♯266 時代の道しるべ
ひざまずく聖職者たちは、皆が手を組みながらフィオナへと懇願した。
――あなた様が聖女です。
――お導きください。
――我々をお救いください。
――地上のためにどうか。
「え、え、ええ~~~!? わたしが聖女っ!? あのっ、待ってください! そ、そんなことを言われても、わたしっ」
それらの声を聞いて、フィオナは強く困惑した。突然このような懇願をされても、わかりましたと返事が出来るわけがない。
そんなフィオナの動揺を知ってか、大司教レミウスは一度大きな咳払いをすると、医師や聖職者たちを全員寝所から外へと出した。こうして部屋に残ったのはクレスとフィオナ、レミウス、ソフィア専属のメイド、そして眠り続けるソフィアの五人のみである。
静かになった室内で、レミウスは膝をついて話した。
「突然の申し出、大変に困惑させてしまったことを謝罪致します」
「だ、大司教さま……」
実質的な教会のトップにまで頭を下げられ、フィオナは身を縮めながら当惑する。クレスの方を見れば、彼もまた同様に戸惑っていた。
レミウスはうつむきがちに話す。
「彼らは皆……不安、なのです。聖女という心の拠り所を失い、どうしてよいのか判らずにいる。それほどまでに、教会にとっての聖女とは特別な存在。そんな中、星の輝きを持つ貴女様が現れた。彼らには、神と同様に見えたことでしょう」
「わ、わたしが……神様……」
フィオナは改めて自身の髪を手に取る。
星のように、虹のように美しい魔力をたたえるその髪は、まさに聖女の象徴。
「確かに、この髪はソフィアちゃんの……で、でもっ、わたしが聖女なんて、だってわたしは――」
レミウスは膝をついたまま顔を上げ、言葉を返した。
「“聖女”とは、必ずしも“聖女”として生まれるわけではありません。初代聖女ミレーニア様のように、シャーレ神から認められさえすれば聖女となることが出来ます。貴女様の御髪と瞳は、間違えないようもなく星の力を宿すもの。それらはシャーレ神に認められた証に他なりません」
「認められた……ですか?」
「はい。そして、決して偶然や気まぐれなどで認められることはないのです。歴史がそれを証明している。ミレーニア様は唯一の方ですが……貴女様には、初めからその資格があったのです」
「え――?」
レミウスが、感慨深いまなざしでフィオナを見上げた。
「ソフィア様の生き別れの姉君。ミネット様とイリア様の残された、もう一人のご息女。貴女様だからこそ、聖女と成ることが出来るのです」
レミウスの発言に、クレスとフィオナは同時に驚愕した後、顔を見合わせた。
フィオナは呆然としたままつぶやく。
「大司教さま…………ど、どうして……そのことを…………」
フィオナの言葉に、レミウスはしばし沈黙する。
すると、静かに話を聞いていたメイドが小さく頭を下げ、
「――お茶を淹れてまいります。少々お待ちくださいませ」
そう言って、スタスタと部屋を出ていってしまった。
――バタン、と扉が閉まったところで、レミウスは皺の入ったまぶたをゆっくりと閉じ、懐かしい記憶を思い出すようにしみじみと語り出した。
「……かつて、聖母代理としてイリア様がこの城にご滞在なされていた頃、ミネット様とイリア様がお二人で城を抜け出され、川へ遊びに行かれたことがありました。公務でお疲れのミネット様を労って、イリア様が提案なさったようです」
「え? お母さんと、ミネット様が……?」
「はい。しかも、
どこかほのぼとした話に、クレスもフィオナもホッとしていたのだが――
「しかしそのとき、冠を持った子供が川に落ちて流されてしまったのです」
「「えっ!?」」
「ミネット様はお身体が弱く、泳ぐこともままなりません。一方のイリア様は迷わず川へ飛び込み、子供を救出されました。その際、冠は川に流されてしまい、我々は大変焦りました。しかしイリア様は子供を抱きかかえながら川から上がると、笑いながら、こう仰いました」
続くレミウスの言葉を聞きながら、フィオナは頭の中で母イリアの姿をすぐに映像化することが出来た。
彼女はずぶ濡れになりながらも笑って言った。
『――そんなの後で見つければいいって。この子が無事で良かったよ~! 命より大切なものなんてないんだからね!』
鮮明に想像出来る光景に、フィオナはつい笑ってしまった。
「そんなことが、あったんですね」
「よくお忍びで出かけておられました。それからミネット様は、風邪を引いてしまうとイリア様の濡れたお身体を拭きながらご心配なさっておりましたが、そんなミネット様の方が風邪を引いてしまい、それから数日はイリア様も我々も必死にご看病を致しました。川から冠を見つけ出すのにも苦労し、本当に、慌ただしいことでありました」
そうは言いつつも、レミウスは普段よりどこか優しい目をしていた。だからクレスもフィオナも穏やかな気持ちになれた。あれだけぴりぴりしていた空気感も、今はだいぶ和らいでいる。
そんな話を聞いて、フィオナは不意に「あれ?」と思い出した。
かつて、この街でレミウスがゴーレムを暴走させてしまったとき。崩れる塔やゴーレムの瓦礫をくぐり抜け、フィオナはレミウスを地上へと運んだ。そのときフィオナは――
レミウスがつぶやく。
「……覚えていらっしゃいますか? 貴女様も、私に同じことを仰いました」
少し穏やかな表情で、しかしどこか寂しげにレミウスは言った。
「貴女様にイリア様の影を見たあのときからでしょうか。元々、ソフィア様が貴女様を非常に気に掛けていたということもあります。まさかとは思っておりましたが……本日、それは確信へと変わりました。……やはり、イリア様によく似ておられますね」
「そ、そう、でしょうか? ……でも、そう言ってもらえるのは、なんだか嬉しいです」
にこっと微笑みかけるフィオナ。
レミウスは、ずっと胸の奥にしまっていたものを吐露するように語る。
「……私自身、ずっと、気がかりでおりました。ミネット様とイリア様の、もう一人の娘君は……ソフィア様の双子の姉君は、どこで、どのように暮らしているのか。ご立派に成長されているのか。イリア様と共に、お元気でいられるのだろうかと」
「……大司教さま……」
「……申し訳ございません。イリア様と貴女様をこの城から追いやった私がお二方の安否を気に掛け、ましてや、貴女様を新たな聖女になどと…………なんと虫のよい。なんと、おこがましいことか……」
目を伏せたレミウスの声は、徐々に弱々しくなっていった。その小さくなった背中は、母を失った子供のようにすら見えた。
そんなレミウスに、フィオナはこう声を掛けた。
「……いいえ。そんなことはありません。大司教さまは、お母さんとわたしを守るために、そうしてくれたんですよね?」
レミウスがハッと目を見開いて顔を上げる。
驚きに揺れる瞳の彼に、フィオナは微笑みかけながら言う。
「ミネット様が、ここで、そう仰っていましたから」
それは、まるで過去を見てきたかのような言葉。
フィオナの笑みを見て、レミウスはしばらく呆然とした後――ふっと口元を緩め、
「……そう、ですか」
と、うつむき加減につぶやいた。
それから少々の沈黙を挟んで、レミウスはもう一度その顔を上げた。
「――フィオナ様」
「……はい」
「身勝手な願いであると重々承知した上で、もう一度お願いを致します。聖女は時代の象徴であり、鏡。決して欠けてはならぬ存在なのです。どうか、時代の道しるべとして、次代の“聖女”として、我々を導いてはいただけないでしょうか」
そんなレミウスの言葉を受けて。
フィオナは――
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