♯239 ルルロッテの求婚

 ルルロッテは、クレスたちにもすべてを語った。


 かつての戦争によって祖国ヴェインスが滅びたこと。

 祖国再建のためクレスを利用しようとしたこと。

 亡き姉の言動を真似た『ルル』の仮面で皆を騙っていたこと。それは皆に大変な衝撃と困惑を与えた。


 特にセリーヌの動揺は大きい。


「……ウソでしょ? ヴェインスが、もう、なくなってたなんて……。いつか行こうって思ってたのに、そんなの、あたし、ぜんぜん……」

「戦争が激化して最も混乱していた頃だから、辺国の情報は未だに知らない人も多いわ。商人たちの間では、多少噂になっていた時期もあるけれど」

「エステルさん……じゃあ、エステルさんは知ってたの……?」

「……ええ。けれど、ヴェインスの公女が存命していたなんてことは知らなかったわ。だから、あの歌を聴いたときは……とても、驚いた。あの歌は、ヴェインスを代表する歌曲だから」


 二人のやりとりを、クレスたちは静かに聞いていた。ルルロッテはそれを肯定するようにうなずき、それから全員を見渡して言う。


「ヴェインスの姫として、完璧なステージを披露し、コンテストで優勝することが出来れば……純粋なわたくしの力を認めてもらうことが出来れば、ステージですべてを明かすつもりでした。しかし、それは叶わず……。無価値なわたくしでは、皆さまに会わせる顔はないものと思っておりました」


 ルルは母の形見のドレスが汚れることも厭わず、地べたに正座をして背筋を伸ばす。これには執事が困惑した。


「皆さまには心なき言葉を差し向けたこと、心より謝罪致します。本当に、申し訳ありません」


 そのまま地面にひれ伏すように頭を下げるルルロッテ。執事が慌てて身を起こそうとしたが、ルルロッテはそれをはね除けた。


 セリーヌが動揺したまま、膝をついたルルロッテに話しかける。


「ちょっとちょっと、待ってよっ! じゃああなた、今のそれが素なの? 今までのあの暴言とか横暴な立ち振る舞いとか、全部演技だったってこと? と、とてもそんな風には見えなかったわよ!」


 すると、ルルロッテはわずかに顔を上げてセリーヌを見た。


「演技……とは、少々違います。わたくしは、自らの声で自意識に深い暗示を掛けることが可能で、それを“仮面”と呼んでおります。ヴェインスでは、仮面舞踏会が行われることも多かったもので。この仮面を被っている最中は、完全にその人物になりきることが出来ますが……それは、失礼の免罪符にはなりえません。すべては仮面なくして動けなかったわたくしの弱さ。わたくしの責任。ただ、こうしてお許しを請うのみです」


 それだけ答えると、ルルロッテは再び深く頭を下げる。

 まさかあの『ルル』が亡国のお姫様であり、かつその姫殿下にこうして頭を下げさせてしまっているという現実に困惑するクレスたち。自分たちの方が申し訳なくなってしまい、なんとか頭を上げてもらえるよう全員で声を掛けた。それでもルルロッテは顔を上げない。


 そこでクレスが膝を突き、ルルロッテの手を取ると、そっとエスコートするように立ち上がらせた。


「もう十分です。どうかご尊顔を」

「……クレス様」


 目が合うと、クレスは穏やかな表情で微笑んだ。


「貴女が本当に俺のことを想っているわけではないことは、わかっていました。何か事情があるのだろう、と」

「……申し訳ありません」

「……俺は、勇者として出来る限り多くの人を救いたかった。それでも、救えなかった人はたくさんいた。……たくさん、いたんだ。そのたびに己の無力さが嫌になった。君の大切な国を……大切な人たちを守ることが出来なくて、すまない……」

「クレス様……そんな、違います……どうか謝らないでください! 貴方様の噂がどれほどわたくしたちを励ましてくれたことか! 貴方様のせいではなく、わたくしが、わたくしが……」


