♯265 天星

 ようやくソフィアに会える――と気持ちを軽くしていたクレスとフィオナだったが、重たい扉をくぐったとき、現実を目の当たりにしてすぐに気を引き締めた。


 ――聖女の寝所。


 そこでは聖女専属の医師を中心に、メイドやシスターたちが代わる代わる動いては眠る聖女ソフィアの世話を行っていた。隅の方では男の神官たちが真剣な顔で何かを話し合っている。張り詰めた空気感は息苦しさを覚えるほどで、クレスとフィオナは息を呑んだ。


「こちらへ」


 専属メイドの案内を受け、クレスとフィオナはベッドの方へ向かう。メイドやシスターがすぐに道を空けてくれた。


 クレスとフィオナは膝をつき、目線を下げて彼女を見る。

 二人が久しく見るソフィアの顔は――以前と何も変わらなかった。

 聖女モードの時とは違う、年相応の幼い少女の顔つき。穏やかな寝顔からは、苦しさのようなものは一切見当たらない。


「聖女様……」

「ソフィアちゃん……」


 ちゃんと呼吸も行っている。二人から見れば、あくまでもぐっすり寝入っているようにしか見えなかった。だから、何が問題となっているのかよくわからない。


 そこで二人は疑問を口にした。


「聖女様はお眠りのようですが……ご病気などではない……ようですね」

「わたしからもそう見えますが……えっと、ソフィアちゃ――あっ、せ、聖女様はどんな状態なんですか?」


 言い直して尋ねるフィオナ。

 すると、メイドやシスターたちの視線がレミウスの方へと向く。

 大司教の男は、静かに二人のそばへと歩み寄ってから話した。


「医師こそおりますが、ソフィア様は病に罹っているわけではありませぬ。健康体であり、息もしております。見たとおり、眠っておられるのです」

「やはりそうなのか……しかし、それの何が問題だと……?」

「そ、そうですよね。声を掛けたら、すぐにでも起きてしまいそうな……」

「起きませぬ」


 レミウスは続けて言った。



「ソフィア様は、もう目覚めることはありませぬ」



 唐突な発言に、クレスとフィオナは言葉を失った。


 静まりかえる室内。メイドやシスターたちは一様に目を伏せていた。


 しばらくして、フィオナがようやく声を上げる。


「……え? もう……目覚め、ない……?」

「そうです。ソフィア様は、12日間お眠りになったままです」

「え……じょうだん、ですよね? だ、だってソフィアちゃんは、ただ眠っているだけなんですよね? ソフィアちゃん、朝起きるの辛いって言ってましたけど、いつもちゃんと頑張って起きて……そ、そうですよねメイドさんっ」


 その言葉に、ソフィア専属のメイドは何も答えなかった。その反応でフィオナはますます不安を募らせる。


 フィオナはソフィアの方へ向き直った。


「ソフィアちゃん……わ、わたしだよっ。ソフィアちゃんっ」


 ソフィアの肩に触れ、軽く身体を揺するフィオナ。


「あのね、また話したいことがたくさん出来たんだよ。きっとソフィアちゃんも楽しんでくれると思うの。それに、『パフィ・ププラン』も改良してもっと美味しくなるから、ソフィアちゃんに食べてほしくって、だからね、起きたら一緒にお茶会をして……それで……」


 手を握ってみた。髪を撫で、頬に触れてみた。

 それでも、ソフィアは目覚めなかった。

 聖女の身体に触れるフィオナを、見ている誰もが止めることはなかった。


「フィオナ」

「……クレスさん」


 クレスだけが、優しくフィオナの手に自身の手を重ねた。


「大丈夫、落ち着いて。まずは、詳しい話を聞こう。それからだ」


 そしてクレスは、フィオナの目元を軽く拭って微笑みかけた。

 その笑みで落ち着きを取り戻したフィオナは、一拍を置いて「はい」としっかり返事をした。


 ――“ソフィアが目覚めない”。


 まずその事実を受け入れた二人へ、黒髪のメイドが椅子を用意する。こうして聞く体勢を整えた二人は、大司教の方へと顔を向けた。


 レミウスは一度小さな咳払いをしてから説明を始める。


「お二方も聞いたことがあるかと思いますが……聖女はその役目を全うしたとき、その魂を天上へと招かれ安息を得ます。これを、教会では『天星』と呼びます」


 この街に暮らしている者で、その言葉を知らない者はまずいない。クレスとフィオナも当然知っていた。聖女の崩御たる『天星』は、新たな聖女が生まれる『星誕』と同じくこの街でのトップニュースであるからだ。式典も執り行われ、他国からの来訪、巡礼も一気に数を増やす。


