♯305 綺羅星の帰還


◇◆◇◆◇◆◇



 かつて、始まりの聖女ミレーニアはその口づけで人々の魂を地上へ呼び戻したと云う。

 シャーレ教の聖典にも記載されている逸話は、教会で神に仕える者ならば皆が知っていることだ。


 すべての神官と聖職女シスターはそのことを思いだし、信じた。信じて祈った。


 聖女フィオナによる口づけで。

 聖女ソフィアが蘇ることを。


 星々の加護による、奇跡が起こることを。



 ――そして。



 朝が訪れた。


 窓の外から、まばゆい光がいっぱいに室内へと飛び込んでくる。


 そのとき。


 パッと。


 ソフィアのまぶたが開いた。



「――ふわぁっ!?」



 声を上げて勢いよく上半身を起こすソフィア。すぐそばで「きゃっ」と誰かが驚く声がしたが、ソフィアは気付かなかった。


 ちょっぴり荒い呼吸をしながら、臀部に残る感触を気にする。


「むううう、シャーレ様め。嫁入り前の乙女のキレイなお尻を蹴るものですかね! もしも痕が残ったらどうして――あ」


 そこでソフィアはようやく気付く。


 彼女に寄り添っていたフィオナと、目が合った。

 フィオナは呆然と口を開けていた。

 さらに周囲を見れば、クレスやレミウスたちといった面々も揃っており、ソフィアの寝所では大勢の者たちが自分を見つめていた。


 ソフィアは状況を理解して、「あ~」と声を出す。


 それから、少し照れくさそうにつぶやく。


「えーっと、その……少し、お仕事さぼりすぎちゃった、かな?」


 チラッとフィオナの方に目線を向けるソフィア。

 フィオナはじわじわと瞳に光るものを浮かべて、そのままソフィアに抱きついた。


「ソフィアちゃんっ!」

「わあっ!」


 そのまま二人してベッドに転がる。

 それぞれの熱が、お互いに強く感じられた。


 フィオナがそっと起き上がって身を離す。

 涙目のフィオナが、笑みを浮かべた。

 ソフィアはそんな姉の姿を見て、同じように笑顔になる。


「ただいま、お姉ちゃんっ!」

「うんっ。おかえりなさい!」


 手を繋ぐ。二人の持つペンダントはそれぞれに光って、やがて落ち着いた。


 そして次の瞬間、部屋は歓声に包まれる。

 多くの神官は手を組んで神に感謝の祈りを捧げ、シスターたちは涙を見せながら抱き合う。中には手を取り合ってぴょんぴょん跳ねるような若いシスターたちもいた。そんな中、ソフィアのメイドは静かに部屋を出て行く。入れ違いにまた多くの神官、シスターが部屋に入ってきた。


「うわぁ、なんかいっぱい来ちゃった。ええと、皆様落ち着いてください。わたくしはこの通り無事で……って、聖女モードになってもこれはだめかなぁ」


 喜びを分かち合う皆の顔つきを見て、ソフィアは苦笑いを浮かべる。

 そしてそのことが純粋に嬉しかった。

 皆が自分のために笑って、泣いてくれる。

 戻ってくることが出来て本当によかったという実感が持てた。


 そして。


「あ……レ、レミウス」


 シスターサラに背中を押された一人の男が――大司教代理のレミウスが、よろめきつつもベッドに歩み寄る。


 そして床に膝をつき、呆然とつぶやく。


「……ソフィア様…………」

「た、ただいま戻りました……です。えっと、急にごめんなさい。でもね、か、神様の世界ってなかなかいいところだったよ! すごく綺麗でのんびり出来てさ、温泉だってあったんだよ。あそこならお母様も安心して――って、あれ?」


 少しばつが悪そうにあれこれ話すソフィアに、レミウスは顔を伏せて何も答えない。その様子を、皆が静かに見つめていた。


 レミウスが、何かを小声でつぶやく。


「………………でしょうか」

「え? な、何?」


 聞き返すソフィア。


 耳を近づける。


 レミウスは再度言った。


「抱擁をしても、よろしいでしょうか」

「え………………あ、どうぞ……」


 ソフィアがそう答えた途端。

 レミウスは、皺の刻まれた腕でベッドの上のソフィアを抱きしめた。力強い抱擁だった。

 ソフィアが彼にこんなことをされるのは初めてだった。


「ミネット様……ありがとうございます…………ソフィア様を、お守りくださって……」

「レ、レミウス……」

「良かった……本当に…………本当に………………」

「……もう。髭が邪魔なんだけど」


 耳元から聞こえてくる弱々しい男の涙声に、ソフィアは少しばかり驚いたものの、それ以上は何も言わずにそのままにしておいた。目の合ったサラがウィンクをして、他の神官やシスターたちも涙をこぼしながら見守ってくれる。クレスとフィオナも、お互いに安堵の表情を浮かべていた。


 そこへ、一人の黒髪メイドが入室してくる。

 給仕カートを押すメイドは皆の作ってくれた道を通り、ベッドの脇につく。


 その表情は、ソフィアがよく見慣れたものだった。


「ソフィア様。お目覚めの一杯アーリーモーニングティーはいかがでしょうか。フローレリア産のお体に優しいものと軽食を用意致しました」


 いつもと変わらぬ凜々しい彼女の姿に、ソフィアはまた少しだけ驚いて、それからいつも通りに返事をした。


「ミルク多めでお願いします!」

「承知致しました」


 ガラスのティーポットの中で、茶葉が太陽の光をキラキラと反射していた。

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