♯201 師匠の剣、弟子の剣

 そして長い剣戟の果てに、勝負は唐突に終わった。


「はあああッ!」


 クレスが両手で柄を握りしめ、右下方から剣を振り上げる。カタナで完璧に受けたシノであるが、クレスとの体格差によってシノの身体が大きく浮き上がり、シノの右まぶたと右脇腹がわずかに開く。クレスが子どもの頃はこうはならなかったであろう。心身共に成長したクレスだからこそ作れた動揺だった。

 そんなシノの初めての隙を見逃さず、振り上げた剣を左方から横薙ぎにするクレス。そこにはもう、相手が女性だからなどといった遠慮やはばかりはなく、ただ単純に、真剣に、目の前の師と本気で向き合うための刃だった。

「入った!」と思わず声を上げたのはヴァーン。


 しかし――


「――ッ!?」


 次に動揺したのはクレスの方だった。

 ギャリリ、と金属が擦れ合う音。

 シノの右脇腹を狙った刃は――彼女がいつの間にか後ろ手に握っていた鞘によって防がれた。


「良い、一撃です」


 その一言が発せられた時には既に、クレスの首筋にきらめく白刃が添えられていた。クレスの額から、ポタリと一滴の汗が流れ落ちる。


 クレスは目を閉じ、ふっと笑う


「――参りました。師匠」


 勝負はついた――。


 と、フィオナや見学者たちが全員そう思ったであろうところで、シノが愛刀を鞘にしまう。そして手刀をクレスの額にコツンと当てると、クレスは凄まじい勢いで後方に吹っ飛んでいき、ごろごろ転がって噴水に激突し、そのまま浅い池に落ちた。


「きゃあっ!? ク、クレスさーん!」

 

 びっくりしてしまったフィオナは慌てて彼の介抱に向かう。シノは膝をついてその場に座すると、クレスの方へ向けて静粛に頭を下げた。ヴァーンが「ヒュー」と口笛を吹き、見学していた者たちは皆ポカーンと口を開ける。その中の小さな子が、「すげぇ! 勇者様がふっとんだ!」と白熱していた。


 フィオナが池の中に入ってクレスの身を起こす。


「だ、大丈夫ですかクレスさんっ!?」

「……あ、ああ。しかし、“これ”を貰うのも久しぶりだ……。稽古の最後はいつもこうだった。師匠の“気”に当てられると、頭から全身を叩き起こされるような衝撃が走るんだ……」


 軽く濡れた頭を押さえつつも、クレスはなんだか嬉しそうに口元を緩めていた。どうやらクレスとシノとの稽古ではよくある光景のようで、フィオナはホッと胸をなで下ろしてからクレスを立ち上がらせ、二人で噴水の池から出てくる。

 

「な、なんだかすごいものを見せていただいたような気がします。クレスさん、シノさん、お疲れ様でした!」

「フィオナ、すまない。あまり格好の良いところは見せられなかった」

「ふふっ、クレスさんはいつだって格好良いですよ。だって、とっても素敵な笑顔です」

「ん、笑顔……?」

「はい! シノさんとの稽古を、とても楽しんでいるように見えました!」

「楽しんで……? …………ああ、そう、か……」

「濡れちゃいましたし、汗も一緒に拭きますねっ」


 鞄の方に駆けていったフィオナは、そこからタオルと水筒を取り出す。これにシノがつぶやいた。


「フィオナさん……朝早くから、こんなものをご用意されていたのですか?」

「必要になるかなぁって思いまして。すっきりレモンウォーターですよ。シノさんも、是非どうぞ♪ あ、ヴァーンさんの分もありますよ」


 穏やかな笑顔でシノにタオルと飲み物を渡すフィオナ。ヴァーンも「サンキュー!」と受け取ってすぐに口を付ける。

 飲み物を持ったシノはしばらく呆然となり、フィオナから甲斐甲斐しくタオルで顔を拭かれるクレスの方を見つめていた。フィオナの足元やワンピースの裾もすっかり濡れてしまっているのだが、それは当然のように後回しになっていた。


「それにしてもクレスさん、最後の攻防はすごかったですね! わたしまで緊張しましたっ」

「ああ、しかしまだまだだよ。おそらく師匠は、あの隙が生まれた瞬間に左半身をわずかに引いて俺の視覚から鞘を隠していた。だから意識が逆の手に向かなかった。防がれるという選択肢が一瞬頭から消されてしまっていた。ヴァーンの方からは見えたか?」

