♯385 最強のお嫁さん

 聖都の治療院ホスピタル。その大して広くはない待合室で、“元”勇者御一行とその友人らは周囲の患者から注目を集めていた。


 ソファに座るレナが目を細めてつぶやく。


「……ねぇ。こんなにいっぱい付きそうイミある?」


 レナの隣には緊張の面持ちのクレス。その後ろで壁を利用しながら筋トレをするヴァーン。エステルは窓際で花を愛で、セリーヌはこんな場所でチクチクと裁縫仕事をしており、リズリットは子供向けの絵本を読んでいる。


 レナの声にクレスがハッと反応した。


「む。そ、そうだな。こほんっ。付き添いは俺とレナだけで十分だから、皆は戻ってくれて構わない。仕事もあるだろう」

「いやまぁそうなんだけどよぉ。なんつーかお前らだけだと心配っつーか。まぁ気にすんな! 護衛だ護衛!」

「ここにそんなのいらないよおじさん」

「向かいのカフェで待っていてもよかったのだけれど、二人目の妹でもあるフィオナちゃんに万が一があってはいけないから……」

「万が一なんてないしフィオナママはエステル先生の妹じゃないとおもうけど」

「そ、そうよね~わかってるわかってる! けど店にいてもソワソワしちゃってさ! ならいっそこっちで仕事しちゃえばいいじゃんってね!」

「セリーヌ先輩、ここ病院だよ」

「リ、リリリリズのことはお気にならさず! 一人で店番なんて出来ませんし、フィオナ先輩のことを近くで応援していたいので!」

「リズリットおばさんは……まぁいっか……」


 それぞれにツッコミを入れつつ、小さくため息をつくレナ。リズリットが「叔母さんはやめてくださぁい……」とぼそりつぶやく。


 そのとき、奥の診察室からフィオナが姿を見せた。


「あ、フィオナママ」


 レナのつぶやきに、全員がバッとそちらを向く。

 とことこ歩いてきたフィオナは皆の視線に気付いてギョッと驚き、それからはにかんだ笑みで左手を上げ、小さなマル印を作った。


 次の瞬間、クレスは立ち上がってぐっと両手を握りしめ、ヴァーンが「ッシャア!」と声を上げ、エステルがホッと胸をなで下ろし、セリーヌとリズリットが手を取り合ってキャッキャと喜ぶ。さらに他の患者たちも祝福の声を掛けてくれて、フィオナは恥ずかしそうにぺこぺこ頭を下げながらクレスたちの元へ戻ってきた。


「フィオナ……お疲れ様……!」

「ありがとうございます、クレスさん。って、な、なんだかクレスさんの方がお疲れのようです……大丈夫、ですか?」

「ああ……問題ない……はぁ……」


 ようやく落ち着いた顔で息を吐くクレス。フィオナは少し呆然としたが、彼の気持ちを察してかくすっと笑った。

 レナがフィオナを見上げて話す。


「おかえり、フィオナママ」

「ただいま、レナちゃん♪ ありがとう、待っていてくれて」

「べつにいいけど。それで、どっちだったの?」

「それはまだわからないって、先生が。お楽しみですねって言っていたよ」

「そっか。とにかく、おめでと」

「うん、ありがとう♪ ヴァーンさん、エステルさん、セリーヌさんとリズリットも、ありがとうございました。心強かったです」

「ていうかさ、クレスもみんなもそわそわしすぎ。ただのけんさで赤ちゃんがうまれるわけでもないのにさ。ほんとにうまれるときたいへんだよこれじゃ」


 レナが呆れたようにそうつぶやくと、ヴァーンたちはそれぞれに顔を見合わせて苦笑するのだった。



 全員揃って治療院を出る。

 まずセリーヌが手を振りながら開店の遅れてしまった店に慌てて戻っていき、講師のエステルと生徒であるレナ、リズリットはこのままアカデミーへ行くことに。ヴァーンも今日は騎士団の方に仕事をもらっているらしかったが――


