♯351 凶運を招くモノ


「…………めて」


 うつむくニーナがぼそりと漏らす。


 クレスの手は止まった。


「……やめて。あるわけない…………そんなこと、ありっこない……!」


 再びニーナが顔を上げる。


 クレスは身を引いた。


 彼女の瞳から、涙が流れる。


「なんでそんなこというの? なんでまだ理想ユメを押しつけるの?」


 ゴロゴロゴロ、と暗雲の中で唸りが強まる。

 ニーナの長いウサ耳がピンと伸びた。


「お祖母ちゃんでも魔王様でもダメだったの! 今回が、今回が最後の賭けだったのに、あたしは賭けに負けたの。だからもう諦めたっ。気休めなんていらない! 誰もニーナのことなんてわかりっこない……この世界で静かに終わればよかったのに、これ以上――ジャマしないでぇっ!!」


 轟く雷鳴と共に、巨大な閃光が再度大地を引き裂く。

 次の瞬間、さらに大規模な崖崩れが発生。クレスたちは足場を失い、ニーナと共に宙に浮く。落下の最中、フィオナとエステルがすぐにそれぞれの魔術を行使してヴァーンとレナを救出。エリシアは崩れた岩片を器用に飛び移っていく。


 しかし――


「くっ……しまった!」


 ニーナのそばにいたクレスだけはエステルやフィオナたちの支援を受けることが出来ず、体勢も悪かったため、このままでは上手く着地することなど不可能だった。ただでさえ夜の雨で視界も悪い。


「クレスさぁんっ――!!」


 フィオナが彼の名前を叫んでその手を伸ばしたとき――重力によって地面へ叩きつけられる寸前のクレスの身体が、ふわりと浮き上がった。


「――っ!?」


 それは、まるで風のクッションによって身体を支えられたように。

 衝撃を免れたクレスは、呆然としながらも崩れた崖の上に立ち尽くす。


「今の、は……」


 すぐにハッと気付くクレス。

 上空から落下してくる無数の岩片。すぐに体勢を立て直して回避を試みようとしたとき――



「――晴らせ! ヴェルシオン!!」



 男の声と共に発生した激しい竜巻が、落下する崖の岩片すべてを破壊し弾き飛ばす。その威力は雷鳴と暗雲さえ突き抜けて月明かりを呼び戻す。


 クレスはすぐに気付く。


「遅れて申し訳ありません! クレス殿!」


 すべてが吹き飛んだ後、そこには魔剣を掲げた一人の青年が立っていた。


「アイン! 無事で良かった……! 今までどこで、それに彼女は――」

「エイルなら共に」


 風巻く剣を構えるアイン。返事をするように風がクレスの頬を撫でた。


「話は後ですクレス殿。まずはあの獣を大人しくさせなければ!」

「……ああ!」


 クレスも聖剣に手を掛けた。

 フィオナにエリシア、ヴァーン、エステル、レナも駆けつける。全員が完全な戦闘態勢に入っていた。


 ――殺意を放つ、深紅の兎瞳。


 それはまさに“獣”。とても話が出来るような状況ではない。

 ぴくぴくと動くニーナのウサ耳から立ち上る魔力のオーラは、この世界を形作るすべての源。創造主たる彼女は、この世界において間違いなく最強の存在である。

 いつの間にかクレスたちの周囲では無数の巨大なダイスがコマのように回転しており、それらが一斉にクレスたちへと襲いかかる。剣や槍で受け止め弾くが、凄まじい衝撃で吹き飛ばされかけた。


「くっそ重ぇぞオイ! 気をつけろお前ら――ってうおおおなんだよクソっ!?」


 ヴァーンが叫ぶ。

 ダイスによって体勢が崩れたところで、今度は矢のような速度で何かがヴァーンたちの身体を切り裂く。クレスやアインが斬った“それ”が地面に落ちる。“それ”は、あのカジノでも使われていたただのカードだった。


「皆、なるべく固まってくれ! フィオナとレナは俺たちの後ろに!」

「は、はい!」「もうなにこれ!」

「やーラビちゃんの本気初めて見るけど、これは大魔族でも上位かも」

「我々なら勝てます! エイル、もうしばらく耐えてくれ!」


 クレス、エリシア、アインが剣で防御に徹し、さらにフィオナとエステルが魔術でより広域を守りサポートする。だが凄まじい物量の暴力はなかなか止まらない。


「オイオイマジかよクソッタレ! こんなの到底防ぎきれね――チッ!」


 ヴァーンがとっさにエステルの眼前へ手を伸ばす。高速のカードによって引き裂かれたヴァーンの手から鮮血が飛んだ。エステルの冷気がすぐにその傷を覆う。


「私は貴方の妹じゃないわよ」

「ハァ? 何言ってんだ当たり前だろボケ」


 この非常時にも、短いやりとりを交わす二人の表情はどこか明るい。


 なんとか怒濤の攻撃をしのぐ中、ニーナが両手をバッと下に向ける。その手から数え切れないほどのダイスがバラバラとこぼれ落ちた。



「《ダイスロール・ファンブルハート》」



 ニーナが落としたダイスたちは、彼女の言葉に応えるようにぴたりと揃って停止する。


 すべてのダイスが、存在しない朱い【♥】の目を示した。

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