「――ぷはぁっ。ああ、その上でたぶん右脇腹をわざと空けやがった。それも故意だと気付かれないレベルで、クレスだからこそわかるほどの隙をな。確実に防げる場所に誘ってやがった。あんなん出来る剣士がいんのかよ。ヴァリアーゼの有名な女騎士団長でもあれほどじゃなかったぞ。とんだバケモンだぜ!」

「師匠は決まった“筋”を作らない。『アズミ』の剣は相手の動きに柔軟に合わせ、剛の剣を振れる。ほんのわずかな動揺すら戦術に盛り込めてしまえるんだ。やはり師匠は強い……まだまだ敵いません」

「ふぇ……あ、あの短い間に、そんなすごいことが行われてたんですかっ?」


 クレスとヴァーンのやりとりを聞いて初めて子細を知ったフィオナが驚きに目をパチクリとさせる。魔術師のフィオナに詳しいことはわからないが、それでもシノが相当な実力者であるということくらいはよくわかった。


「で、でもそんなことまでわかるクレスさんもすごいです! わたし、ずっとドキドキして見ていました!」

「ありがとう。フィオナの前で、師匠越えが出来たらよかったのだけれどね。まだまだ鍛錬不足だ」

「ハッハッハ! でもお前なかなかイイ動きしてたぜっ、今度はまたオレとやっか! んでお師匠様に再戦申し込もうぜ! どっちが先にぶっ倒すか勝負な!」

「それには負けるわけにはいかないな」


 クレスが朗らかに微笑み、ヴァーンと拳を付き合わせる。


 そこで、しばらく黙り込んでいたシノが不意に呼びかけた。


「……クレス」

「はい! 師匠、今回は久方ぶりの手合わせをしていただき、ありがとうございました。まだまだ未熟であると強く実感致しました。今後も、より熱心に剣の道を励んでまいります――!」


 すぐにその場で正座をし、頭を下げるクレス。


 すると、


「強く、なりましたね」


 その一言で、うつむいていたクレスがぴたりと止まって目を見開いた。彼の顔が、ゆっくりと上がっていく。

 視線の先にいるシノが歩み寄ると、クレスの前に同じように正座した。


「正直なところ、驚きました。あの頃のお前よりも、今の、柔らかな顔が出来るお前の方がずっと強い」

「し、しょう……」

「お前の剣は、『安曇』の剣ではありません。私の真似事は必要ない。お前は私とは違います。お前の剣は、守るべき者のための剣です。お前は、そのためにならどれほどの力も発揮できる。だから『勇者』になれたのでしょう。心の目で、正しく己を視なさい」

「……守るべき、者のため…………」


 クレスがつぶやき、隣のフィオナに視線を送る。するとシノはこくんとうなずいた。


「……もう、本当に教えることは何もなくなりました」


 つぶやいたシノが、そっと、そのまぶたを開く。


「クレス。私の、生涯唯一の弟子。今まで、よく闘いました。よくぞ、世界に平和を取り戻しました」


「…………師匠」


 二人の目が合う。



「――私は、あなたを誇りに思います」



 シノは、柔和に微笑んでクレスの頭に手を乗せた。そして、わずかにだけ手を動かす。


 それらは初めてのことだった。

 クレスの前では常に凜々しく、厳しい表情をしていた彼女が初めて見せた笑顔。初めて見せたまぶたの奥。初めて頭を撫でてくれた。初めて認めてくれた。


 クレスにとって、シノは第二の父であり、母だった。


 いつかこの人の背中に追いつき、認められたい。ずっと、そう思っていた。


 今はまだまだ未熟なれど。

 自分のしてきたことは無駄ではないと、そう、信じることが出来た。



「……師匠。ありがとう、ござい、ました…………」



 うつむくクレスは、自分の目頭と心が熱くなるのを感じていた。


「オイオイ。ったく、大の男が嫁の前で泣いてんじゃねーぞクレス!」

「クレスさん、よかったですね」


 ヴァーンが茶化すように笑い、フィオナはそっと隣に寄り添う。


 そんな三人にくるりと背を向けたシノは、心臓の辺りに手を当てて呼吸を整えた。



「――はうぁあぁぁあ……! き、きき緊張したぁぁぁ~っ……。うう、は、初めてあの子と目を合わせてしまったんよ……! おかしなこと、言ってない……よね? はぁぁぁ……やっぱりうちは、一人がいいわ……」



 誰にも聞こえないよう小声でつぶやくシノであったが、彼女を背中を見るフィオナが、どこかおかしそうに笑っていた。

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