♯296 微笑みの天使

 フィオナもソフィアも、そして女神シャーレさえも言葉を失う中で、淡い光に包まれた“始まりの聖女”――ミレーニアが教会に降り立つ。

 現代での二人の聖女姉妹に微笑みかけたミレーニアは、まず両の手でフィオナとソフィアの手に触れた。するとミレーニアの手から二人の身体に光が流れこんでくる。


「……あ。傷が……」

「治ってる…………治癒魔術……?」


 呆然とするフィオナとソフィアに向けて、ニコッと微笑むミレーニア。


 ――“微笑みの天使”。


 かつてそう呼ばれたこともある聖女ミレーニアは、よく笑う少女だった。

 石像よりもずっと若々しく感じられる今の彼女は、おそらくフィオナたちと同年代の姿をしている。

 純白の髪は艶やかで、その一部が後ろで月の形をした髪留めに結ばれている。左右で色の違う金と銀の珍しい瞳を持ち、それぞれに星の光が宿っていた。華奢ではあるが女性らしい体つきは豊かさを備え、フィオナたちと同じ衣服を纏っているにもかかわらず、彼女が纏うことで神々しく映える。慈愛に満ちたその瞳を見ているだけで、フィオナもソフィアも心を安らげることが出来た。


 二人の身を起こしたミレーニアは、続けて教会内にその両手を広げる。

 すると、今度はミレーニアの光が教会内部に拡散していき、シャーレが生んだ闇の空間がすべて消滅して、さらに破壊された聖女像も全員分が生まれ変わり、元の美しい教会の姿を取り戻した。少々の傷や、壊れた家具を簡単に修復するくらいのことはフィオナにも出来るが、このような奇跡は神の御技としか思えない。何よりも、その所作の美しさにフィオナとソフィアは見惚れていた。


『………………やっと』


 女神シャーレが地に降り立ち、つぶやいた。


『やっと、来てくれた。ミレーニア』


 ペタペタと、裸足で歩く。こちらに向かって。


『あなたの魂がここにいてくれることはわかっていた。だからずっと待っていた。でも、今まで、一度もこうして姿を見せてくれることはなかった。私は、ずっと待っていたの。あなたが、こうして私の前に……!』


 シャーレは脇目も振らず走る。途中でぬいぐるみがぽろりと落ちた。

 そして、自分よりも小さなミレーニアの身体に抱きつく。


『ミレーニア……ミレーニア……っ!』


 女神の瞳から、大粒の涙がこぼれる。

 ミレーニアはそんなシャーレを抱き留め、ちょっぴり困ったような笑みを浮かべて女神の頭を撫でた。その姿は、まるで親に甘える子のようであった。


 しばらくして、女神と聖女が身を離す。

 ミレーニアは、何も言わずにフィオナとソフィアの方を見た。するとシャーレはそれだけで意を察する。


『……二人を許せと言うのね? わかっているわ。もとよりこの二人を消すつもりなどない。“約束”だから。私は、あなたに会いたかった。ただ、あなたに。それだけなのよ』


 ミレーニアは安心するように笑った。


 フィオナとソフィアは、終始ポカーンと呆けるのみだった。


「…………本当に、ミレーニア、様……」

「……うそ。初代様……本物の……本物だ……」


 驚きっぱなしの二人に、ミレーニアが視線を向ける。そして今度は二人の方に向き直り、左手でフィオナを、右手でソフィアを一緒に抱きしめてくれた。

 それだけで、なぜか泣きそうになった。

 優しく、包み込まれるような感覚に、二人は安心して息をつく。


 その光景にシャーレがショックを受けた顔をしていた。


『ミレーニアの……抱擁を……!? ……お前たちごときには大それたものよ。さっさとミレーニアから離れないと、闇の彼方に呑み込むわ……!』


 悔しげに歯を食いしばる形相の女神に、フィオナとソフィアがギョッとなる。ミレーニアは二人から手を離し、まぁまぁと両手を前に出してシャーレをなだめた。するとシャーレはすぐに『許しましょう』と髪を払って落ち着きを取り戻す。今のシャーレには、もう先ほどような鬼気迫る恐ろしさは微塵もない。


 それからミレーニアはフィオナとソフィアの背後に回ると、二人の肩を引き寄せてくっつける。

 フィオナとソフィアはお互いに頬を合わせながら何事かと困惑するが、どうやらミレーニアは何かをアピールしたがっているようだった。


 女神シャーレは少々不服そうに言う。


『……二人で一人の新しき聖女。既に十分な力を持っている。大切な子孫を守りたい……。あなたは、だから…………』


 ミレーニアは、嬉しそうにこくんとうなずいた。


「ミレーニア様……わたしたちのこと……」

「認めてくれるん……ですか? ぜ、ぜんぜん初代様みたいにすごくないのに!」


 それから二人の前に移動したミレーニアは、フィオナの手を取り、そこに指文字で何かを書き始めた。


「え? えっと…………『ご・う・か・く』?」


 また、ミレーニアは嬉しそうに大きくうなずく。


 初代聖女に認められた。そのことはフィオナにとってもソフィアにとっても嬉しく、神よりも尊き存在に自分を肯定してもらえたような気がして心がすぅっと軽くなった。


 そこでフィオナはハッと気付く。


「ミレーニア様……あの、ひょっとして……」


 フィオナの言いたいことを察しても、ミレーニアはただ穏やかな笑みを浮かべる。

 ソフィアが代わりに言った。


「……初代様は、晩年、声が出せなくなっていたんだって。人々のために、魔力を込めた歌をたくさん披露されたから。それだけ、身体を酷使するものなんだね……」


 初代聖女ミレーニアは、常に人々のために尽くし続けた。自分がどうなろうと、最期のときまで。

 そのことはフィオナも知っていた。アカデミーの基礎課程において、歴代聖女の偉業を学ぶことは重要なことだからである。


 シャーレが誇らしげに言った。


『私には今でも聞こえる。ミレーニアの美しい声が。人々を導いた尊き歌声が。お前たちにも奇跡を見せましょう』


 そう言って指を鳴らすシャーレ。


 すると教会の風景が一瞬で変化し、遠き日の、まだ生まれたばかりの聖都になる。そこでは多くの民が苦しみ、神子である聖女に救いを求めていた。


 ドレスを纏う若き聖女ミレーニアは――人々の前で歌を紡いだ。


 フィオナとソフィアは、意識のすべてを奪われた。


 歓声が上がる。

 夜空は星とオーロラに瞬き、煌びやかな魔力の粒子が子供を楽しませ、大人たちは涙を浮かべながら目を輝かせた。彼女の声が、歌一つが人々の魂へと干渉し、心を洗い流して弾力を取り戻す。

 美しく透き通る、魔法のような声。ミレーニアの歌声には、それだけの力があった。


「ミレーニア様のお歌…………すごい…………」

「これが……天使の声…………私たちより、ずっと……」


 二人は手を組み合わせて感動に浸っていた。しかしミレーニアは過去の記憶を披露されて照れているのか、なんだか落ち着かないようにはにかんでいる。


 そこでシャーレがふっと笑った。


『ちょうどいい。お前たちにミレーニアがどれほど完全な聖女であったかよくよく理解出来るよう、すべてを教えましょう。よく学んでおきなさい』


 そう言って再び指を鳴らすシャーレ。

 ミレーニアがちょっぴり慌てた顔をした直後、世界が変化する。

 

 荒廃した、戦いの大地に――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る