♯380 二度目の初デート
日が暮れたタイミングで、ヴァーンたちとは別れる。二人のデートをこれ以上は邪魔出来ないという思いもあったようだ。実際に、家族連れや子供たち、独り身の者たちは少なくなり、街にはカップルが目立つようになっている。
そんな中で、二人もゆっくり通りを歩く。
「休む暇もないくらいだった……。く、しかし腕相撲に負けたのは悔しい……」
「ふふっ、クレスさんに勝って喜んでいたヴァーンさんも、決勝で商店会長のモロゾフさんに負けちゃって悔しがっていましたね。特別ゲストでソフィアちゃんが出てきたモノマネ大会も面白かったですっ」
「ああ。しかし、俺の知っている教会はああいうイベントはしていなかったような……」
「あはは。少しずつ、みんな変わってきているんですね」
思い出して笑い合う二人。
そんなとき、街中で後ろから声を掛けられた。
「お、クレスのにーちゃんじゃん! やっぱデートしてんだな~! 男なんだからさ、ちゃんとフィオナのことエス……エス、エスコンテしろよ!」
「エスコートな。デート中すみません。ほらいくぞ。騎士団の演舞始まっちまうぞ」
「やべーそうだった! じゃーなふたりとも! つーか、クレスなんか変わったな?」
「何言ってんだ、急げって」
すぐさま走り去っていく二人の少年。
ケインとトール。少し成長してたくましくなっていた彼らのことを、もちろんクレスは覚えていない。だからフィオナに教えてもらってまた驚くしかなかった。
「お、俺はあの子たちにデートの仕方を教えてもらっていたのか……!?」
「ふふ、それであの日はいつもよりもクレスさんが少しだけ強引で。デートの後半はわたしの手を引っ張ってくれたんです。わたし、ずっとドキドキしていました」
「な、なるほど。うぅん……だが、かつての俺の気持ちはわかるかもしれない。正直、デートといっても何をしていいのやら……」
正直な思いを口にするクレスに、フィオナはくすくすと笑った。
「そういえばあのとき、クレスさんはまだ正体を隠すために“グレイス”という名前を使っていて、街中でクレスさんの名前を呼べなかったのがちょっぴりもどかしくて。今思うと、少しおかしいですね」
「そ、そうなのか。俺も適当な偽名を考えたものだな」
「楽しい思い出ですよ。今でも全部、鮮明に思い出せます。クレスさんと、初めてデートをした日のこと」
「……フィオナさん」
「こうやって一緒に街を歩いて、いろんなところを見て回りました。わたしのことを気遣って、歩幅を合わせてくれて。あのときクレスさんがわたしに向けてくれた瞳も、言葉も、手の温もりも……わたしは全部覚えています」
クレスの前に出てくるりと回り、愛らしく微笑むフィオナ。
そんな彼女の笑みに、クレスの胸は大きく動いた。
「――あ、クレスさんっ。あちらのお店!」
そこでフィオナが向かったのは、美しい宝石類の並ぶ宝飾店だ。今日は多くの恋人たちがあれこれと見て回っている。
「懐かしいです。あのときもこちらのお店に寄ったんですよ。ふふっ。クレスさん、急に宝石をプレゼントしようとしてくれて、びっくりしちゃいました。わたしは、もうたくさんのものを頂いたからってお断りしてしまったんですが……ふふふっ」
フィオナが覗いていたのは、三日月のデザインが施された美しい指輪。
自身の左手にそっと視線を移すフィオナ。
今、その薬指にその輝きはない。
そして、クレスの耳元にも月の輝きはなかった。
クレスは、あの耳飾りをいつも自分が身につけていたことを知らない。
それでも。
「クレスさん」
フィオナは、穏やかな表情で彼の元へ行く。
「大丈夫ですよ。クレスさんは、何も変わってなんていません」
「……フィオナ、さん……」
「記憶を失って、とても不安なはずなのに、それでも、わたしのそばにいてくれて。あの頃の記憶は、もう戻らないのかもしれませんが……反復経験をして、新しい思い出をいっぱい作れましたよね」
「……そう、だね」
「思い出はとても大切なものですけれど、きっと、これから作っていく思い出の方が大切なはずです。だからわたしは……その、こ、これからも、クレスさんと楽しいことをいっぱい経験したいなって、思っていまして……えへへ」
フィオナは笑う。
その時、教会の方から鐘の音が聞こえてきた。
皆がそれに気づき、明るい顔で足早に移動していく。聖城が建つシャーレの丘にて、特別な光の花火のイベントが行われるためだ。
「あ、もうそんな時間なんですね。クレスさん、あの、実はですね。あの丘は……わたしたちの初めてのデートで、最後に――」
クレスは、ずっと彼女を見ていた。
ずっとそばにいてくれた彼女は、ずっと笑顔を絶やさずにいてくれた。
クレスは、己の拳を握りしめる。
彼女の笑顔が好きだった。
とても綺麗で、愛らしく。
そして――
「もう笑わなくていい」
突然の言葉に、フィオナの表情が固まった。
「……え?」
「もう、無理に笑わなくていいんだ」
笑顔の人々が傍らを通り抜けていく中、二人だけがそこに留まる。
「君の笑顔を見ると、胸の奥が痛む。その理由がようやくわかった。君が無理をしていると、“俺”は知っていたんだ。俺のために、いつも笑っていてくれる君の気持ちを“俺”はわかっていたんだ。師匠は、そんな“俺”を知っていたからこそ俺に激昂した」
「クレス……さん……」
「俺は結局、何も思い出せなかった。君のことを何も覚えていなかった。元の“俺”に戻ることは出来なかった。なのに君は、それでも君は、俺のそばにいてくれた。尽くしてくれた。君は、優しい。優しすぎる……」
クレスの声は、わずかに震えていた。
「俺には……その優しさが、痛い。ずっと、胸が痛いんだ! どうしようもなく苦しくて、叫び出したくなる! だから、だから――」
胸元を強く掴み、クレスは歯を食いしばる。
「もう、俺に優しくしないでくれ。笑わないでくれ! 俺のことは放っておいてくれていい! 俺は、俺はっ! もう君と一緒にはいられ――」
次の瞬間。
クレスは、倒れていた。
呆然と立ち尽くすフィオナ。彼女は何もしていない。
「……? ッ!?」
道ばたに倒れ尻餅をついていたクレスは、困惑と共に握りしめられていた己の右手を見下ろす。爪が食い込んだ掌から血が滲む。
「……ク、クレスさんっ!」
ハッと気づき、慌てて駆け寄るフィオナ。
「大丈夫ですかっ!? ど、どうして――」
フィオナもまた強く困惑していた。
彼の右頬は真っ赤に腫れている。鼻や口からは出血さえ起きていた。
フィオナは見た。
クレスが――自分で自分を殴りつけるところを。
そしてそのことに自身で気付いたとき、クレスはいてもたってもいられなくなった。
「あっ、ク、クレスさんっ」
起き上がったクレスは強く目をつむり、そして、ひねり出すようにその言葉を口にした。
「……すまない!」
クレスは走る。
フィオナを置いて。
笑顔の人々とは逆の方向へ、一人、走り続ける。
振り返ることもなく。
激しい胸の痛みと。
燃えるような怒りの衝動を、必死で抑えながら。
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