 フィオナが言う。


「それじゃあ、ソフィアちゃんは『天星』を……?」


 その問いに、レミウスは静かにうなずく。


「『天星』は、死とは異なる概念。地上の人々を救った穢れなき魂の救済。ソフィア様は、女神シャーレに導かれ天上の世界へと逝かれたのです。それは神に魂を捧げ尽くした証であり、聖女として最高の誉れ。魂のみが浄化され、身体はゆっくりと朽ちてゆく。信仰者たる我々にとって、今のソフィア様は神と同位。何よりも尊きお姿なのです」


 レミウスが部屋の隅へと視線を送る。そこでは、神官たちが涙ながらに手を組み合わせていた。ほかにも、多くのメイドやシスターたちが同様に手を組んで祈りを捧げている。


 レミウスはソフィアの方に視線を向け、さらに続けて話をした。


「今回のことは、我々も大変驚きました。本来、聖女がその役目を果たすには生誕より30年から40年掛かると云われます。先代聖女ミネット様はお体が強くありませんでしたゆえ……。しかしソフィア様は、あまりにも、お若い……」


 そんなレミウスのかすれた声に、クレスが口元に手を添えて思考を巡らせながら言葉を返した。


「……何か、今までとは違う例外イレギュラーが発生しているとは考えられませんか?」

「……例外」


 つぶやき返すレミウス。

 クレスの疑問に、フィオナも続いた。


「そう、ですよね。クレスさんの言うとおりだと思いますっ。ソフィアちゃんは、まだまだ楽しいことをたくさんしたいって言ってました。いつか好きな人と恋をして……幸せになりたいって、そう言ってたんです。そんなソフィアちゃんが、もう自分の生を全うしちゃったなんて考えにくいです!」

「む……」


 フィオナの勢いに押されて困惑するレミウス。すぐそばにいた黒髪のメイドがハッとした表情をしていた。


 立ち上がったフィオナは、真剣な瞳でレミウスに問いかけた。


「ソフィアちゃんは、本当に『天星』したんでしょうか? ソフィアちゃんをこっちの世界に連れ戻す方法は、ないのでしょうか?」


 その発言は、一部の熱心な信奉者である神官たちを動揺させた。神の意向を、誉れ高き祝福を否定するような言葉とも受け取れたからである。それでもフィオナは真っ直ぐにレミウスを見つめていた。


 レミウスは、小さく首を横に振った。


「……神域に招かれるのは、女神シャーレに見初められし者。祝福を受けし聖女のみ。我々ではソフィア様をお迎えに上がることは叶わず、これ以上の真実を知る方法がない。ゆえに、受け入れるしかないのです」

「そんな……大司教様……」

「……そして」


 そこで、レミウスが突然膝をついて頭を垂れた。


「え?」


 フィオナは大いに困惑した。

 レミウスに続き、その部屋にいた神官、メイド、シスターたち全員が動揺に膝をついたからである。これにはクレスも動揺していた。


「あ、あの? えっ? み、皆さん? どうしたんですかっ? えっと、か、顔を上げてくださいっ」


 何が起こったのかと混乱するフィオナ。

 ひれ伏したレミウスが、フィオナの方へ顔を上げた。


「聖女が『天星』を受けるとき、必ず次代の聖女が誕生しております。そして……それは貴女様であられるのです」

「……え?」

「フィオナ・リンドブルーム・アディエル様。星々の煌めきを宿すその御髪と瞳のレガリアを持って、次代の聖女となり、我々をお導きください」

 

 レミウスと同時に、皆々が一様に頭を垂れる。

 

 ふらつくフィオナの身体を、クレスが素早く支えていた。



「…………わたしが、次の、聖女……?」



 つぶやくフィオナの銀髪はプリズムに煌めき、その瞳は、星々のような魔力に瞬いていた。

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