第十章 夫婦の定期健診編
♯246 お風呂に入っても、甘い匂いがする
『聖都フードフェスタ』が終わり、ヴァーンとエステルがルルロッテと共に旅へ出て一月ほどが経った。
都民の中には、朝になると街外れの森へ向かうような人が増えていた。
この時間は母親とその手を引く子供、のんびりと散歩がてらに向かう老夫婦などが多く、皆、森に近づくにつれて甘い匂いに顔を綻ばせる。帰り道ではついでにミルクを買う者が多く、近頃はミルクやアイスを使った『パフィ・ププラン』の美味しい食べ方というものが街中で流行っているらしい。これによって牧場のミルク屋やアイスのスイーツ店は売り上げが伸びているようだ。また、フードグランプリでセット販売されていたヴェインスの紅茶を販売してほしいという声が増えているらしい。
昼過ぎになると、休憩時間を利用して森へ足を運ぶ男性が増える。そして夕暮れになると制服姿のアカデミー女子生徒が多く見かけられるようになり、どの時間帯でも販売側はてんてこ舞いだ。
この日の夕方も、エプロン姿の二人は足を止めずに働いていた。
「フィオナ、新しいのが焼けたよ。冷やしてある分も準備が済んだ」
「ありがとうございますクレスさんっ。あ、いらっしゃいませ! 少々お待ちください!」
ミトンをつけたクレスがスイーツを運び、フィオナがテキパキと接客を進める。
森のスイーツ店――『パフィ・ププラン』。
名物のスイーツと同じ名前を持つこの小さな店がプレオープンしてからは、連日多くの客が訪れ、朝から夕方まで大賑わいである。クレスもフィオナも、まさかここまでの人気になるとは思っていなかったため、人手が足らず目が回りそうなほどだ。狭い店内では飲食は出来ないため、店の外にいくつかのテーブルと椅子を用意してはいるが、常に満席に近い。
そしてまた、カランカランとドアベルが鳴った。
「いらっしゃいま――あっ、レナちゃん」
「今日もせいきょうだね」
アカデミーの制服を着たレナは、トコトコと歩いて近くに掛けてあった子供用のエプロンを手に取ると、代わりに脱いだ帽子と鞄をそこに掛ける。そしてレナは慣れた様子でエプロンを身に着けながら言う。
「しかたないから、今日も手伝ってあげる。これじゃ閉店までにおわらないよ」
「レナちゃん、いいの? ありがとう! 助かるよぉ~!」
「むぎゅ――も、もうっ! そういうのいいからっ。いつもいつも抱きついてこないでよ。ほら、おきゃくさん待ってる!」
フィオナにぎゅ~~~っとされて苦しげな声を上げるレナ。もはや恒例になりつつあるこのやりとりに、並んでいた客らがくすくすと笑う。こうしてようやくフィオナの抱擁から逃れたレナの手伝いもあり、本日もスイーツ店『パフィ・ププラン』は予定通りの営業を終えることが出来たのだった。
明日の仕込みと閉店作業を終え、すぐそばの自宅へと戻るクレスとフィオナ。もちろん、今日はレナも一緒である。
家庭用のエプロンに着替えたフィオナが手早く夕食を作り、三人で食卓を囲む。レナはフィオナの手料理を食べるようになってから、苦手だったいくつかの野菜を克服して食べられるようになり、そのことをフィオナがたくさん褒めると「子供じゃないんだし」と頬を赤らめて素っ気なく返した。レナが店の手伝いに来てくれる日は、ここでレナからアカデミーの近況報告を聞くのも、クレスとフィオナの日常になりつつあった。なお、レナはプレオープン期間が始まってほぼ毎日のように手伝いに来てくれている。
食後は三人で一緒に湯浴みをする。お互いの身体を洗い終えると、湯船に浸かって疲れを癒やす。
「はふぅ~……♪ やっぱりお風呂はいいですねっ。クレスさん、レナちゃん、今日もお疲れ様でした♪」
「ああ、フィオナもお疲れ様。レナ、手伝いにきてくれてありがとう。しかし、アカデミーの勉強も大変だろうから無理はしないでほしい」
「わかってるよ。よゆーあるときしか来ないし」
湯気が立ち上る木槽で、三人が同時に「ふぅ……」と息を吐く。初めはクレスとの入浴を嫌がっていたレナも、今では当たり前のように馴染んでクレスの上に乗るほどになっていた。
そんな中、レナが自身の髪先をくんくんと嗅ぎ、続けて二の腕も嗅ぎながら言う。
「まだクリームの甘いにおいする……。それよりさ、お店のやりかた、ちゃんとしたオープンまでに変えたほうがいいんじゃないの? いまのままじゃ、二人ともたいへんでしょ」
「うーむ……確かに。この状況が続くようなら、俺とフィオナだけでは厳しいかもしれないな。ヴァーンとエステルを雇うことも出来ないし、リズリットさんもこちらを気に掛けてくれているが、彼女にはセリーヌさんの店があるからな。やはり、前に話をした営業時間の短縮が良いかもしれないね」
「そうですね。そういった問題を知るためのプレオープンですが、今のままでは、並んでくださる方が大変ですし……。けれど、出来るだけ多くの方に喜んでいただきたいですし……むー、いろいろと考えないとですね」
「ああ。本当に、商売とは難しいものだね」
「わたしも、お店がこんなに大変だなんて思っていませんでしたぁ」
夫婦揃って「う~ん」と頭を悩ませる。その間でレナはぐーっと伸びをしてから言った。
「ほんとだよ。レナだって、もうねだんとか包み方もぜんぶおぼえちゃったし。もっとしっかりしてよね」
「ふふ、そうだよね。レナちゃんのおかげでなんとかなってるよ、いつもありがとう。あっ、本当にあまぁい匂いがする~♪」
「わっ! だ、だからぁっ、きゅうに、だきついてこないでってばっ。ていうかっ、フィオナママの方が甘いにおいするし!」
「えへへへ♪ レナちゃんは可愛いね、良い匂いだね~♪」
デレデレのフィオナに抱きかかえられたレナが手をばたつかせ、跳ねたお湯がクレスの顔面にかかりまくるが、クレスはただただ満足そうにうなずく。そこへレナが逃げてきて思いきりクレスの首に抱きつくと、さらに追いかけてきたフィオナが二人を勢いよくまとめて抱きしめ、三人は揃って湯船の中に沈む。そして三人揃って浮上すると、三人ともが笑い出した。
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