♯248 フィオナ、全身をペロペロされる

 その後、落ち着いたところでようやく着替えようとする鼻歌交じりのご機嫌なフィオナ。クレスは着替え中のレナと目線を合わせるように膝を折って話す。


「ふぅ……助かったよ。ありがとうレナ」

「べつに。てゆーか、フィオナママってまだせいちょう中なんだね。レナもあんなにおおきくなるのかな?」

「そ、それはわからないが……フィオナと近い生活をしていれば、可能性はあるんじゃないだろうか」

「ふーん……。じゃあ、やっぱりひまをみてお手伝いにこようかな。魔術のこともおしえてもらえるし。お風呂も入れるし」

「ああ。遠慮なく来てくれ」


 クレスがレナの頭を撫でると、レナは特に嫌がることもなく静かにしていた。

 そんなときである。


「あっ」

「――フィオナ? どうした?」


 突然フィオナが声を上げたため、クレスはそっちを向きかけたが、フィオナがまだ着替える前の状態であったため、すぐに視線を逸らす。


「な、何かあったのかい?」

「驚かせてしまってごめんなさい。その、下着を持ってくるのを忘れてしまったみたいで。母屋の方まで、取りに行ってきますね」

「え? 一人で大丈夫かい?」

「ふふっ、すぐそこですし、真っ暗な時間にここへ来るような方もいないでしょうから大丈夫ですよ。行ってきますね!」


 それだけ言って、浴布で簡単に身体を隠したまま浴室を出ていってしまうフィオナ。クレスとレナはお互いに顔を見合わせて、ほっと小さく息を吐いた。


 ――直後。



「きゃあーっ!?」



 突然の悲鳴。間違いなくフィオナのものである。

 クレスとレナはまったく同じタイミングで足を動かし、風呂小屋を急いで飛び出す。


「フィオナッ!」「フィオナママ!」


 二人で彼女の名を呼ぶが、森の中は薄暗く、何が起こっているのかよく見えない。ただ、フィオナだと思われる人物が地面に倒れ、素早く動く何かに襲われて「はうっ、んんんっ……!」と苦しげな声を漏らしているということだけがわかった。声からしても、間違いなくフィオナであろう。


「フィオナ! 獣か!? くっ、明かりだ!」

「ママ! クレスいそいでっ!」


 レナの声を背に受けながら風呂小屋に戻ったクレスは、棚の上に置いてあった『魔力灯カンテラ』をガッと掴んで引きよせ、再び外へと出る。


 そしてフィオナの方を照らすと――



「「――っ!?」」



 クレスとレナ、二人が同時に息を呑んで驚愕した。


 そこではなんと――横たわるフィオナの身体に乗った黒い小動物が、彼女の顔や首元、さらには胸や脇腹まで、所構わずペロペロとなめ回していた!


「あっ、あはは! んっ、くすぐった、ふふっ、だ、だめですよ、あは、ふふふっ!」


 堪えきれずに身悶えしながら笑うフィオナ。どうやら先ほど苦しげに聞こえた声は、必死に笑い声を我慢していたものらしい。


「ニャ-!」

「ひゃんっ!? あっ! 胸は敏感だからやめっ、そ、そっちもだめですぅ! もう、んんっ! そ、そんなにペロペロしないでください~っ。ふぁっ! お、おへそまで、あっ、そ、それより下は、もうっ、はぁんんんっ! だ、だめぇ~~~~~~!」


 小動物は興奮しているのか、ふんふんっと鼻息を鳴らしながらどこまでもペロペロを続ける。その激しさにフィオナの浴布はもう完全にはだけて、全身を好き放題にされてしまっていた。ちょっぴり官能的な妻の姿にクレスはしばらく放心してしまったが、ハッと意識を取り戻す。


