♯213 よくある兄妹の入浴シーンⅡ
クレスは、以前フィオナやセリーヌが言っていたことを思いだしていた。
『リズリットは、魔術師としては優秀な素養があると思うのですが、どうも、自分に自信が持てないみたいで……その結果、いつも一歩引いたところから物事を見てしまったり、行動力が下がってしまう傾向にあるようです』
『そうねー。小さい頃から親が厳しかったせいで、自己肯定感が低いのかしら。周りがもっと褒めて伸ばした方がいいかもね。まぁ、周りと言っても信頼の置ける相手限定だけどね。だからさ、クレスさんもどんどんあの子を構ってあげてよ。リズの周りにいる数少ない男なんだしさ♪』
とのことである。
だからこそ、クレスはこの兄妹としての関係をちょっとしたチャンスにも感じていた。リズリットが成長するための良い機会になるのではと、そう考えてもいたのである。
彼の背中でリズリットが縮こまりながらつぶやく。
「じ、自分からお願いしたのに、ごめんなさい、です……。でも、でも、リズはやっぱり……」
どんどん声尻が小さくなっていくリズリット。
そのとき、リズリットは頭の片隅で『ラスカーレ冒険記』のことを思い出した。
冒険の後半。ひどく怖い思いをした妹はもう冒険をやめると口にする。動けなくなる。一番共感し、妹と一緒に怖くなったシーン。そして、そんな妹に対して兄は――。
と、そんなシーンを思い出しているとき。
リズリットの腕に、ピタッと一匹の虫が止まった。
緑色の、光沢がある昆虫だ。森のどこにでもいる何の変哲もない虫である。
「………………みぎゃ~~~~~~~~~~~~~!?」
リズリットが妙な鳴き声で叫んだ。
ついでに滑って転び、後ろに倒れた。その衝撃で驚いた虫が再び飛ぶと、今度はリズリットの鼻の上に止まった。リズリットはサーッと真っ青になっていく。
「どうしたリズ!? っと、む、虫か?」
「たたたたたしゅけて! たしゅけてくらはい~! り、りりりりず虫はだめなんですぅ~~~~~~!」
「わかったッ!」
瞬時に察したクレスが虫を手に取り、浴室の外へと放り出す。
それからクレスは、涙目になって震えていたリズリットをそっと抱きかかえるように起こした。
「大丈夫かい?」
「は、は、はひ……。あり、あり、ありがと……ごじゃ、ます……!」
よっぽど怖かったのか、ぷるぷる震えながら身体全体で抱きついてくるリズリット。貴族令嬢などは幼い頃から大切に育てられ、自然と触れ合う機会も少ないため、虫嫌いの者が多いということはクレスも知るところである。ひょっとしたら明日からの合宿よりも、先ほど虫の方が恐怖の対象なのではないだろうか。
そんな彼女の様子に、クレスは小さく吹き出すように笑ってしまった。
リズリットが身を離す。
「あうっ? ク、クレスしゃん……?」
「ああ、いや、ごめんよ。そこまで怖いものなのかと思って。それに……なんだか、こうしていると本当の妹のように思えてきてね。『まったく、お前はすぐに泣くな』」
「えっ……」
リズリットをお姫様だっこしながら立ち上がるクレス。
二人の目が合う。
それからクレスは笑った。
「『妹を守ってやるのは、兄として当然だ!』」
「あ――」
それが『ラスカーレ冒険記』の一文であることに、リズリットはすぐに気付いた。
先ほどの言葉もそうだ。
何度も読んだから。
憧れていたシーンだから。
「ごめん、これ以上の台詞は覚えていないんだ。それでも、俺はリズの兄だからね。何があってもリズを守るよ。だから、怖がらなくていい。明日からも大丈夫。失敗を恐れず、リズらしくやればいいよ」
「…………リズ、らしく……」
「ああ。フィオナやセリーヌさんに認められた後輩で、俺の自慢の妹なのだから。きっと、リズなら大丈夫だよ」
優しく微笑み掛けるクレス。その顔は、まさに妹を励ます兄のものだった。
「……おにい、ちゃん……」
リズリットの震えは、もう止まっていた。
彼女の瞳が輝く。
“兄”の言葉が、しっかり胸の奥に染み渡ったように感じた。
一番欲しかったものを貰えたような気がした。
だから、もうきっと大丈夫だと思えた。
「……うんっ! ありがとう。リズの……リズだけの、大好きなお兄ちゃんっ!」
満面の笑みを浮かべるリズリット。
するとそこへ、今度はフィオナとレナが扉を開け、慌てた様子で飛び込んでくる。
「ど、ど、どうしましたか!? リズのすごい悲鳴が聞こえましたけれどっ! あ、あれ?」
「まさかクレスが何かしたわけじゃ……って、そんなわけはなさそうだけど、お風呂で何してるの?」
駆けつけた二人の前では、クレスがリズリットをお姫様抱っこしている謎の状況。
クレスとリズリットはお互いに笑い出し、フィオナとレナが揃ってこてんと首をかしげた。
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