♯298 最期の夜
とても久しぶりに一人きりで外に飛び出したミレーニアの隣には、ぷかぷかと浮かぶ女性がついていた。
『最期にしたかったことがこれでよかったのかしら』
『はい。ありがとうございました、シャーレ様。直接お礼を伝えることが出来まして、もう、思い残すことはございません』
ミレーニアがやってきたのは――聖城の天辺。聖女のための寝室が設けられた、尖塔のすぐそばに彼女は座っていた。
聖都の夜風は優しくミレーニアの頬を撫で、彼女の長い白髪や特製の法衣を揺らす。
『とても心地よい風ですね。この街の夜は、美しいです』
ミレーニアはこの場所が好きだった。
自分の目に、大切なものをたくさん映すことが出来るから。肌で人々の息吹を感じることが出来るから。
まだ完成に至ってはいないこの大きな城も、彼女の子が育つと共に立派なものになるだろう。街もさらに発展し、より多くの人々が集まる。希望と活気に溢れた良い街になることを、ミレーニアは望んだ。そのために、まだまだ人々の力になりたかった。
シャーレが街を見下ろしながら目を細めて、呆れたようにつぶやく。
『外に出たいというから、旅にでも行くのかと思えば……こんなところか』
『それもよかったですね。けれど、
『ただの一晩だけでも?』
『ただの一晩だけでも、です』
『それで、この場所』
『はい。ここは聖都の街が見渡せますから。それに、大陸も、遠くの海も、何よりも月と星がよく見えます。すべてが、キラキラと輝いていて……まるで、地上に広がる星空のよう』
嬉しそうにくすっと笑うミレーニアに、シャーレが頬に手を当てながら淡々と話す。
『お前は本当に人間だったのかしら』
『えっ? そ、それはどういう意味でしょう?』
『私は完璧で美しいものが好き。私が力を与えたのは、お前が類い希な美しき心を持っていたから。成長したその心は、今もあの頃と変わらない。お前のような人間は初めて見た』
『そ、そうなのですか? それでは、ええと……私は、シャーレ様の御眼鏡に適ったということでしょうか』
ちょっぴりそわそわした様子で尋ねるミレーニア。
シャーレはチラッとミレーニアに視線を向けてからすぐに目をそらし、小声で答える。
『…………そういうことね』
するとミレーニアはパァッと表情を明るくして、にこにこしながら手を合わせた。
『それはとても嬉しいことです! 私が今ここにいられることも、すべては、シャーレ様からいただいた御慈悲のおかげ――』
微笑むミレーニアがシャーレの手を握ると、シャーレは目を丸くした。
『シャーレ様からの愛が、両親の愛が、私を育ててくれました。そして、私の愛を皆さんへ届けることが出来た。皆さんもまた、その愛をたくさんの方へ繋げております。皆さんが幸せに生きてくださることが、私の生きた証。そのために、この日まで戦い続けることが出来ました。私の物語は、私の愛の戦いです』
『…………』
『シャーレ様。私に愛をくださって、ありがとうございました。シャーレ様の愛が、私を救ってくださった。なればこそ、この命は、いつまでもあなた様のおそばにおります』
今にも消えそうなミレーニアの灯火は、それでも、何よりも美しく輝く。
『……ミレーニア。お前は、幸せであったのかしら』
『はい!』
満面の笑みで答えるミレーニア。
『……必ず、私の元へ還りなさい。お前の魂は、永遠に、悠久に、私と共にある』
『お約束いたします』
契りを結び、シャーレは、その場から姿を消した。
ミレーニアは気持ちよさそうに夜風を受けて目を閉じると、揺れる白髪を押さえながら口を開く。
『もう、出てきていただいても大丈夫ですよ』
ミレーニアがささやく。
すると、一人の人物が尖塔の影からスゥッと月明かりの下に姿を見せた。
マスクで目元以外の部分を隠した、黒装束の人物。
まだ子供の面影を残す者であったが、その鍛えられた肉体や気配の消し方、静かな呼吸と足運びはよく訓練されていることを物語る。この相手はミレーニアにとって、それほど珍しい存在ではなかった。
その人物が、少々くぐもった声で喋った。
『――“聖女”というのは、独り言のシュミがあるのか』
『うふふ。女神様とお話していたのですよ』
『ふざけろ。そんなものがいるか』
『あなたは、神様を信じていらっしゃらないのですね』
『くだらない弱者の幻想だ。そしてそんなものをこの世にばらまく貴様はもっとくだらない』
その者の手で、鈍色の刃が光る。
『オレに気付いた時点で逃げるべきだったな。どのみち、無事に帰すつもりもないが』
抑えていた殺気を解き放つその人物に、しかしミレーニアはまったく怯むことはなく、終始穏やかな柔らかい物腰で話しをした。
『あなたは、まだ子供ですよね。なぜ私を狙うのか、教えてもらえますか?』
『命令だ』
『だから、人を殺すのですか?』
『それが
『人を殺さずに生きることは出来ませんか?』
『オレはそのために育てられた。仕事を放棄するのならば“不要”になる。だからオレはお前を殺す』
『そうですか……では』
ミレーニアは自身の法衣に手をかけると、胸元を大きく開き、心臓の辺りを露わにする。その行為にアサシンが目を見開いた。
『もしも私の命を奪わなければあなたが幸せになれないというのなら、どうぞ、私の命を使ってください』
ミレーニアは、いつもと変わらぬ笑顔でそう言った。
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