「オイクレス。これからはよりフィオナちゃんのこと気遣ってやれよ。母親になるってのはこれからがキツイらしいぜぇ」

「ああ、承知した。全力で気遣う! よし、フィオナ。今日は俺がおぶって帰ろう。いや背負ってしまうと腹部を圧迫してしまうだろうか? ならば正面で抱きかかえればいい! これからは毎日俺がフィオナを抱きかかえて街を――」

「ええっ!? あ、あのっ、大丈夫ですよクレスさんっ。は、恥ずかしいですし、一人で歩けますから。お気持ちだけでも嬉しいです! ふふ、ありがとうございます♪」

「そ、そうか。ならいつでも言ってくれ。と、とにかく体を大事にしよう……!」

「ハッハッハッハ! ま、お前らなら問題ねぇか。ああそうそう、それからあっちの方はほどほどにしとけよ?」

「む? どういう意味なんだ? ヴァーン」


 生真面目に尋ねるクレスに、ヴァーンは「アアン?」と眉間に皺を寄せる。


「んなもん夜のズッコンバッコンに決まってんだろ。いやまぁ朝でも昼でもイイけどよ。今はよくてもいずれは問題出てくんだろ。オレ様もさすがにまだ経験はねぇが、興味はあるぜ。へへ、一度は楽しみてぇもんだよなぁ腹ボテセッ――ンギャワァァァッ!?」


 ひどい悲鳴を上げたヴァーンが、股間を押さえながらべちゃっと前のめりに潰れる。フィオナが「きゃっ!」と驚愕の声を上げ、それからじわじわと紅潮していく。

 ヴァーンの背後でスラッとした脚を蹴り上げていたエステルが、倒れたヴァーンの首根っこをがっと掴む。


「貴方……くだらないことを言っている暇があるのなら、さっさと私に貢ぐための金を稼いできなさい。ろくでなし甲斐性なし性欲の化け物が」

「んぎぎぎ……オレざまはおばえのサイフがぁぁぁ…………!」

「光栄なことでしょう? それじゃあ二人とも、またね。フィオナちゃん、お大事に」


 朝にふさわしい爽やかな笑みで二人に手を振り、その細腕でヴァーンを引きずりながら朝の通りを闊歩するエステル。レナとリズリットがちょっと引きながら後に続いた。

 二人きりになったクレスとフィオナはしばらく呆然と顔を合わせ、それから二人して笑い出す。

 聖都の空は、今日も眩しい光に溢れていた。



 それからクレスとフィオナは、二人で街の外に出た。


 やってきたのは、聖都の街を一望出来る自然公園。

 高い壁に覆われた聖都の街と、その中央に建つ教会。河の流れる雄大な草原。畜産の行われる牧草地帯。遠く連なる山々や湖までもがよく見える。草木が芽吹き、風もすっかり暖かくなって、良く晴れた大変に気持ちの良い日だった。


