♯384 もう頑張らなくていいんですよ

 クレスにはわかっていた。


 これから自分が何を言おうとしているかわかっていても、それでも彼女は笑うのだと。

 その手を震わせて。

 涙のあとを隠したまま。

 どんな思いも尊重し、受け入れてくれるだろう。

 クレスのために。


「…………俺は、俺はっ…………!」


 胸の奥が熱くなる。


 言わなくてはならない。

 決めていたことなのだから。

 彼女をこれ以上苦しめてはいけない。

 彼女の幸せを願うのならば、自分は離れるべきなのだ。


 だから。

 だから、クレスは。


 不抜けた自分をもう一度殴りつけるかのように叫んだ。



「――ふざけろぉッ!!!!」



 その怒声に、フィオナがハッと目を見張る。


「嫌だ! 俺は君と離れたくない!!」


 ハッキリとそう告げたクレスは、その瞳から涙を流していた。


「君との思い出を、今でも何も、思い出せない。俺はもう君の知っている“俺”ではないかもしれない。それでも俺は、君のそばにいたい! たとえ俺のせいで君が傷つくことになっても! 俺のせいで君に悲しい思いをさせてしまっても! それでも俺は、君のそばにいたい!」


 溢れる涙をこらえることもなく、クレスは真っ正面から想いをぶつけた。

 自らの左胸に手を押し当て、叫ぶ。


「記憶が消えても、繋がりが途絶えても、俺のこころが覚えている。君を想う気持ちが、ずっとここで燃え続けている。叫んでいるんだ」


 フィオナもまた、両の瞳から涙をこぼしていた。



「フィオナが好きだ!」



 その告白と共に、空は晴れる。月と星々の輝きが地上を照らす。

 雪は止み、白き世界に二人だけが立つ。

 ぽろぽろと、フィオナは嗚咽を漏らして泣いた。


「いつだって叫んでいた。それを俺は、自分の気持ちだと気付けなかった。他のことばかりに気を取られて、最も大切なことから目を背けてしまっていた。今なら言える。これが、俺の本当の気持ちだから」


 溢れ出した想いと涙が、二人をまた近づける。

 クレスは一歩を踏み出して言う。

 

「でも俺は、何も覚えていないから。だから、もう一度君を好きになる。そして、“俺”よりも君を愛すると誓う。君の笑顔を守るために、フィオナを幸せにするために生きると誓う。だから……だからもう一度、俺と一緒に歩んでほしいんだ」


 クレスは懐から小箱を取り出し、それをフィオナの前に差し出す。



「笑ってくれ、フィオナ。そして、君を守る俺のことを守ってくれ。何も知らない俺を叱り、甘やかしてくれ。俺には君が必要なんだ。君がいてくれれば、他に、何も要らない」



 クレスが箱を開く。


 フィオナは――言葉にもならず、ただ泣き続けた。


 中に収まっていたのは、月をデザインした指輪。


『ブライト・ムーンストーン』。


 誓いの月。


「フィオナ。俺と、結婚してほしい」



 クレスは、泣きながら笑った。



「俺は、君を愛している。だからフィオナ、俺と結婚してほしい」



 フィオナは、しばらく返事が出来なかった。


 どうしても涙が止まらなかったから。


 夢でも幻でもない。


 時間は巻き戻らない。


 奇跡など起こったりはしない。


 それでもクレスは、あの日と同じ指輪を手に、あの日と同じ想いプロポーズを贈った。


 フィオナは、今すぐに伝えたかった。

 この胸の想いを伝えたかった。

 なのに、涙が止められない。

 声も出せない。

 嗚咽と共に大粒の涙がこぼれ続ける。

 クレスはフィオナの手を優しく握ったまま、返事を待ってくれていた。


 澄み切った夜空で、《レアリア》の月と《ユクトリシャ》の星々が世界を、二人を優しく照らす。


 必死に涙を拭って、呼吸を整えて。

 フィオナも、あの日と同じ言葉を返した。



「……はい! わたしも、あなたを愛しています。結婚してください!」



 笑顔で伝える。

 大好きな人へ。

 とびきりの愛を。

 あの頃よりもずっと大きくなった気持ちを。



「わたしを、あなたのお嫁さんにしてください――!」



 クレスはうなずき、フィオナの左薬指にその指輪をはめる。

 

 二人は抱き合い、笑い合った。


 涙を流しながら、キスをした。


 これまでも、これからも。

 想いは途切れない。

 愛は消えない。

 誓いの石が輝く。


 やがて、二人がそっと身を離したとき、聖都の夜空にとびきり大きな光の花火が上がった。


 驚く二人がそちらを見上げていると、城の方からイベント用の法衣ドレスを纏ったソフィアが走ってくる。

 同時に、どこからか飛び出してきたレナが反対側から走ってくる。

 ソフィアとレナは、二人に抱きついてわんわん泣いた。


 呆然とするクレスとフィオナ。


 それを機として、次々に皆が姿を見せる。


 ヴァーンは子供のような笑顔でクレスにじゃれつき、エステルはそばで静かに微笑む。


 セリーヌは呆れたような顔で目元を拭って笑い、リズリットは大号泣してフィオナの手を掴む。


 涙を浮かべながら拍手をするルルロッテに、執事がハンカチを差し出す。


 ソフィアのメイドや、大司教レミウスはいつも通りの顔で。


 ドロシーとアイネとペールとクラリスもそれぞれに泣き出し、それよりも激しく泣く講師のモニカをドロシーたちが心配する。


 森を離れてまでやってきていたセシリアが、人間モードで尻尾を振るショコラと共に優しい笑みで見守る。


 さらには遠国のシノまでもが、和装姿で手を叩いてくれていた。


 二人は知る。

 皆が、今日この日までも、ずっと二人のことを見守っていてくれたのだと。ひょっとしたら、女神シャーレや歴代の聖女たち、クレスとフィオナの母も見ているのかもしれない。


 たとえ元には戻らなくても。

 たとえ奇跡が起こらなくても。

 二人が前に進み続けられるように。

 その想いを受け取って、クレスもフィオナも誓いを新たにした。


 クレスは言う。


「フィオナ。俺は、必ず君を幸せにする。今よりももっと、ずっと。そのために、今まで以上に頑張ろうと思う。だからこれから――」


 そう言うクレスの口を、フィオナがそっと人差し指で塞いだ。そのまま、目をパチパチさせるクレスの耳元に両手を伸ばす。

 かつて彼に贈ったその耳飾りが、再びクレスの耳元で光を宿した。

 そっと耳飾りに触れたクレスは、安堵したような顔で笑う。


 フィオナはそっとささやく。


「頑張るあなたが、わたしは好きです。でも、もう頑張らなくていいんですよ」


 月よりも、星々よりも眩しく微笑む。



「だって――わたしがあなたを幸せにしたいから!」



 手と手を取り合い、二人の魂は繋がる。


 祝福の夜に、純粋な想いは輝く。


 美しい世界の中心で、二人はいつまでも笑い合っていた――。

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