら膨らみかけの自身の胸元に手を当てた。好きな人でも出来たら変わるのだろうか。今はまだよくわからないが、きっと自分も。いつか絶対!


「なんでもない。それよりレナ、もう13才だよ。ほら、身長だってずいぶん伸びてきたし。ただの留学くらい大丈夫だってば」

「レナちゃん……」

「フィオナママにはお店だってあるし、それに、他に見ておかなきゃいけない子たちがいるでしょ」


 そう言って、レナはフィオナの後方――森の家の方にチラリと視線を移す。すると赤ん坊が泣き出す声が聞こえてきた。


「あっ、ご、ごめんねレナちゃんすぐ戻るから待っててね! 絶対まだ行かないでね待っててね~~~!」


 フィオナは慌てて家の中に戻っていき、レナはその場に残された義父と顔を見合わせて苦笑する。


「クレス。フィオナママたちをお願いね」


 すぐにうなずき返してくれた彼もまた、出会った頃と何も変わらない。


 ――『クレス・アディエル』

 かつて〝最強の魔王〟を倒して世界に平和をもたらした勇者であり、そして今はレナの新しい父親でもある。

 金色の髪と穏やかな瞳は好青年のそれであるが、今でも逞しい肉体は仕事の合間に修行や稽古を続けている証拠であり、物静かな甘いマスクとストイックな男らしさを兼ね備えた彼は多くの女性に人気があった。それでいてフィオナ以外の女性には一切浮ついた気持ちを持たない一途なところも大きな人気の要因である。

 不器用で真っ直ぐな優しさも、恥ずかしいくらいに素直で隠し事なんて出来ないところも、時には力強く背中を押してくれるところも、レナにとっては心地良い。


「こちらの心配は要らない。全力で留学を楽しんできてくれ」

「全力で楽しむってなにそれ。勉強しにいくんだよ」

「そ、そうか…………んん……」

「ヘンな顔。なに?」

「ああ、いや……成長した娘を見送るというのは、存外に寂しいものだなと……嫁にいくわけでもないのにな……」


 そうつぶやいて苦笑したクレスに、レナはちょっぴり驚いたように目を大きく開く。

 それからレナは、まんざらでもないように微笑した。

 彼の耳元に口を寄せ、ささやく。


「ねぇクレス」

「うん?」

「もっとおっきくなったら……レナもお嫁さんになってあげてもいいよ?」

「えっ――」

「あははっ」


 ぱっちり目を開けて仰天するクレスに、レナはおかしくなって笑った。それからクレスもすぐに微笑する。

 そのタイミングで家の中からフィオナが慌てた様子で戻ってきた。そしてまだレナがいることを知ってホッと安心したようだ。


「じゃあレナもう行くね。フィオナママの次のお誕生日までには帰ってくるから」

「う、うん! 楽しみに待ってるね! 気をつけてね! 辛くなったらいつでも帰ってきていいからね! むしろわたしの方から会いに行っていいかな? あっ、そうだクレスさんドロシーちゃんたちも連れてみんなでレナちゃんの応援に行」

「来なくていいから! はぁ。じゃあね」

「――あっ、レナちゃん待って!」


 歩き出したレナを引き留めたフィオナは、その手に持っていたものをレナへ見せるように差し出す。

 それは、星をモチーフにした可愛らしい意匠の髪留めだった。


「フィオナママ? これ……バレッタ?」


 フィオナは微笑んでうなずき、その髪留めをレナの左耳の上辺りに着けていく。


「“お守り”だよ。実はね、クレスさんとドロシーちゃん、アイネちゃん、ペールちゃん、クラリスちゃんたちと一緒に選んで買ったの」

「え? ドロシーたちも?」

「ああ。フィオナと一緒にレナへの贈り物を捜していたところ、偶然彼女たちに会ってね。“目的”が同じだったものだから、なら、全員で一つの贈り物にしようかと」

「それでね、せっかくだから身につけられるものがいいかなって、みんなで相談してこれに決めたんだよ。レナちゃんを見送るときに、わたしたちから渡してほしいって」

「……そう、なんだ。送別会のときは、そんなこと……」

「ふふ。――はい、出来ましたっ。うん、ドロシーちゃんたちが言ってたとおり、すごく似合ってるよ。レナちゃんますます可愛いです♪」


 パチパチと手を叩くフィオナ。クレスもうなずく。

 レナは、着けられたその髪留めにそっと手で触れた。


 ――ドロシー、アイネ、ペール、クラリス。今ここにはいない同級生の友人たち。貴族の娘でありながら、そうではないレナとも対等な関係でいてくれる。そんな彼女たちの想いもまた、この髪飾りに込められているようにレナは感じた。


「ソフィアちゃんみたいな力はないけど……レナちゃんの無事を祈って、みんなで想いを込めたんだよ。きっと、レナちゃんのことを守ってくれるからね。うぅん、絶対!」

「ああ。たとえ離れていても、俺たちはすぐそばでレナのことを見守っている」


 そんな二人の言葉に呼応するように、星飾りが不思議な淡い光を放つ。


 クレスとフィオナは――二人でそっとレナのことを抱きしめてくれた。



「レナ。君は俺たちの自慢の娘だ」

「レナちゃんなら、絶対に大丈夫だよ!」



 そんな二人の笑顔と声に、レナは本当の両親のことを思い出した。


 少しだけ、泣きそうになる。


 でも我慢した。

 もしも泣いてしまったら、また面倒なことになりそうだから。


 成長したい。

 成長した自分を見てもらいたい。

 これはそのための留学なのだから。


 レナはそうやって涙を堪えると、二人から身を離して笑みを浮かべた。


「余裕だよ。すぐ一番になってくるから」


 そんなレナの言葉に、クレスとフィオナは揃って笑った。



 ――レナが乗り込んだ完成したばかりの大きな飛行艇が、ファティマの花吹雪に見送られるように快晴の大空へと浮かび上がる。

 

 出会いと別れの季節。

 暖かくなった聖都の街にも多くの人々が訪れ、そして去っていく。

 

 きっとまだ地上で手を振ってくれているだろう皆へ向けて。



「『逃げるな、プディ・前を向け、魂を燃やせルファラ・エクレーン』……いってきます!」



魔法の呪文まじない”と共に胸に手を当て、前を向き。


 レナは旅立つ。


 たった一人。

 まだまだ幼いその身体に、大きな高揚とちょっぴりの不安を抱えながら。 

 次に帰ってくるときは、もっと大きくなっていると信じて。



 ――レナ・スプレンディッド。13才。

『聖究魔術学院』中級魔術師クラス所属。

 魔術の腕も、身長も、バストサイズもまだまだグングン成長中。



 かつて最強の勇者と呼ばれた青年と、その勇者を救った最強のお嫁さんを両親に持つ。

 そんな二人に。

 本当の両親に。

 信じてくれた先生に。

 送り出してくれた友達に。

 皆に恥じない自分でいたい。


 この日、幼き魔術師の少女はまた少しだけ大人になった。

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