♯300 あなたの星は必ず輝く

 自ら殺していた己の存在に気付き、確固たる自己を取り戻したとき、アサシンは既に魂の呪縛から解き放たれていた。世界の色が見えるようになった。

 

『……オレは』

『はい』

『オレは、どうすればいい』

『心のままに、生きてもよいのではないでしょうか』

『オレは、人を殺す術しか知らない。他の生き方を知らない』

『見つけましょう。必ず見つかります』

『聖女を傷つけたこの手で何が出来る。教えてくれ。オレは、どうすればいい。聖女お前なら、わかるだろう』

『いいえ。それは、あなた自身が見つけなければならないことです』

『オレ、自身が……』

『あなたの未来は、あなたのもの。そして、あなたの大切な人たちの想いを背負ったもの。人に委ねるのではなく、あなたが、あなただけの生き方を見つけるのです』

『…………オレだけの……生き方……』

『この世界のすべての方に、その方だけの大切な道があります。信じてください。自分のことを。あなただけの、輝く星を。その星を見つけられたとき、きっと、あなたは幸せになれます――』


 二人は抱き合ったまま。


『……お前は、それを、見つけたのか……?』


 アサシンの問い。


 ミレーニアの吐息が、ゆっくりと、返事をした。

 その瞳から星が消える。


『……伝えたいです。お父様と、お母様に。ミレーニアは、とても、幸せでした、と……。ああ、今宵の星は、とても…………』


 アサシンは空を見上げる。

 そして息をのむ。


 聖都の澄んだ夜空に、一面の綺羅星が瞬く。

 いつもそこにあったはずの星空が、なぜかアサシンにはとても尊いものに思えた。決して忘れてはいけないものに感じた。こんなにも輝かしいものを見ることは、もう生涯ないのだと強く思った。


 闇の世界をも照らす“星”は存在する。

 

 アサシンは、目の前の女性に何かを伝えなくてはいけないと思った。


『…………オレは、オレは……!』


 流れ星が光る。

 

 ミレーニアの声は、もう聞こえなかった。

 

 アサシンは異常を察して身を離す。力の抜けたミレーニアがもたれかかってきた。

 意識を確認しても、ミレーニアは反応を見せなかった。

 ただ、彼女は柔らかな笑顔を浮かべたままで。

 まるで安らかに眠っていたようだった。


 アサシンは彼女を抱え、窓を破って城の中へと侵入し、大声で人を呼んだ。神官やシスターたちから当然に最悪の誤解を受けたが、そんなことはどうでもよかった。

 ミレーニアが医師に看られている中で、アサシンは捕縛され尋問を受けた。事実などどうでもよく、牢に入れられることは確定事項だった。アサシンは無抵抗でそれを受け入れた。



 ――ミレーニアが目覚めなくなっていくつかの月が過ぎた。


 ある日に牢から出されたアサシンは、既に死を覚悟していた。

 しかしそうはならなかった。

 ミレーニアの怪我は手傷のみ。毒の使用も見られない。彼女が目覚めなくなったのは聖女としての寿命――“天星”を迎えたためであり、アサシンに罪はないと当時の大司教が判じた。当然多くの反対意見があり、アサシンの死罪が求められたが、大司教は頑なにそれを却下した。それが、聖女ミレーニアの願いであるためと。

 皆はその判断に従わざるを得なかった。アサシンがまだ子供であり、一切暴れるようなこともなく、誠実に尋問に答えたことも大きかったかもしれない。


 自由になったアサシンは、月光の下で生きる理由を求めた。


 そして決意する。


 この世界はまだ変わらない。

 自分のような闇の存在は数多くいる。



 ――ならば、せめてそんな者たちから彼女の安らかな眠りを守ろう。



 それからさらに幾月が経ち、やがて一年が過ぎても、ミレーニアは目覚めなかった。


 二年が過ぎても。

 三年が過ぎても。

 四年が過ぎても。


 ミレーニアは目覚めない。


 その魂は既に天上へ。そして肉体は魔力の粒子となり、世界に還っていく。

 永遠の眠りが聖女としての死であることを、すべての者が理解していた。

 その四年の間、アサシンは聖城の天辺――聖女の寝室そばに毎晩必ず立っていた。星を見上げ、変わりゆく街並みを見送りながら、時折に過去の自分と戦いつつ、ただ、静かに聖女ミレーニアの眠りを守った。 

 やがてミレーニアの子、『リリィ』が聖女として人々に迎えられた祭日の晩に、アサシンは聖都を去ることにした。


 ――最後の夜。

 大きな満月の下、いつものように聖城の天辺に立っていたアサシンの下から声が聞こえた。


『もういかれるのですか?』


 聖女の寝所から窓を開けて出てきたのは、当然ながら聖女だった。

 もう、この部屋にミレーニアはいない。

 新たなる聖女は、幼くしてミレーニアの面影を備えていた。


『わたし、知っています。あなたが、ずっとここでお母さまを守ってくださっていたこと。だから……ありがとうございました』


 頭を下げる聖女に、アサシンは何も答えなかった。

 アサシンは闇に向けて足を踏み出す。もう、ここに戻ることはない。


 リリィがアサシンの背中へ向けて言った。


『お母さまは! ……きっと、天上の国でよろこばれているとおもいます!』


 彼女の涙声が、アサシンの足を止める。


 アサシンはマスクを外し、その顔を晒して振り返った。

 満月のような金色の髪が、優しい夜風になびく。



『――君もきっと、良き聖女になる』



 そう言って微笑み、アサシンは、二度とここに戻ることはなかった。


 始まりの聖女の終わりを守り続けた金色の暗殺者がいたことを、若き聖女ただ一人だけが知っていた――。

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