♯368 反復経験

 フィオナからの説明を聞き、セシリアは驚きながらも迅速に事態を把握してくれた。


「魂の融合を解除したことによる記憶の欠如……そうですか。クレスさんを見たときの違和感はそれだったようですね」


 セシリアが用意してくれたハーブティーの良い香りに包まれながら、クレスとフィオナはそれぞれにうなずき返す。ショコラは黒猫モードに戻ってフィオナの膝の上で丸くなりお昼寝を堪能していた。


「お話はよくわかりました。一時的に記憶の保持力を高めたり、少々の刺激を加えて特定の記憶を想起、コントロール、または安定させるような薬はこの店にも存在しますが、それはおそらくクレスさんの症状には無意味でしょう。私のような薬師だけではなく、すべての医師も欠落した記憶を蘇らせることは不可能だと言えます」

「……そうか」

「すみません。せっかくお越しいただいたのに、私ではお力になれないようです」

「いいんですセシリアさん。相談に乗ってもらってありがとうございました」


 良い結果は得られなかったが、それでもフィオナはがっかりした様子もなく穏やかに笑っていた。セシリアはそんなフィオナを見てわずかに目を細める。


 そこでクレスが、目の前に出されたハーブティーに手もつけず口を開く。


「……セシリア。教えてほしい」


 その呼びかけで、セシリアの視線はクレスに向いた。


「君のことは知っている。ショコラのことも。しかしそれは……今の君たちじゃない」


 クレスはぐっと拳を握る。


「俺には、あの日の先の記憶がない。なにも、わからない。今の、この世界のことも」

「クレスさん……」


 隣でフィオナがクレスを見上げた。二人の間には、少しの距離がある。


「だから、知りたい。俺が、どんな人間だったのかを。それを知るために、思い出すために、なにか出来ることはないだろうか」


 そう尋ねるクレスに、セシリアは軽く目をつむる。


「お二人は、とてもお似合いのご夫婦でしたよ。ですから私は安心していました。きっと、どんなことがあっても大丈夫だろうと。今も、そう思っています」

「…………」


 本音を明かすセシリアに、クレスは少し申し訳なさそうに目を伏せた。


「クレスさんが思い出すことが出来るかはわかりません。ですが、記憶障害に有効とされる治療法の一つは知っています。それを試してはいかがでしょう」

「! そ、そんな方法があるのか!?」

「セシリアさん、是非教えてほしいです!」


 揃って詰め寄った二人にちょっぴり驚きつつも、セシリアはすぐに笑顔で応えた。



『――反復経験?』


 クレスとフィオナが声を揃えて聞き返す。

 セシリアはうなずき、落ち着く声色でゆっくりと答えてくれた。


「クレスさんの場合、特定の期間の記憶がすっぽり抜け落ちていますから、その期間にあったことを繰り返し経験してみると良いかもしれません。こうして私にあってみるのもその一つですね。それらがクレスさんの失われた記憶を刺激して、明確な記憶……とはいかないまでも、それに付随する記憶の断片を得られる可能性はあるかも、と思います~」

