♯310 モンスタークレーマー帰る
魔王の発言に、クレスとフィオナは同時にぴくっと反応した。
「アレは一度開封すればもう終わりだ。残った分は“天使”にとられる。樽で酒を熟成するようにな」
そう聞いたフィオナは、慌てて鞄から霊薬――『天使の雫』の小瓶を取り出す。
ソフィアを助けるためにほとんどを使ったが、まだ少しだけ残っているはずだった。しかしその中身は綺麗になくなっている。ただの一滴もそこにはない。
魔王が鼻息を鳴らす。
「口移しが幸いしたか。貴様も多少はアレを摂取出来たのだろう。あの欠陥魔術を使った代償とはいえ、アルトメリアの長寿命ならば分割したところで人並みには生きられよう」
「メルティルさん……ど、どうしてそこまで知って……」
「くだらんことを訊くな。容易に想像がつくわ」
「まさか魔王……貴様、フィオナを追って覗きを!?」
「お前の頭はどうなってるんだ阿呆勇者もどき! 想像がつくと言ったばかりだろうその意味も理解できんのかもう一度生まれ変われ脳みそポンポコポン!!」
「ポ、ポンポコポン……ッ!?」
尖った鬼歯をシャーと立てながら激昂して詰め寄る少女魔王によくわからない罵倒をされてうろたえるクレス。レナが「なんかかわいいひびきだね」とつぶやいていた。
元勇者と魔王という立場上、なかなか相容れない様子の二人にちょっと戸惑いつつ、フィオナが口を挟む。
「あ、あのうメルティルさん」
「なんだこれ以上くだらん質問をしたら乳をもぐぞ!」
「ええっ!? あ、えっと、い、以前から気になっていたのですが……その、どうしてメルティルさんはわたしがクレスさんに掛けた禁術のことまで詳しく知っていたんですか? 【
そんなフィオナの問いに対して、眉間に皺を寄せていた魔王が舌打ちをして答えた。
「愚問を。妾が生んだ魔術だからに決まっている」
「へっ? ……ええーっ!?」
「そのくらい想像が出来んのか馬鹿め。夫婦揃って阿呆だな。もういいな。せいぜいそのちっぽけな寿命をスイーツ作りに掛けることだ」
そう言って話を打ち切り、どすどすと大股で歩き出す魔王。
それをフィオナが引き留めた。
「ああっ、ま、待ってくださいメルティルさん!」
すると魔王は、これ以上話はないとばかりにイラッとした顔を作る。相変わらず呼び止められるのは嫌いなようであった。
もちろんフィオナもそれはわかっていたが、それでも伝えたいことがあった。
だからフィオナは、対照的に穏やかな顔つきで言った。
「――ありがとうございましたっ」
その言葉に、魔王は訝しげに眉をひそめた。
「……なんのつもりだ」
「あの海で、この『天使の雫』を頂いたこと。最初は戸惑って……いつか、クレスさんとの未来のために使えたらって考えていました。思いも寄らぬ使い方になっちゃいましたけど……大事にとっておくことが出来たから、ソフィアちゃんと、姉妹一緒に生きていくことが出来ます」
「…………」
「それからもう一つ、『パフィ・ププラン』を食べに来てくださったこと」
見つめるフィオナから、魔王は視線をそらした。
フィオナは胸に手を当てながら話す。
「嬉しいです。あのとき、わたしの故郷で少しお話をしましたけれど……メルティルさんと出会えたから、クレスさんと一緒にお店をしたいって、新しい夢を見つけられました。いつか食べてもらいたいと思っていたので、本当に来てくださって、すごく嬉しかったです。今度は、ちゃんと焼きたてを用意しておきますねっ!」
嬉しそうに笑って、そっと魔王の手を取るフィオナ。
魔王はぴくっと反応して繋がれた自身の手を見つめ、すぐに振り払う。
「……二度目だ馬鹿め」
「え?」
「ふん。ずけずけと
「ええ~また“魔性”!? わ、わたしってそんなに遠慮がなかったでしょうか……」
「フィオナママにぴったりだね」
「レナちゃんまでー!?」
緊張感のないやりとりに、いつの間にか空気は和やかなものになっていた。クレスはそんな光景を少し不思議そうに眺めていたが、そんな彼の表情も柔らかくなる。
魔王は懐に手を入れると、取り出した一枚の金貨を指でピーンと弾く。それは弧を描いてフィオナの頭上に飛び、フィオナが「わわっ」と驚きながら両手で受け取った。どうやら代金ということらしい。
「――ふん。スイーツに完成はない。お前のはまだまだ出来損ないだ。くだらんフェスタに出場する暇があったら腕を磨け。ゆめゆめ精進を忘れるな」
魔王はそのまま扉を開き、家を出て行く。
――最後に、振り返ることなく彼女が言った。
「……近いうち、妙な知らせが届くかもしれん。だが、絶対に誘いに乗るな。いいな、絶対にだ」
突然の言葉に、クレスたちは揃って『えっ?』と間の抜けた声を上げた。
「至高のスイーツを生み出すには膨大な時間が必要だ。これ以上くだらんことに時間を費やすなということだ。いいな! よく覚えておけ魔性の乳盛りサキュバス!」
フィオナを指さしてそれだけ言い残し、魔王は朝の光の中へ消える。フィオナたちが追いかけて外に出ると、もう魔王の姿も気配もそこにはなかった。
「行っちゃいました……知らせってなんだろう…………あれ? そういえばメルティルさん、どうしてわたしたちがフードフェスタに出たこと……」
と、首を傾げるフィオナ。
そこでレナがフィオナの服の裾を引っ張る。
「なんか、ヘンなお客さんだったね。まさかホンモノの魔王じゃないだろうし、ふたりってほんとヘンな友だち多いよね。けっきょく、あの人なんなの?」
そうつぶやくレナに、クレスとフィオナは顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
レナがポカンと口を開ける。
「…………まさかのやつ?」
言葉なくうなずく二人にレナは少し驚いた表情を見せたが、すぐにいつもの落ち着きを取り戻す。
「……まぁいいや。じゃあ、いちおうお見送りしとく?」
レナの言葉に、クレスもフィオナも同意した。
彼女の素性がどうであれ、彼女は自分たちのスイーツを食べ、代金を支払った。ならば、それは二人にとって大切な客の一人であろう。
だから二人は、レナと一緒にもう誰もいなくなった森に向けて頭を下げた。
そして三人は声を合わせた。
『またのお越しを、お待ちしております!』
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