♯359 ただ一人の男の意地

 クレスの発言に全員が言葉を失い、魔王メルティルが訝しげに目を細める。


 そして同時に皆が理解する。


 クレスの身体から立ち上る闘気は、今まさに戦闘に挑もうとする合図。それはかつて勇者だった頃のクレスが持っていたもので、蘇ってからは長い間失っていたはずの力の発露だった。


 フィオナがクレスに近寄って声をかける。


「ク、クレスさん? どういうことですかっ?」

「フィオナ……」

「オイオイ待てやクレスさんよ! オレぁいまだによくわかってねぇが、コイツがマジモンの魔王だとしてもう決着はついてんだろ? つーかお前コイツと戦ったせいで一度死んでんじゃねぇか!」

「……どういうつもりなの? クーちゃん」

「そうだよクレス。なんでこのお客さんとたたかうの!」


 レナがクレスの服の裾を引っ張りながら尋ねる。ニーナもポカンとした顔でクレスを見上げていた。


 フィオナは戸惑いながら呼びかける。


「クレスさんっ、それは、生命力を燃やしているオーラですよね? ヴァーンさんとの戦いでも、一度強引に使おうとしたクレスさんの……で、でもダメです! せっかく元気になったのに、もう戦いは終わったはずなのに、ど、どうして……!」


 不安げな表情を浮かべるフィオナ。

 皆の注目が集まる中で――クレスはそっとフィオナの頬を撫でる。


「心配はいらないよ、フィオナ」


 そして、穏やかな顔で答えた。


「今、全身にかつてないほどの生命力が宿っているのがわかる。フィオナのおかげだ。それに俺は――ただ、メルティルと本当の決着をつけたいだけなんだ」

「……本当の、決着……?」


 クレスはうなずき、そして魔王メルティルを一瞥した。


「ヤツの言う通りだ。フィオナは俺と出会ってからもたくさんの成長を重ね、人として、魔術師として、女性としても強くなっている。いつか君は母になって、さらに魅力的な人になるだろう。本当にすごいと思う。君がそばにいてくれることが、俺の一番の自慢だ」

「え、えっ? ク、クレスさん……」


 突然の褒め言葉に、撫でられた頬をポッと朱く染めるフィオナ。


「フィオナやレナはぐんぐん成長しているが、しかし俺は……俺はまだ、止まったままでいるように思う」

「クレスさんが……止まった、まま、ですか?」


「うん」とうなずいて、クレスは剣を握った自らの手を見下ろす。


「あのとき。俺は、魔王メルティルを斬ることが正義だと信じて疑わなかった。それが人々のためであり、母や、皆の願いだと思っていた。勇者の役目で、俺の生きる理由であるとすら思っていた。だが――」


 クレスは顔を上げ、フィオナと目を合わせる。


「今は、そうは思っていないんだ。もしもあのとき俺がヤツと対話する選択肢を持っていれば、ヴァーンたちを捨てて行かなければ、何か、違った道があったかもしれない。フィオナに禁忌を犯させるようなこともなかったかもしれない。母が望んでいたのは、そんな俺だったのかもしれない、と」

「クレス、さん……」


 クレスは、優しくフィオナの頭を撫でて笑った。

 それから、再び魔王の方に視線を向けた。


「魔王メルティル」


 クレスはその場に膝をつき、剣をそばに置いて、正座をした。


「すまなかった」


 そして、魔王に向けて深々と頭を下げた。


 この行為に、全員がまた驚きを露わにした。


 顔を上げたクレスは、リィリィとエリシアに視線を送ってから、黙ったままじっとこちらを見下ろしていた魔王メルティルに向けて言う。


「あのときの戦いがお前の望みであり、俺を利用していたのだとしても、俺がお前の命の一つを斬り捨てたことに変わりはない。お前にも守るべき人たちがいたことを、俺は何も知らなかった。知ろうともしなかった」

「…………」

「けじめとして、もう一度言わせてほしい。メルティル。すまなかった」


 また頭を下げたクレス。

 かつての勇者が見せたその謝罪に、フィオナたちはただ唖然とする。


「そして今一度、俺と戦ってほしい」


 その言葉を聞いて、メルティルがようやく口を開く。


「なぜだ」

「見てほしいから」


 クレスは顔を上げ、真っ直ぐな目で即答した。


「フィオナと出逢い、ヴァーンやエステルたちと心を通わせ、レナのような家族を得られた。聖女様に見守られ、師匠に心を鍛えられ、セシリアのような優しい人たちに助けられてきた。かつて俺が助けられなかった人たちが強く生きていく姿を見た。ローザやコロネット、ニーナたちのようなかつて敵対していた魔族とも向き合えるようになった。俺は……もっと変わりたい!」


 クレスは目を輝かせながら言った。


「勇者なんかじゃない。俺は、ただのクレスだ。愛する人を知って一人の男になれた俺を、変わった俺の姿を、あの頃よりもずっと強くなった今の俺のすべてを、フィオナに見てほしい! きっと母が望んでいた未来へ進むところを、俺の愛する人に見ていてほしいんだ!」


 クレスのそんな言葉に。

 フィオナも、レナも、ヴァーンも、エステルも、そしてニーナたちも各々に強い感銘を受けていた。


「そのために、“君”と決着がつけたい。メルティル、君しかいないんだ! もちろん殺し合いなどではなく、勇者と魔王としてでもなく。ただの勝負を。俺と君の全力で、かつての歪んだ戦いを塗りつぶせるような本当の決着を!」

「…………」

「頼む! これは俺の男としての――いや、花婿としての意地だ!」


 正座のまま、さらに深く頭を下げるクレス。

 リィリィが手を組んでその目を潤ませ、エリシアが安堵した表情で微笑む。


「メル様!」

「メル」


 寄り添う二人の呼びかけに、しかし、メルティルは押し黙ったままだった。


 クレスはそこで大きく息を吸い、叫ぶ。

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