「なるほど。記憶の断片……か」


 うつむき加減に納得したような顔を見せるクレス。それはもちろんフィオナにとっても嬉しい情報だった。


「クレスさんっ。それならわたしに任せてください!」

「む。フィ、フィオナさん……?」

「クレスさんとずっと一緒にいたのはわたしです。なんでも一緒にやってきました。だからまた、一緒にいろんなことをやり直していきましょう!」

「やり直す……」

「はい! そうすれば、もしかしたらクレスさんの記憶も……!」


 強い決意と共に両手をぐっと握ってやる気を見せるフィオナ。そんな彼女に、クレスは少々呆気にとられながらもうなずいた。


「……わかった。世話になってばかりですまないな」

「ふふっ、いいんですよ。だって、お世話をするのがわたしのお仕事なんですから♪」


 迷いなくそう告げたフィオナに、クレスは驚きながら呆然とする。そしてぽつりと言葉を漏らした。


「……ありがとう」


 フィオナは、クレスを安心させるように微笑んだ。


 そこでセシリアがにっこり顔で人差し指を立てる。


「クレスさん。それでは早速、ここで反復体験を一つしてみませんか?」

「「え?」」

「ふふっ。その子が退屈していまして」


 クレスとフィオナの視線が、フィオナの膝上に向く。いつの間にか起きていたショコラがじっと二人を見上げながら鼻をクンクンとさせていた。


「以前、クレスさんはこの子とめいっぱい遊んでくれたんですよ。ショコラ、クレスさんがたくさん遊んでくださるそうよ」


 ぴくぴく、と黒猫モードのショコラの耳が動く。

 次の瞬間、高くジャンプしたショコラはくるりと回転し人モードになる。


「ほんとー!? じゃああそぼあそぼっ! ペロペロ鬼ねペロペロ鬼!」

「ペ、ペロペロ鬼……!? 一体何の遊びなんだ!?」

「あのねー、相手を捕まえて顔をペロペロしたら勝ち! じゃあはじめはウチが鬼ね! 三数えたら追いかけるから早くにげてねー」

「な!? 説明がざっくりしすぎ、ちょ、待って」

「さーん、にーい、いーち」

「くっ!」


 シリアスな顔で店を飛び出していくクレス。直後に「ぜろっ!」と数え終わったショコラが凄まじいスピードで駆けていった。

 フィオナとセシリアが追いかけて外に出ると、クレスはあっという間にショコラに捕まって顔をペロペロされていた。


「んもー! こんなにはやく終わったらつまんなーい! あ、ねぇねぇレナは? ウチ、レナよんでくるから待ってて!」

「えっ!」


 困惑するクレスをよそに、ショコラは早速黒い扉で聖都に移動すると本当にレナを連れてきてしまった。

 昼休み中に強引につれてこられたレナはさすがにちょっとイラッとしており、そこから今度はレナが鬼となってショコラを追いかけるターンが始まった。クレスはポカンとしていたが、クレスも一緒に鬼となってショコラを追いかけることに。そこからは以前の追いかけっこを彷彿とさせるような反復体験となっていく。

 そんな光景を目の当たりに、フィオナとセシリアは思わず笑い合ったのだった。



 そうしてしばらくショコラと遊んだ後、レナの昼休み終了のため一同は聖都へ戻ることに。


「はぁ、はぁ、はぁ……ぜんぜん、やすめなかったじゃん……!」

「にゃふふふ! たのしかったねーレナ!」

「ぜんぜんたのしくない! 顔はベタベタしてよごれちゃうし! てゆーかもうぜったいかってによばないで!」


 じゃれ合う(というか一方的にショコラがじゃれつく)二人はなんだかんだで相性が良いようで、その光景は疲労するクレスの心にも良い影響を与えてくれていた。


 こうして二人とレナはセシリアの店を後にする。


「セシリアさん、突然だったのにありがとうございました。またお邪魔しますね」

「はい~。いつでもお待ちしてます。クレスさんも、遠慮せずいらしてくださいね」

「……ああ。感謝する」

「レナはえんりょしたいけど」

「にゃはは! それじゃいこっかぁ。お城のテッペンでお昼寝の続きしよーっと」

「ショコラ。あまり遊びすぎないこと。それから、しばらくの間クレスさんの反復体験のためにあなたの力を貸してあげて。森と店の心配はいらないから」

「えっ、でもごしゅじん」

「頑張ってお手伝いができたら、ご褒美をたくさんあげる」

「ホントー!? やったぁそれならいっぱいお手伝いしてあげる! ほらほらいこークレス!」


 そんなことを言いながら黒い扉を出現させるショコラ。記憶を失っているクレスにとって二度目の門はまだ緊張があったが、戸惑う間もなく連れて行かれる。さらにレナも続き、最後にフィオナが足を踏み入れたところで振り返った。


「セシリアさん……本当にいろいろとありがとうございました。どうしようってちょっぴり不安でしたけれど、元気が出ました! お嫁さんとしてがんばりますね! えへへ」

「……フィオナさん」


 明るく振る舞うフィオナに、セシリアは少し逡巡した後で言った。


「フィオナさんは、私と友達になってくれました。だから私も、大切なお友達のために言わせてください」


 セシリアは胸の前で手を握ると、少し切なげに微笑んだ。


「どうか、無理はしないでね」


 フィオナは、少しだけ目を大きくする。

 それから――すぐにいつもの笑みを返した。


「……はい、ありがとうございます。必ずまた、クレスさんと遊びに来ますね!」


 フィオナは黒い扉を閉め、待ってくれていたクレスたちの元へ戻った。

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