「……猫、だな」

「クロネコ……だね」


 クレスとレナはまた顔を見合わせて、何度かパチパチとまばたきをする。それから、揃って安堵の息を吐いた。


 フィオナは自分の身体で好き勝手やっていた黒猫を抱きかかえて上半身を起こすと、乱れていた呼吸と浴布を整えながら、赤らめた顔で言った。


「も、もう~、ダメだよショコラちゃん。すっごく、びっくりしちゃいました」


 その発言に「えっ」と驚いたのはクレス。


 さらにカンテラでよくよく照らしてみると、フィオナの胸の谷間に包まれた黒猫は尻尾に見覚えのある鈴を着けていた。猫が「ニャー」と鳴くと鈴も美しい音を鳴らす。

 猫はフィオナの腕から抜け出すようにジャンプし、宙でくるりと回転。次の瞬間にはヒトの形となって、両手を広げながら身軽に足を揃えて着地した。


 黒い猫耳、黒髪の三つ編み、黒のワンピースと背中には赤いリボン。そして血のように赤い瞳。尻尾の先で、また鈴が音を鳴らす。


「にゃは! ゴメンネ~フィオナ! なんだかすっごくあま~いニオイがしたから、ガマンできなくてペロペロしちゃった!」


 魔族の少女は、ニパッと人なつっこい笑みを見せた。


「ショ、ショコラ!?」

「えっ……ネ、ネコさんが女の子になった!!」


 別々の意味で驚くクレスとレナ。

 ショコラはぴくんっと猫耳を動かすと素早く振り返り、クレスとレナの前まで跳躍。そして二人に触れそうなほど顔を近づけてくんくんと匂いを嗅いだ。レナはこれに驚いてクレスの背中にササッと隠れてしまう。


「ん~! フィオナほどじゃないけど、ふたりからもあまいニオイがする! これ、ご主人の使うバニラムードのニオイだネ。ねぇねぇなめていい? ペロペロしていい?」

「えっ? い、いや、ちょっと待ってくれショコラ。な、なぜ君がここにっ? 見たところ、今回は広告を持ってきたわけじゃなさそうだが……」


 レナを庇いつつ、ショコラを手で制止しながら尋ねるクレス。ショコラは八重歯を見せるように笑いながら答えた。 


「にゃふふ。それはねー! ……あれ? なんでだっけ?」


 こてんと首をかしげるショコラに、「忘れたのか!?」とツッコむクレス。

 ショコラは「んむむー」と悩ましげに眉をひそめる。


「こっちに出てきたら急にイイニオイがして、もうガマンできなくてむちゅーで飛びついちゃったから、何しにきたか忘れちゃった! うう~、それよりまだムズムズするぅ……ねぇ、やっぱりペロペロしていい!?」

「そ、それはちょっと困るな。ほら、この子が怖がってしまっているから……」


 チラ、と後ろに視線を向けるクレス。

 彼の背中からおそるおそる覗き込んでいるレナは、怖がっているというよりも、突然のショコラの登場に茫然としているようだった。フィオナを襲っていた猫がいきなり人間に変化しては無理もない。


 するとショコラはがっくりと肩を落とし、猫耳をぴくぴくとさせた。


「ううー、ウチガマンするのはニガテなんだよネ。今日オヤツぬきだったからよけいにぃ! ――あ、じゃあフィオナにしよ! フィオナならいいよね!」

「何? ショコラ、ちょっと待っ」

「フィオナ~!」

「へ? ――きゃあ!? ショコラちゃんまた!? 猫ちゃんのときならともかく、そ、そっちの姿で舐められるとちょっと、あの、ほ、ほんとに――ひゃぁんっ! ショコラちゃ、お、おねがいだからおちついて~~~!」


 今度は少女の姿でフィオナに迫り、再びペロペロしまくるショコラ。せっかく綺麗に洗ったばかりのフィオナの身体は涎まみれになり、背中なども土で汚れてしまっている。

 猫の姿とは違い、人の姿のショコラとではじゃれ合いとは言えないレベルの光景になってしまい、クレスは慌ててレナの目を手で隠す。その間も艶めかしいフィオナの声が響き、クレスは目を閉じながらうつむいた。


 目を隠されたレナが低い声でつぶやく。


「……あのヘンな子、しりあい?」

「あ、ああ。ショコラという名前の魔族なんだ。後でちゃんと説明するが、とりあえず……まずは、フィオナを助けようか……」

「……そのあとで、またお風呂だね」


 二人は揃ってうなずき、お互いに覚悟を決めると、興奮する黒猫少女をなんとか止めようとするのだった。

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