♯301 女神シャーレと聖女ミレーニア
◇◆◇◆◇◆◇
女神シャーレが見せた過去の記憶は、フィオナとソフィアにとって実体験のように映る。“始まりの聖女”の立場を体感したことで、二人はミレーニアという存在がこの世界にどれほど大きな影響を及ぼしたのか、その尊さを理解することが出来た。
シャーレが言う。
『これで、お前たちにも少しは解ったでしょう。ミレーニアがいなければ今の世はない。お前たちは、そんな人間の血を引いているのよ』
言葉をなくすフィオナとソフィアに、ミレーニアはまたちょっぴり照れくさそうな顔をした。
そして、ミレーニアの身体が星のように瞬き始める。
その魂が、神域に溶け始めていた。
「あ……ミ、ミレーニア様!」
「初代様! か、身体が!」
驚く二人に、ミレーニアは落ち着いたままうなずいて応える。
それからミレーニアは、両手でフィオナとソフィアそれぞれの手を取った。
ミレーニアは何も言わない。
ただ、じっと二人の目を見つめて微笑んだ。
それだけで、二人はミレーニアの意思を汲み取り目頭を熱くした。
託された。
時代を創り、人々を導き、神に愛された始まりの聖女から、未来を託された。長い時を超え、命を繋いできた。二人を心から信じてくれているミレーニアの瞳は、あまりに優しいものだった。だから二人も応える。
フィオナが言う。
「ミレーニア様。わたし、ソフィアちゃんを支えます。みんなで一緒に、素敵な未来を作れるように。だから……安心してください!」
嬉しそうに、ミレーニアはうなずいた。
ソフィアが言う。
「初代様……私、まだ、ぜんぜん、初代様みたいになれないけど、でも、助けてくれる人たちがいるから。えへへ。甘えながら、でも、良い聖女になれるように、頑張ります。ここはどーんと任せてもらって、初代様は、ゆっくり休んでください!」
嬉しそうに、ミレーニアはうなずいた。
そしてミレーニアは二人から手を離す。
消えゆく彼女の視線は――女神シャーレの方に向いた。
『……お前が最後に救ったあの暗殺者は、生を全うしたわ。ずっと気にかけていたのでしょう』
ミレーニアは嬉しそうに笑う。
自分の最期のときにでも、彼女は人のために笑う。
シャーレは目を伏せた。
『ずっとここにいたあなたが、一度も私の前に現れなかったのは、この日のため。新たなる時代の聖女を導くため。その一瞬のために、わずかな魂の欠片を残した。これがあなたの、本当の、最後の役目というわけね……』
ミレーニアは。
少しだけ、寂しそうに笑った。
まるで、謝るかのように。
シャーレの声に強い感情が宿る。
『解っている。解っているわ。お前の最後の時間は、この二人のために当てられなければならない。だから、私は、もう――』
震えるシャーレの身体を――ミレーニアがそっと包み込んだ。
優しい抱擁。
身体は粒子と消え、次の瞬間にも幻のように散る刹那の時間。
永遠が始まる刻に、ミレーニアがそっと唇を開いた。
「――シャーレ様」
そよ風のような、ささやき。
女神が、その瞳を大きく開いた。
「ありがとう、ございました。ここに、悠久の誓いを。私の愛は、永遠に、おそばに――」
ミレーニアはシャーレの額に口づけをし、微笑みと共に光の中へ溶けた。
静寂が訪れ、女神シャーレが膝をつくように座り込む。
フィオナにもソフィアにも、最後の、ミレーニアの美しい声が聞こえた。
二人には解った。
だから涙が出た。
ミレーニアが、女神シャーレのために最後の“声”を残したこと。
――誓いの曲『永遠の
――愛の曲『悠久の
これらが、女神シャーレへの想いそのものであったこと。
それはミレーニアが変わらなかった証明。
幼き頃より神への祈りを欠かさず、信仰の元で人々を導いた。立場や状況が変化しても、どれほどの身分になっても、ミレーニアは小さな頃から何も変わらず、ただ人を慈しみ、神を敬愛した。常に感謝をしていた。
彼女は誰よりも地上の人々を愛し、そして、女神を愛した。
