♯297 神に見初められた乙女



◇◆◇◆◇◆◇



 心優しき両親から“ミレーニア”慈しむ者と名付けられた少女は、幼き頃から毎夜ごとに教会へ行くことが日課だった。そこで神への祈りを捧げる。


『――女神シャーレ様。穏やかな一日をお見守りくださいましたこと、感謝いたします』


 それが終わると、女神像をピカピカに磨きながら話しかける。

 今日はこんなことがあった。こんなものを食べた。両親と買い物に出かけた。友達が出来た。早く平和な世界になってほしい。そのために女神様のお力になりたい。

 村でも一番といえるほどに熱心な信仰者であったミレーニアの笑顔は、彼女の周囲の人々にとって癒やしだった。教会の者たちもいつも快く出迎えてくれた。女神像に触れることを特別に許されたのも、幼きミレーニアただ一人。こうして毎晩教会にやってくることが、ミレーニアはとても好きだった。


 ――そんな彼女は、生まれつき太陽の光に弱かった。


 母譲りである純白の髪、澄んだ瞳と肌。可憐で儚げなその美しさは、夜の世界でのみ咲くことを許された『夜光花』のようであった。昼の熱に心惹かれることもあったが、彼女は夜が好きだった。

 夜空に浮かぶ《レアリア》の月は世界の象徴。瞬く《ユクトリシャ》の星々が世界の美しさを教えてくれた。神話における二つの『月』と『星』が、それらを統べる神が見守っていてくれる限り、世界は必ず救われると信じていた。

 けれど自分には力がない。

 だから彼女は大いなる力を持つ神話の“神”を尊敬しており、荒廃した世界がよりよくなることを願ってやまなかった。そのために、自分に出来ることをしていただけだった。たとえ大切な人や居場所をすべて失うことになり、わずか十二で孤児となっても、ミレーニアは変わらぬ希望を抱き続けた。


 しばらくして聖職女シスターとなった彼女は、争いによって半壊した馴染みの教会を利用し、同じく孤児となった子供たちの面倒を見ていた。多くの魂が地上を離れ、数え切れない別れを経験しても、ミレーニアは笑顔を忘れなかった。神への祈りを止めることはなく、奇跡的に無事だった女神像をいつも敬い守っていた。ゆえに、白い修道服を纏うミレーニアは『白衣の天使』とさえ呼ばれた。人と人、人と魔族が争い、戦いによって人々の心が荒れ果てていた中、ミレーニアのような存在は貴重だった。

 彼女は幼い身で懸命に食料を探し、集めて、孤児たちに与えた。自分がどれほど疲れていようと、どれほど飢えていようと、常に笑顔を絶やすことなく、他者を尊び、施した。ミレーニアはそのことに苦しさを感じていなかった。自分の苦痛よりも他者の喜びが優先される。ミレーニアはそんな少女だった。


 ――しかし、そんな生活にいつまでも身体が耐えられるはずもなかった。


 数日間何も食べていなかったミレーニアは、水を求めて歩く最中に一人倒れた。

 川は目の前にある。しかし戦争によって流れが止まり、汚濁が進んだ水はもう飲めるようなものではなく、何より体力が尽きていた。どれほど心を強く持とうとも、彼女の身体が先に限界を迎えた。


 ミレーニアは月を見つけて願った。


『…………シャーレ様。どうか……子供、たちを………………』


 もしも女神が気まぐれを起こさなければ、ミレーニアの命はその場で尽きていた。


 倒れていたミレーニアは、かすかな甘い香りに弱々しく目を開ける。

 そこに、赤い星形の果実が落ちていた。

 手に取れば、豊かな芳香と新鮮な弾力がある。口をつければ、感動で言葉が出なかった。

 さらに驚愕する。

 汚れていたはずの川が、清流となりサラサラと音を立てていた。すくって飲めば、身体が命に満たされていくのを感じた。

 ミレーニアはそのことを不思議だとは感じなかった。

 ただ、彼女は手を組み合わせて感謝した。


『悠久の女神シャーレ様……思し召しに感謝致します』


 こうして命を救われたミレーニアは、たった一口だけ囓った果実を持ち帰った。

 しかし教会に戻ったとき、そこに再び火の手が上がっていた。ミレーニアは果実を落として走る。

 魔物の群れ。獣と変わらない低位の魔物たちであったが、子供たちの敵う相手ではなかった。松明が倒れることで貴重な資材が燃えてしまったが、それによって魔物たちが怯み、ミレーニアが戻る時間を稼いでくれた。

 幼い子供たちがミレーニアに抱きつく。

 しかし彼女が戻ったところで、どうしようもなかった。火が消えれば、その瞬間に全員が魔物に襲われて命の糧にされることだろう。


 ミレーニアは願う。


 自分のことはよいのです。

 せめて子供たちだけは――。


 そんな彼女の頭に、声が響く。


『――神の実を食した娘よ。お前は天星の力を授かる資格を得た。望むのならば、月が導く偉大なる聖女と成るだろう』


 美しい声だった。

 それは、ミレーニアが毎夜想像していた通りのものだった。


『ただし、聖女とは神の僕。お前は短い命を捧ぐこととなる』


 ミレーニアは、やはり感謝した。


『私一人の命で皆さんを救えるのなら、喜んで――』


 彼女がそう答えた瞬間に、まばゆい月明かりがミレーニアを照らした。


 瞳に綺羅星が宿る。


 ミレーニアが起こした奇跡の魔術は魔物たちを浄化し、子供たちを救った。

 子供だけではない。

 天星の力によって、ミレーニアはそれから数え切れないほど多くの人々を救うことが出来た。救い続けることが出来た。

 その功績はやがて大陸中に広まり、ミレーニアは奇跡の聖女として、女神の生まれ変わりとして崇められるようになった。そんなミレーニアのために聖都セントマリアが創られ、人々が集まるようになった。ミレーニアは聖女として持て囃されることを心苦しく感じていたが、それでも、一人でも多くの人を救えるように力を尽くした。


 その絶大なる力は、正しくミレーニアの命を削った。

 ミレーニアは生涯恋を知らなかったが、“聖女”は妊娠するために伴侶を必要としなかった。ゆえに一人で子を成す奇跡を起こせた。このことで、ミレーニアの子もまた完全なる聖女であると認識された。子に天星の力が注がれていることを知ったミレーニアは、自分の役目がもうじき終わることを理解していた。


 ――だからミレーニアは、最期の夜に城を抜け出した。

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