 そんな土地に根を張る巨大な『ファティマ』の樹。真っ白な花びらが咲き誇っている。その花びらが近くの川で清流に揺れる光景は美しいものだった。

 二人は木漏れ日の元で、フィオナが作ったサンドイッチを食べていた。恋人たちのデートスポットとしても有名なこの場所で、ちょっとしたピクニックデートである。


「クレスさん、あーん♪」

「あーん……」


 デザートの新作『パフィ・ププラン』をあーんしてもらい、しっかりと味わうクレス。


「……うん。リンゴの風味がスッキリとしていて後味も良い。美味しいよ」

「ふふ、よかったです。定番の味を守ることは大切ですが、常に新しい味も追い求めていかないと、またメルティルさんに怒られてしまいますから」

「うーむ。来店の頻度が増している上に、『妾の街――いや妾の屋敷の前に支店を開け』、とか言っていたな……」

「本当にありがたいお得意様になってもらえましたね♪」

「まったくその通りなのだが、人生どうなるかわからないものだな……」


 また真面目な顔で思案するクレス。

 その口元にちょっぴりだけ付いていたクリームをフィオナは自然に手で掬い、口に咥えた。クレスが少し申し訳なさそうに慌てだし、フィオナはおかしくなって笑った。


 食事を終え、二人はしばらく静かに景色を眺めていた。

 そのとき、フィオナが何かに気付いたようにハッとする。


「フィオナ?」


 呼びかけたクレスに、フィオナは景色を眺めたままふっと柔らかな笑みを浮かべた。


「……この景色は、きっと…………ふふ、そっか」

「ん? ど、どういう意味だい?」

「ふふっ。わたしはやっぱり欲張りだなぁって思いまして」

「欲張り、かい?」

「はい。子供の頃からの夢が叶って。そしたら、また新しい夢が出来ました」

「新しい夢……」

「はい。クレスさんと、レナちゃんと、それに――」


 フィオナは、まだ膨らみのない腹部を撫でながら優しく微笑む。


この子たちと・・・・・・、みんなと、ずっと、笑っていたいです」

「そうか。なら、俺たちの夢は同じだな」

「ふふっ。それじゃあひょっとして、考えている名前も同じかもしれませんね」

「よし、それならここで一緒に発表してみるというのはどうだろう。俺もずっと考えていたんだ」

「うふふっ、わかりました。それでは一緒に。せーのっ」


 ――二人は、揃って笑い出した。

 落ち着いたところで、フィオナが水筒のお茶をクレスへと差し出す。クレスは礼を言って受け取り、飲み干した。


 隣で優しく見つめていたフィオナがささやく。


「クレスさん」

「うん?」

「愛しています」

「んっ」


 突然の告白にクレスは少々驚くように声を詰まらせ、軽く咳き込み、フィオナは慌てて彼の背中を擦る。


「だ、大丈夫ですか?」

「う、うん。すまない。その、と、突然だったからつい。だが、俺も君を愛している!」

「ふふっ、ありがとうございます♪ 出逢ったときのことを思い出したら……なんだか急に言いたくなってしまって」

「ん……出逢ったとき……?」

「はい。あ、クレスさんに助けていただいたときのことではなくって、わたしがクレスさんの家に初めてきたときのことです。アカデミーを卒業した日のことでした」

「初めて……君が……」

「えへへ。今思うと、迷惑な押しかけ女房でしたよね。ごめんなさい。あのとき、本当はとても怖くて……でも、勇気を出してよかったって思うんです。ふふっ。もしも過去のわたしに会えたら、逃げずに頑張れって、伝えたいです。そしたら――」

「…………覚えている・・・・・

「え?」


 クレスは、キュッとフィオナの手を握りしめて言った。


「ずいぶんと驚いたが、きっと、あのときから俺は君のことが好きだった」

「……クレス、さん……」

「ありがとう。俺に会いにきてくれて。俺も、過去のフィオナに感謝を伝えたいよ」


 そう言って笑うクレスの目に、光るものがあった。

 フィオナもまた、大きな瞳を潤ませて満面の笑みを見せる。


 二人は抱き合って、口づけをし、鼓動を一つにした。


「わたし、最近とっても調子が良いんです。クレスさんが、こうしていつも元気を注いでくれるからですね」

「それもまた、俺と同じだ」

「えへへ。ママカツ、頑張りますね♪」

「ああ。でも君は少し頑張りすぎるところがあるから、どうか気をつけてほしい。さすがにこれからは、俺にももっと仕事を――」


 そこでフィオナは、またクレスにキスをした。


 ファティマの花びらが、雪のようにひらひらと舞い落ちる。


 驚くクレスに、フィオナはとても幸せそうな笑みを返す。



「大丈夫ですよ。だってわたしは、最強のお嫁さんですから♪」



 手を重ねる二人の指で、揃いの指輪が煌びやかに光る。


 月と星々が巡り続けるように。


 この幸せがいつまでも続くように。


 誓い合った二つのこころは、永久に輝き続ける――。



 <了>

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