♯235 何者にもなれないお姫様
『看板娘コンテスト』が終わる頃には完全に日が落ち、聖都は静かな夜の時間を迎えていた。
多くの都民がフェスタとコンテストで出払っていることもあり、中心地以外は人気がほとんどなく、正門前にも眠たそうな顔の門番が一人立っているだけだった。だから、このような時間に街を出ようとする者が二人も現れて門番は驚いた。
「――お嬢様。よろしいのですか?」
正門前。老齢の執事の問いかけに、美しい金髪の少女は自身の喉に触れ、その手をドレスの方に撫で下ろしながら答える。
「……母の遺したヴェインスの誇りを穢したわたくしに、もはや価値はありません。“ブリキの公女”の言葉など、勇者様にも、皆さまにも、届くはずがなかったのです。ですから……もう、これで……」
「
「…………」
少女は唇を噛み、無言でドレスをギュッと強く握りしめた。
執事はしばらく言葉を待った後、白髭の整った口を穏やかに開く。
「楽しゅう、ございましたね」
「――え?」
少女がふっと顔を上げた。
呆然とした様子の彼女に、執事の頬がわずかに緩む。
「大仰な演技とはいえ、あのようにはしゃぐお嬢様を拝見するのは初めてのことでございました。天真爛漫な姉君様によく似ていらっしゃって……しかし、最後だけは素が出てしまいましたね」
「あれは……し、仕方ないじゃないですかっ。まさか、いきなりあんなことされるなんて思っていませんでしたし……は、は、はじめて、だったんですから……」
「さすがは勇者様の奥方様、といったところでしょうか。大胆で、面白いお人でしたね。お嬢様の仮面が外れてしまったのも、無理はありません」
「そ、そうでしょう? そうですよね……」
目を逸らして耳まで赤くなる少女を見て、執事は口髭を揺らして笑った。
「ルルロッテ様」
ささやくように名前を呼ばれて、少女がそちらを向く。
「この街に来た意味は、あったと思います」
「え……」
「どのような道に進もうとも、私めはどこまでも貴女様に付き従います。捧げるには、いささか先の短き命ではありますが」
「短いなんて……そ、そんなこと言わないでください」
「……失礼致しました。それでは、馬車を用意してまいります」
執事は恭しく頭を下げると、しっかりとした足取りで歩き始める。その姿を門番が目で追っていた。
一人になった少女は、自嘲気味に弱々しい笑みを浮かべた。
「……本当に、情けないですね」
弱音がこぼれる。
「あれだけの大口を叩いておきながら、何も成すことが出来ず、おめおめと逃げ帰るだけ。勇者様、奥様、皆さまにも大変な失礼を働きました。母様や姉様が見たらどれほど幻滅したことでしょう。すべては、わたくしの力不足。わたくしには、このドレスを纏う信念も、歌う覚悟も、なかったのです。わたくしは、母様や姉様のようには、なれない」
うつむく少女の足元に、ぽたり、ぽたり、と水滴が落ちる。
「……なら、わたくしは、いったい、何になれるのですか」
少女は、誰にでもなく自分自身に問いかけた。
「なぜ……なぜ、わたくしだけが、残されたの。シャーレの女神様であれば、導いてくださるのでしょうか」
月を背にした高台の教会を見上げ、手を組み合わせる少女。
そんな少女の背後から、突然声が響いた。
「ほぉー、そっちのが男受けはしそうだな」
「!?」
バッと素早く振り返る少女。
そこには、魔力灯の柱にもたれながら腕を組む、槍を抱えた男が立っていた。
「あ、あなた、は……」
男は「よっ」と片手を軽く上げると、うろたえる少女の元へと歩み寄る。そして執事を真似るような素振りでわざとらしく頭を下げた。
「お嬢様のおみ足で顔を踏まれた名誉あるイケメン男子、ヴァーンでございます。以後お見知りおきを」
「あっ……」
あの時のことを思い出したのか、少女はちょっぴり申し訳なさそうなに眉尻を下げた。しかし、すぐに『ルル』の顔を作ると可憐に髪を払い、腰に手を当てて強気なポーズをとる。
「ふ、ふんっ。ルルは忙しいの。小虫なんかに構ってる余裕はないんだから、さっさと消えてくれる?」
「ああ、もうそーゆーのいいぜ? めんどくせーだろ」
「え?」
ポーズをとったまま呆然と固まる少女。
ヴァーンは自分の目を指差しながら言う。
「オレ様は女を見る目があるからなァ。“仮面”被ってるようなヤツぁすぐわかんだよ。お前さんは言動と立ち振る舞いに違和感ありすぎ。つーかさっきの話聞いてたからな? もうバレバレっすわ」
「え、えっ」
「あと踏まれるときにがっつりパンツ見ちまってワリィな。もし良いとこのお嬢さんだったら不敬もいいとこだし、実はそのこと謝りにきたんだわ」
「えっ……え? えっ! あのとっ、ぱんっ、え? えええっ!?」
思わずドレスの裾を押さえる少女。混乱しているのか、顔は真っ赤になり目は泳いでいた。ヴァーンがそんな少女の様子を見て「ハッハッハ」と笑う。
それからヴァーンは槍を両肩に乗せるように抱え、軽々しく言った。
「にしてもよ、宣戦布告した相手をほっぽり出して逃げちまうのか? もったいねぇ。あのままならあんたが優勝してただろうによ」
「っ! そ、それは……」
少女は気まずそうに視線を外し、口を結ぶ。どうやら事情を話すつもりはないようだった。
ヴァーンは「へっ」と軽く笑って続ける。
「しっかし、ありゃあイイ歌だったぜ。エステルのヤツもさぞ喜んだろうなァ。自分の好きな歌が生で聴けてよ。生はイイよなァ。自信持っていいぜ、“お姫様”」
「……!」
その言葉に、少女のまぶたが大きく開く。
「……あなたは、どこまで、知っているのですか……?」
「アァ? アイツはともかく、オレは何も知らねーと思うぜ。――ま、執事が戻ってくるまでヒマだろうし、謝罪の言葉くらいは聞いてやってもいいがな」
ニッと歯を見せて笑うヴァーン。
少女――ルルロッテはしばらく逡巡し、それから、そっと口を開いた。
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