♯350 終わった世界になにが出来るの?

 クレスの言葉に、座り込んでいたニーナは呆然とする。

 それから、ぷっと吹き出すように笑った。


「あはっ、なかなか大胆な告白ですねぇそれ」


 立ち上がり、手を後ろで組みながら、崖の上からニブルヘイムの街を見下ろすニーナ。ダイス型のイヤリングが月明かりに煌めいた。


「けっこーイイ街でしょ? みーんな死んでるせいか人間も魔族も関係なくって、面白い方ばっかりなんですよね。あたしが小さい頃になくなっちゃったから大して思い出もないけど、いちおー故郷だし? お祖母ちゃんが好きな街だったんですよ。だから最後の場所にふさわしいかなって。お祖母ちゃんの力と遜色ないだろうし、やっぱあたしってすごいじゃん♪」


 自画自賛しながらぐーっと腕を伸ばし、同時に頭部のウサ耳もピンと伸ばすニーナ。

 彼女はくるっとこちらに振り返って言う。


「それでー、どうやってここまで来たんです? せっかくそれぞれに理想の世界をプレゼントしてあげたのに、出てきちゃったってこと? いやーまさかそんなこと出来ちゃうなんて、やっぱ運のイイ人たちなんですねぇ。ホントびっくりしちゃいましたよ! って、お一人様増えてますね? まさかそのちみっこさんが~?」


 前屈みにじーっと見つめてくるニーナに対して、レナはまたびくっと怯えたようにフィオナの影に隠れた。

 そんなニーナの視線の前にクレスが立つ。

 クレスはニーナと目を合わせたまま、再び口を開く。


「もう一度、君に触れに来たんだ。挑戦させてくれないだろうか」


 ハッキリとそう告げたクレスに、ニーナは乾いた笑みを浮かべて手をパタパタさせた。


「だーかーらー、なに言っちゃってるんです? そんなのムリですってば。もう何度もやったし、いい加減諦めましょうよ。あ、それともアレですか? ニーナのこと好きになっちゃったから、どうしても諦めきれないとか! あはーそれならカッコイイし嬉しいですけどねぇ。ニーナだってやっぱり一回くらいは恋愛とか」

「薬を貰った」

「してみたかったなっておもっ――え?」

「あの街で、運が良くなる薬を貰ったんだ」


 ニーナが二回まばたきをして止まる。

 クレスは取り出した小瓶の蓋を開け、中の液体を飲み干した。

 話を続ける。


「今の俺なら、君に触れられるかもしれない。そうすればこの結界は解けて君も元の世界に戻れるんだろう?」

「それはそうですけど……ハイ? 運が良くなる薬?」

「ああ」

「あはは。なんですかそれ。誰にもらったんです?」

「あちらの研究所の博士……薬師か医者か……? 素性はよくわからないが、その方に頂いた」

「……なんで、そんなものをアナタ方にくれるんですか」

「君の祖母に頼まれたからだと言っていた」

「!!」


 ニーナの顔つきが変わる。


「あの博士がそう言っていたんだ。君を捜していると言ったら、この薬をくれた。……特に何か変わったような気もしないが、とにかく一度試して――」


 すると。


 突然、ニーナが大声で笑い出した。

 大きな月をバックに、一人だけ。

 腹を抱えてひとしきり大笑いしたニーナは、ちょちょぎれる涙を拭いながらつぶやく。


「はー…………そうですかそうですか。面白いなぁ。そういうことかぁなるほどぉ」


 彼女が、ゆっくりと顔を上げる。



「――ニーナをバカにしてるんだ?」



 その朱い瞳に見つめられた瞬間――クレスたちは強烈な寒気に襲われた。


 途端に月が隠れるほど急激に空が暗くなり、暗雲が雷を呼び起こす。ゴロゴロと唸る雷は激しい轟音と共に地上へと降り注ぎ、木々を焼いて大地を崩す。ニブルヘイムの街からも悲鳴が聞こえ始めた。

 降り出した雨に濡れるニーナは、朱と紫の魔力光を宿した瞳でクレスたちを離さない。彼女に戦闘の意志があることは明白で、フィオナやエリシア、ヴァーンたちもそれぞれに身構える。


「これ以上あたしを怒らせない方がいいと思うなぁ。からかうのは好きだけど、からかわれるのは好きじゃないんです」

「待ってくれ! からかっているつもりはない!」

「じゃあなんで? どーせハカセからチュリムお祖母ちゃんのこと聞いたんだろうけど、そんな薬の話あたしは聞いたことない。あたしのための薬なのにあたしが知らないなんておかしいじゃん」

「しかし、確かにあの人は言っていたんだ。祖母から依頼されて作ったのだと。運が良すぎる君のためを想って――!」

「いい加減にしてよおおおおおおおおっ!」


 雷雲を震わす彼女の怒りさけびに応えるように、閃光が落ちる。

 クレスたちを拒絶し、分断するように崖へと落ちた落雷。その激しさにレナが一際大きな悲鳴を上げてフィオナに抱きついた。

 

 ニーナの朱い瞳がこちらを見つめる。


「ねぇ? やっぱりふざけてるんでしょ? じゃなきゃそんなこと言わないよね? ニーナをいじめて遊んでるの? ひどいんだね。この街はあたしがお祖母ちゃんの記憶を引っ張り出して創った過去の世界なんだよ? 終わった世界になにが出来るの? ホントにそんな薬があったんなら、今のあたしが知らないワケないじゃん!」

「それは……!」


 とっさに言葉が出てこないクレス。それは当然、彼にもよくわからないことだからだ。包帯少女の話を完全に理解出来ていたわけではない。


 雨の中、そこで前に出たのはエリシアだった。


「彼の言っていることは本当だよ、ラビちゃん」

「エリシア様まで、ニーナにウソをつくんですか?」

「ボクがウソつかない人って知ってるじゃない」


 微笑を浮かべた、穏やかな表情でエリシアは話す。


「でも、そう思うのも無理ないね。あのね、あの博士さんは言ってたよ。自分はその薬を完成させられなかったって。だからラビちゃんが知らないのは当然だよ」


 その言葉に、ニーナがわずかに目を細める。


 ――ならばなぜ、その薬が今完成してここにあるのか?


 ニーナが知りたがっているだろう当然の疑問に、エリシアは答える。


「そしてさらにこう言ってました。この世界が再構成されたおかげで完成出来たって。それって、ラビちゃんがここを創ったからってことだよね。つまりあの天才な博士さんはさ、自分がラビちゃん・・・・・・・・の力で蘇った幻だって・・・・・・・・・・自覚出来て・・・・・いたんじゃない・・・・・・・?」

「……!!」


 核心をついたエリシアの発言に、ニーナは仰天して言葉を失う。


 既に終わったはずの世界が――現在に干渉している。


 雷は静まり、動きの止まったニーナを見て、エリシアがクレスに目で合図を送る。クレスは小さくうなずいて、そっと、ニーナの元へ歩き出した。


 一歩ずつ。ゆっくりと。


 そして――ようやくニーナの前に立つことが出来た。


 あとは、この手を伸ばすだけというところで――

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