♯369 記憶の旅路


 ◇◆◇◆◇◆◇



 家に戻ったクレスとフィオナは、セシリアからのアドバイス通りに様々な“反復経験”を試みることにした。


「クレスさん。それではまず、聖都を巡ってみませんか? やっぱりここがわたしたちの居場所ですから。それに……クレスさんとの思い出は、いくらだって思い出せるんです。そのすべてを、ちゃんとご案内してお話しますね!」

「ああ、わかった。頼む」

「ふふ、忙しくなりそうですね。お店は……うーん、まだしばらくお休みにしておかないとでしょうか。でも、メルティルさんのケーキだけはちゃんと作らなきゃ。それから、いろんな人に事情を説明して……」


 あれこれと指折り数えてやることを考えるフィオナ。その表情は明るく、瞳には希望が宿る。

 そんな彼女をクレスはじっと見つめて、それからぽつりと口を開いた。


「……フィオナさん」

「あ、はいっ。なんでしょう? お仕事のことでしたら心配しないでくださいねっ。ぜんぶわたしがちゃんと――」

「ああ、いや、そうではなく」


 クレスは少し戸惑いながら、どこか気まずそうにつぶやく。


「……もし。もしもすべての反復経験を終えても、俺が何も思い出せなかったら…………そのときは……」


 その先を、クレスは言い淀む。その身体はわずかに震えていた。


 そんな彼を、フィオナがそっと抱き寄せる。


「――大丈夫です」

「……え」

「怖がらなくて、いいんですよ。きっと、大丈夫です」


 ささやき、いつものようにクレスの頭を優しく撫でる。


「ずっと、わたしがそばにいます。誓いました。わたしは最強のお嫁さんになるんだって。だから、怖いものなんてわたしが全部倒しちゃいますからね。クレスさんはもう、がんばらなくて大丈夫なんですよ」

「…………!」


 クレスの胸がドクンと跳ねた。


 例え記憶がなくとも、彼女のことを何も覚えていなくても。

 クレスはその温もりを懐かしく思った。彼女のささやく声色や花のような匂いが、心を落ち着かせてくれた。


「…………ありがとう」


 クレスはそのときある決意をした。


 彼女には、どこまでも真摯にあろうと。



 こうして二人はやり直す。


 記憶の旅路。二人で歩んできた道。

 白紙になってしまったクレスの記憶のページを、一枚ずつ書き足していくように。

 二人は、初めから一歩ずつ歩きだした――。



 そうして二人は翌日から、様々な場所へ行って“反復経験”を始めた。

 何も覚えていないクレスに、フィオナが一つずつ出来事を丁寧に語っていく。



 それは二人の家から始まった。

 あの日。フィオナはアカデミーを卒業してクレスの家に駆け込んだ。いきなりの告白にクレスはとても驚いていた。

 そして突然のキングオーガとの戦い。勇者クレスの本当の意味での帰還を聖都の皆が受け入れてくれた。フィオナもまた、そこでクレスに受け入れてもらえた。フィオナはそのときのことをとても嬉しそうに語った。



 時間は流れ、初めてのデート。初めてのプレゼント。そしてプロポーズ。

 この説明はとても照れるものだったが、それでもフィオナはきちんと語り、そしてクレスはすべてを聴きもらさずにいた。



 フィオナの育ての両親――ベルッチの家にも向かった。

 事情を知ったベルッチ夫妻はかつて二人が結婚の挨拶に来たときのことや、二人の結婚式の思い出などを楽しそうに話してくれた。当然ながらクレスにその記憶はなかったが、それでも他者から自分の記憶について語られることをクレスは真剣に聞いた。他者の中にいる自分がどんな人間なのか、クレスは知りたかった。



 その帰りにすっかり繁盛店になっているセリーヌの店に行けば、店主である彼女とアルバイトのリズリットが迎えてくれた。

 記憶を失ったクレスに二人は大変驚き、それでも変わらず接してくれた。かつてこの店を手伝ったりしたこと。セリーヌから水着を選んでもらったり、リズリットのお兄ちゃんになったりもした話にクレスは驚くことになった。



 夜。気分転換にとヴァーンとエステルに酒場へ連れていかれた。そこでかつてこの街で再会した日のことも話した。

 あのとき酒に弱いフィオナはすぐに酔ってしまい、今でも笑い話になる。聖闘祝祭セレブライオという闘いの催しでヴァーンと戦ったこともあった。ヴァーンはあのときの不完全燃焼ぶりを今でも不満に思っているらしく、またクレスと全力でやり合いたいと笑って話した。だから早く記憶を取り戻して強くなれと。クレスは、ヴァーンやエステルが本当の“仲間”になっていたのだと感じられるようになった。きっと失われた記憶の中でも、今のようにたくさんの酒を交わし、たくさんのことを語った。そのすべてを覚えていない自分を、クレスはもどかしく思った。



 聖都の至るところに記憶の欠片はある。

 二人で一緒に買い物をしたいくつもの店。馴染みの通り。石段。路地裏。小さな橋。郊外の牧場。デートを重ねる中で、聖牛の乳搾りという名誉な体験をすることもあった。そんなデートの中でクレスは貪欲に様々なことを学び、大きく成長していたとフィオナは我が事のように語った。



 そして、大聖堂での結婚式。

 聖女ソフィアの下で、たくさんの人々から祝福を受けた。

 そんなソフィアの考えたゲームは街をあげての大盛り上がりとなったが、最終的には大変なトラブルとなってしまった。大司教レミウスがゴーレムを生み出したときのことなどを語れば、クレスは目を点にして驚いた。それでも皆で力を合わせて解決したことは良き記憶だ。



 式を終えて、誓い合ったあの夜。初めての夜。

 大きな緊張と幸福の中で、二人は身も心も結ばれた。

 さすがにフィオナもデリケートな部分を細かくすべて話すことは出来なかったし、クレスも訊けなかった。それでも十分だった。



 新婚生活が始まって、幸せな時間を過ごした。仕事なども新たなに探し、生活は安定していった。

 そんなある日、突然クレスが子供になってしまったことがあった。

 ショコラやセシリアと再会したのはそのときであり、大魔族の一人である『風花のローザ』と戦うこともあった。クレスは自分が子供になったというこれまた奇っ怪なエピソードに仰天し、一緒に話をしてくれたショコラやヴァーン、エステルらが笑った。



 かつてのゴーレム騒動によって新しく生まれた温泉施設にも足を運んだ。

 湯上がり処で冷たい飲み物をいただきながら、フィオナはあのときのことを語る。皆で温泉を楽しんだ後、聖女ソフィアを相手にペルシュというスポーツで争ったこともあった。

 そんな話をしていると、クレスの事情を知ってやってきたソフィアが気を利かせてまたペルシュの相手をしてくれることになった。あのとき以上にクレスは大敗した。

 皆が気を利かせて二人に良い部屋をあてがってくれたこともあり、なんと今回も同じ部屋に泊まらせてもらえることになってしまった。

 ただ、今回はゆっくりと部屋で思い出話をしただけだったが。

「あのときと同じくらい、とても素敵な時間です」と。

 そう語るフィオナの笑顔を、クレスは静かに見つめていた。

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