♯199 クレス、緊張する

 翌朝は気持ちの良い青空だった。

 クレスとフィオナは朝食を済ませて少し早めに家を出ると、シノが泊まっている街宿へと向かう。フィオナは銀髪を軽く結んでおり、服装も涼しげなシフォンワンピースの普段着であったが、クレスの方は腰に聖剣を提げていた。心なしか、足取りも重いようだ。


 道中、フィオナは隣のクレスを見上げて声を掛ける。


「クレスさん。少し、緊張されていますか?」

「――え? あ、ああいや、そんなつもりはなかったのだが……そう、かもしれないな」


 ちょっぴり複雑そうに笑うクレス。

 彼が昨晩からどこか心あらずであることは、フィオナにはよくわかっていた。そしてその理由が、おそらくシノとの関係にあることも。ずっと慕ってきた憧れの師匠が女性であったことで、どう接していいのか戸惑っているのだろう。今でこそフィオナとの生活で多少は女性に慣れてきたものの、クレスにとって女性は剣を合わせるべき存在ではないのだ。そしてシノもまた、隠してきた事実を知られて戸惑う部分はあるだろう。


 ――不器用な勇者と、人見知りの師匠。


 だからこそ、フィオナは二人をなんとかしたいと思っていた。

 クレスの妻として。

 そしてシノの本意を知る唯一の人物として。

 二人を、このまま別れさせるわけにはいかない。これは、勇者の嫁として果たすべき使命なのだ。彼を幸せにするために、出来ることはすべてする。


 フィオナは内心で「よしっ」と気合いを入れ、手を握ってから言った。


「クレスさん。セリーヌさんのお店でシノさんの服を受け取るのはお昼頃の予定です。まだ少し時間もありますから、その間に、シノさんとお話してみてはどうでしょうか。気持ちの良い朝ですし、また街をまわるのもいいですよね!」

「む……フィオナ、ひょっとして、そのためにこんな時間から……?」

「えへへ。クレスさんもシノさんも、きっと、お互いに話したいことがあるのではないかと思って……。あっ、よ、余計なお世話だったでしょうか」


 素直に答えたフィオナに対し、クレスはふっと表情を和らげる。そこにはもう、先ほどのような緊張感はなかった。


 クレスがフィオナの細い手を取る。


「いいや、そんなことはないよ。ありがとうフィオナ。いつも、面倒を掛けるね」

「面倒だなんて。大好きな夫の力になるのは、妻として当然のことです。いつでも、どんなことでも、わたしに頼ってくださいね♪」


 左手でぽんっと豊かな胸元に手を置き、右手でクレスの手を握り直すフィオナ。そんな彼女の屈託のない笑顔に、クレスはぼうっと惹きつけられた。


「……そうか。君だからこそ、きっと、師匠も……」

「? クレスさん?」

「――ん、ああごめん。見惚れてしまっていたな。フィオナの笑顔は、いつも俺に力をくれるから。君がそばにいてくれるだけで、こんなにも心が楽になる。これからも、俺を支えてほしい」

「クレスさん……はい、もちろんですっ!」


 二人は笑って手を繋ぎながら、朝の街を歩く。

 クレスの表情からは、既に迷いの色は抜けていた。



「――シノさんっ、おはようございます!」

「フィオナさん。クレスも、早いですね。待っていてくださったのですか」

「はい。おはようございます、師匠」


 宿の前で待っていた二人の前に、シノが姿を現す。今朝もセリーヌの店のレンタル服を着用しており、凜とした顔立ち、清楚な出で立ちは貴族令嬢のようですらある。だからこそ、クレスにとってはシノをより女性として意識してしまうことにはなったが――


「――クレスさん」


 フィオナが、ささやくように彼の名を呼んで手をきゅっと握る。

 それだけで、十二分に勇気が出る。

 だからクレスは一歩足を踏みだし、正面から立ち向かった。


「師匠。よろしいでしょうか」

「改まって、どうしました」

「はい。別れる前に、師匠と少し話を――」


 ――と、そんなタイミングで通りの向こうから大きな声が聞こえてきた。

 クレスたちが振り向くと、槍を抱えたヴァーンが駆けつけてきていた。その顔はどこかウキウキと楽しげである。


 ヴァーンはこちらへ到着すると、逸るように足踏みしたまま口早に言う。


「うーっす! へへへ、待ちきれなくてあんま眠れんかったぜ! うっしゃあお師匠さん、約束通り一発付き合ってもらうぜ! 朝からイイ汗掻きに行こうや!」


 そのままくいっと親指を差し向けたヴァーンは、まだ何も応えていないシノの腕を引っ張りながら街外れの方へ走っていってしまう。クレスが「あっ――」と手を伸ばしたまま短い声を上げた。


 フィオナが思わず小さく笑う。


「ふふっ、ヴァーンさんの行動力は相変わらずすごいですね。少し、見習わなくてはいけないでしょうか」

「……ああ、まったくだな。仕方ない、俺たちも行こうか」

「はいっ!」


 二人もまた、ヴァーンとシノを追いかけて石畳の街を走った。

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