 ルルロッテは声を震わせながら、両手でクレスの手を掴む。


 そして、その手にギュッと力を込めた。


「――クレス様っ!」


 叫ぶ。

 彼女の真っ直ぐな視線と声に、クレスが大きく目を開く。


「不躾なお願いであると承知しております。わたくしの無茶な我が儘であると理解しております。けれど、けれど……どうか! わたくしと婚約していただけませんでしょうか!」


 突然の発言に、クレスはもちろんその場の全員が動揺した。

 ルルロッテはさらに詰め寄り、クレスに顔を近づけて懇願する。


「真似事でも良いのです。ただのフリでも良いのです。わたくしを愛していただけなくても構いません。わたくしと婚約してヴェインス再興に力を貸してはいただけないでしょうかっ? わたくしは、かつてのヴェインスを取り戻したい…… そのためになら、どんなことでも致します。あの時の言葉は、決して嘘ではございません。わたくしは貴方様を愛します。貴方様のために、この身を、心を、すべてを捧げます……!」


 さらにルルロッテは、掴んだクレスの手を自らの胸元に押し当てる。真っ直ぐにクレスを見つめるその瞳は、涙に濡れながらも美しく輝いていた。


「クレス様、どうか、どうか……」


 ルルロッテの哀願を聞いて、クレスはしばらく黙り込んでいた。


 そんな二人の姿を、フィオナたちはじっと見守る。


 かつてフィオナは考えたことがあった。

 ――もしも、クレスが他の女性に本気で言い寄られたら。愛を求められたら。

 優しい彼は、応えてしまうのではないか。

 それは杞憂であるし、馬鹿な考えだったと今のフィオナは思っている。


 果たしてクレスは、ルルロッテの手を握り返しながら答えた。


「――公女殿下。申し訳ありませんが、それは出来ません」

「クレス、さま……」

「自分には、既に妻がいます。たとえそれが貴女を助ける唯一の方法であったとしても、その願いを叶えることは出来ない。俺は、妻を裏切るような選択は絶対にしない」

「…………はい」


 その返事に、ルルロッテは弱々しく笑った。まるで、そう言われることがわかっていたかのように。

 フィオナも、他の皆も同様である。しかし、それがルルロッテにとっては残酷な答えであることも皆が理解していた。


 ルルロッテの手からふっと力が抜ける。うつむき加減の顔から、涙が地面にこぼれ落ちた。


 だから、クレスは続けて話す。


「その方法には賛同出来ませんが、別の方法ではどうでしょう」

「……え?」


 ルルロッテが再び泣き顔を上げた。

 クレスは彼女の涙をそっと指で拭ってから話す。


「貴女のステージは、本当に素晴らしいものでした。審査員として保証します。それに、今は我々が証人になれます。聖都の皆に、ヴェインスのことを知ってもらいましょう。もしかしたら、この街にもヴェインス出身の者がいるかもしれない。皆の力を借りれば、再興も可能かもしれません」

「皆さまの……お力を……?」

「はい。人一人の力など、所詮大したものではありません。俺は……この歳になってようやくそのことがわかりました。だから、皆の力を借りましょう。そのためになら、俺は協力を惜しみません。俺との婚約が唯一の方法ではないはずです。それを一緒に探しましょう」

「クレス、様…………で、でも、わたくしに……こんな、無価値な女に……」

「無価値じゃないですっ!」


 そこに大声で割り込んだは、フィオナだった。

 フィオナは困惑するルルロッテの手を取り、真剣な表情で彼女に詰め寄った。


「ルルさんの歌も、ドレスも、あのステージは本当に素敵なものでした。素晴らしかったです! そのことは、わたしたちみんながよくわかってます。それはあなたの――ヴェインスの大きな価値だと思いますっ!」


 フィオナの言葉に、ルルロッテは大きくまぶたを開く。

 街灯の光を反射するフィオナの瞳は、キラキラと星のように輝いていた。

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