♯364 変わったのは


 ◇◆◇◆◇◆◇


 夜も更けた時間。

 クレスとフィオナ、そしてレナの三人は静かな森の家に帰っていた。ヴァーンたちもそれぞれ宿などに戻り、メルティルたちともすでに別れている。


 家族三人だけの、馴染みの空間。

 しかし、今までとは違う空間。


 テーブルを挟んでクレスとレナが向かい合い、じっと自分を見つめてくるレナにクレスは少々戸惑った様子だった。


 一人、キッチンで作業をしていたエプロン姿のフィオナが出来たてのスープ粥を三人分運ぶ。


「どうぞ、クレスさん。レナちゃんも」

「あ、ああ……」

「ん」


 専用のカップに両手をつけたレナは、ふーふーとスープを冷まして口を付ける。遅い時間ゆえ、しっかりした食事は明日にして今夜は軽く済ませることにしたのだ。


 一方のクレスは――


「…………」


 じっと、目の前のスープを見下ろす。

 隣に座ったフィオナが優しく話しかけた。


「チキンスープのお粥です。以前、クレスさんに教えてもらったんですよ。お母様が作ったこのお粥が好きだったんだって。それで、たまに作らせてもらっています」

「……そう、なのか……」

「はい。ふふ、よかったら飲んでみてくださいね」


 クレスはまだ呆然としたまま、そっとスプーンを手に取る。

 そしてスープをすくい、一口飲んだ。


「…………!」


 クレスの目が大きく開かれる。


「どうですか?」

「……美味しい」

「ふふ、やった♪」


 素直なつぶやきに手を握って喜ぶフィオナ。そんな彼女の顔を、クレスは少しぼうっとしたように見つめた。


 しかしクレスは、すぐにスプーンを置いてしまう。

 フィオナとレナが見守る中、クレスがつぶやく。


「…………本当に、俺は、君と、結婚していたのか……」


 ゆっくりと確認するようなその発言は、クレスが自分の記憶と向き合うためのものだった。


 クレスの視線の先には――棚の上に置かれた指輪。《離魂》した影響を受けたかのように砕けてしまった二人の指輪は、それでもまだ輝きを残す。その下で、折れたかつての聖剣が役目を終えたように横たわっている。


 さらにクレスは家中を見渡す。


「……ここは、確かに俺の家だ。しかし、俺が知っている家とずいぶん変わっている……。ベッドなどの家具や、この揃いのカップも」

「はい」

「それに、君もその子も、勝手知ったる我が家のように振る舞い、馴染んでいる。とても演技や嘘には見えない。実際に……ここは、君たちにとっても“家”なんだな」

「はい」


 フィオナはにこやかにうなずく。

 レナは少し不満げに口を尖らせた。


「ねぇ。ほんとになんにも思い出せないの?」


 フィオナとレナの視線を受けながら、クレスは神妙な面持ちで返答する。


「…………すまない」


 その答えがすべてだった。


 今のクレスにとって、フィオナとレナは“家族”ではない。それを理解したレナは、何も言わずにただカップをぎゅっと握って見つめた。


 それでもフィオナは変わらなかった。


「謝らないでください。クレスさんは、何も悪くありませんから」

「フィオナ……さん」


 その戸惑いながらの呼びかけにも、フィオナは微笑む。それからちょっぴり眉尻を下げて話した。


「悪いのは、わたしの方なんです。先ほどお話したように、わたしがクレスさんに掛けてしまった魔術のせい、ですから」

「だが、それは俺を助けるため……だったんだろう? なら君も――」


 フィオナは、ふるふると首を横に振る。


「クレスさんは、本当に何も悪くないんですよ。わたしのことは、気にしないでください。それより、冷めてしまう前に食べちゃってくださいね。あ、デザートも用意しましょうか。クレスさんと一緒に作った、美味しいお菓子があるんですよ」


 フィオナは自分のスープに手をつける間もなく立ち上がり、また作業を始めてしまった。


 クレスはしばらくそんなフィオナの背中を見つめて、それからまたスープに目を落とす。


 ――これは、間違いなく母の味だった。

 変わってしまった家。妙な居心地の悪さ。それでも、どこかに懐かしい安堵を感じる家。

 そして、自分の名前を呼ぶ二人の“家族”。


「……まだ、信じられないが。それでも、そう、なんだろうか。変わったのは、俺、だけ…………」


 すべての人と、すべての状況がクレスをその結論への導く。



「……俺は、本当に、記憶喪失なのか…………」



 彼のつぶやきに、フィオナとレナが動きを止めてクレスを見た。


 クレスは、フィオナと《結魂・・した後の記憶を・・・・・・・すべて失ってしまっていた――。

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