だから、女神は泣いた。
フィオナは、落ちていたミレーニアのぬいぐるみを拾って彼女のそばに近づく。そして女神の手にそれは渡した。
シャーレはぬいぐるみに涙を落とし、抱きしめる。
フィオナとソフィアは、そんな女神を二人で優しく抱いた――。
元の美しい造形を取り戻した教会の中で、女神シャーレは自分と始まりの聖女とが描かれたステンドグラスを見上げる。
そんな女神の背に向けて、ソフィアが後ろに手を回しながら軽い口調で言った。
「シャーレ様。あのね、私、もっとシャーレ様に頼ろうかなって」
その言葉に、女神の身体がわずかに反応した。
ソフィアが隣を見ると、フィオナが同意するようにうなずく。
「私、お母様とか、歴代の聖女様とか、初代様みたいに、もっと立派に、完璧に、すごい聖女にならなきゃって思ってたけど、私にはまだまだ無理だから。困ったときは、シャーレ様にお祈りします! そのときは助けてくださいね!」
フィオナが少しおかしそうに笑う。
ミレーニアと、他の聖女たちとの唯一の違い。
それは、神との関係性にあったと二人は感じていた。
歴代の聖女たちは、ミレーニアと同じように女神シャーレを崇めた。しかしそれは、決して手の届かぬ存在への畏怖と尊敬であり、対等な関係ではない。
当然ミレーニアも神を敬っていたが、そこには神に対する愛情があり、言葉を交わしたり、笑い合ったり、手を取り合ったりする、友達や恋人のような温もりがあった。見上げるだけでなく、時には隣に寄り添った。誰に対しても分け隔てなく接することの出来るミレーニアは、神にとっても対等な存在であった。だから、愛と美と平和の神シャーレは彼女を“特別”に想った。
そしてきっと――その特別な人の娘たちにも、“特別”になってほしかったのだ。
しかし、そうはならなかった。
女神シャーレが遙か昔から感じてきたであろうその悲しみを、寂しさを、二人は少しだけ理解出来た。
だからせめて、自分たちもミレーニアのようになりたいと願う。
彼女のように、女神との良き関係を作りたかった。
すると、女神シャーレは二人に背を向けたまま喋った。
『……お前たちは未熟だわ』
声が響く。
『神の領域に自分からやってきたいと願い、招きもしないのにやってきて好き勝手。この私に勝負を持ちかける。あのミレーニアでもこんな風に私を振り回さなかった。力も思慮も足りなければ、神への尊敬も足りない。お前たちはやはり不完全で、ミレーニアには程遠い。……けれど』
女神が、艶やかな髪を揺らして振り返る。
『……飽きることは、なかったわ』
小さくつぶやいた神の顔に、教会の柔らかな光が降り注ぐ。
それは、二人が初めて見る女神の表情だった。
シャーレはぬいぐるみを抱いたままこちらに手を向けた。
『お前たちは、ミレーニアが認めた聖女。あの子が信じた未来の灯火。ならば、人の世に帰りなさい。そして、命を全うしなさい』
二人の身体が、足下から粒子に変わっていく。
この神の領域から、魂が地上に送り返されていく。
ソフィアが大きな声で言った。
『シャーレ様! 私、これからもそういう聖女だから! また自分からお願いして来るかもしれないし、そのときはケンカとかしちゃうかもしれないし、あとお茶会とかもしたいしっ。それにまた神の湯にも入りたいし、えっと、だから準備しといてください!』
シャーレは呆然とした顔で、パチパチと何度か瞬きをする。それから、呆れたような顔をした。
そうして先にソフィアが送り返され、時間差でフィオナだけが残る。
フィオナは何も言わずに、女神へと頭を下げた。
『聖女フィオナ』
そこで 名前を呼ばれ、フィオナが顔を上げる。
もうフィオナの身体もすべて消え去ろうとするその刹那。
『未熟な
最後にその言葉を聞いたところで。
フィオナは心の中でハッキリと女神への返事をして、直後に、意識は途切れた――。
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